「頭が良い」と「優秀」は、全然違う概念であるという話

2018年卒業予定の学生に向けたNyleの新卒採用活動がスタートした。

Nyleでは2012年から本格的に新卒採用を始めており、2018卒の新卒社員は新卒世代7期目ということになる。私自身も採用に積極的に携わり、これまでに数多くの学生と会ってきたが、興味深いことに、学生が持っている疑問や不安の種類はあまり変わりがないように思う。

例えば、私がこれまでによく聞かれてきた質問のひとつに、「優秀さの定義って何ですか」というものがある。様々な企業が「優秀な学生」という言葉を安易に使いがちであるにも関わらず、その要件が企業によって異なり、かつそれが往々にして学生間で使われる「優秀さ」の定義とは乖離があるためにこうした質問が出てくるのだろう。そして実際、社会における「優秀さ」と学生の間において使われる「優秀さ」は全くの別物であると私は思う。

本日の記事では、学生からよく聞かれるこの質問を引き合いに出しつつ、私がこの言葉以上に大切だと考える一つの素養について書いていくこととする。

「優秀」という言葉に潜む誤解

多くの場合、学生間において言われる「優秀さ」とは「勉強ができる人」のことである。何故かというと、学生社会においては試験成績や在籍校などによってかなり定量的に学力が数値化され、優劣がつけられるからであり、そしてその優劣が(特に高学歴の学生や高学歴を目指す学生の間においては特に)重要とみなされるからであろう。

こうした背景を持った学生にとっての「優秀」というキーワードは、「勉強ができること」や「地頭が良いこと」と捉えられがちであり、それはそれで「その人の過去の経験」としては正しい。一方で、こういった意味合いで使われる「優秀」というキーワードからは、重要な概念がすっぽりと抜け落ちている。

「優秀である」ということは「特定の環境において優れていること」である。学力がものを言う世界であれば頭が良いことは優秀である事に直結するが、そうでもない環境__すなわち、数々の特殊環境の集合である社会においては、頭が良いことがそのまま優秀であることの根拠とはとても言えまい。だから「優秀」という言葉を用いる際、この「特定の環境において」という要素をその概念に意識的に内包しておくことが重要である。

そして、既述したように「社会」と一口に言っても様々な環境がある。職種や会社、役職が違えば求められる能力は全く異なるし、その他の環境変数を挙げだせばキリがない。

頭が良くて困ることというのはほとんど無いだろうが、少なくても「頭が良いということは学生間で重要視されるほどには重要なことではない」ということは覚えておいたほうが良く、むしろ社会はその様々な環境変数の中で、頭が良いことよりも全く別の要素を求めているのだということは学生のみならず全ての人が認識すべきことであろう。

環境変数に左右されない「優秀さ」について

一方で、どのような環境変数の中においても一貫して通用する「優秀さ」というものがあるのではなかろうか。私の経験上、業界や職種を問わず「この人すごいな」と感じさせる人物には、確定的に共通する要素が存在している。

こうした「汎用的な優秀さ」を構成する要素を知り、自分のものとすることは、後天的には向上が望みにくい「頭の良さ」を云々言うよりもはるかに有用である。もちろん「汎用的な優秀さ」を構成する要素と言っても全てを言葉でカバーできるわけもないのだが、あくまでも私見として、私が考えるいくつかの例を下記に紹介したい。

1:コトの背景を説明し周囲のパフォーマンスを引き出す力
人のパフォーマンスは、仕事の意義や目的を理解している場合とそうでない場合では全く違う。物事には必ず存在する文脈を誰もが分かるように共有する人は、チームの方向性を一致させ、結果として周囲のパフォーマンスを引き上げるのに一役買うことが多い。

2:課題指摘に留まらず解決方法を提示する力
課題感を指摘するのみならず、解決方法までを提示できる人はどこにいっても大変高く評価されると思う。課題だけを言われても、言われた側がその解決策の模索から始めなければならず、組織的なコストが大きい。良い意味で勝手に解決方法を考えて動ける人が多ければ多いほど組織は強くなる。逆に課題だけ言い放ちソリューションを考えない人は「批評家」と揶揄される。

3:批判を受け入れ、前向きに人の意見を聞く力
他人からのフィードバックを素直に受け入れないプライドの高い人は厄介である。個としての成長が停滞する上に、周囲の人間からしても何か言おうとする度に気を使うことになり、チーム全体の労働満足度が下がってしまう。「まず否定から入る人」というのもよろしくない。意見とかアイデアは肯定されることによって前進する。「いや違うでしょ」という返答ではなく「なるほど一理あるね。でもこういう方がいいんじゃない」という切り返しができる人の周りからは様々なアイデアが生まれる。

4:「一緒にやってやろう」というオーナーシップ
「この人についていく」という考え方は「依存」に他ならず、依存される側からすると中々しんどいものがある。逆に「この人と一緒にやってやろう」というスタンスを持っている人が多ければ多いほど、経営者や上司は楽になるし助けられる。この「一緒にやってやろう」という気概こそを「オーナーシップ」と呼ぶのだと私は思う。

5:知的好奇心と継続的インプット
様々な技術が複雑に折り重なって構成されている現代の産業において、知っていても意味が無い情報はどんどん少なくなっている。だから、自らが属する業界にせよ他業界にせよ、知識を継続的に吸収し、それを仕事に活かす能力が高ければ高いほど、自らのレアリティは増していくと思った方が良い。このためには、学習をする際に「最低限知っておけばいい知識」を得て終わるのではなく、「その先にある様々な知識」にまで食指を伸ばして学習する知的好奇心を持つことが大切である。

「原因自分論」と「優秀さ」の関係性

上記に列挙した要素は、「頭の良さ」とは違って全て後天的に獲得が可能であるように思う。だが興味深いことに、頭が良い人であってもこれらを備えているとは限らない。

上記に列挙した要素のみならず、後天的に獲得可能な良き要素は色々とあると思うが、これらを獲得する人とそうでない人を分けるものは何なのだろうか。

私の考えでは、それは「原因自分論で生きている人か否か」に依るところが大きい。

何かネガティブなことが起きた時、それを他人のせいにする人は人生を楽に生きているのかもしれない。だが同時に、多大な損をしていると私は思う。

例えば、「社員は何もわかってない」などと言っている経営者がよくいるが、こうした発言は自身が経営者として拙いことを吐露しているようなものである。社員が本当に何も分かっていないとしたら、それは経営者が採用を間違えたか育成を間違えたかetc…なのであり、究極的には自分の責任であるはずだ。

経営者でなくても身の回りで起きる様々な事柄において、自分に落ち度が全くないということはまず無い。だから、「自分がこう動いていたら防げたんじゃないか」と思って改善する人はそうでない人に比べて自己革新の速度が段違いに早い。

そう、「原因自分論で生きる人」は往々にして「最高の自己革新者」なのである。

ともすれば人は他者批判に陥ってしまいがちだ。だが、他人を変えるよりも自分を変えるほうが簡単だというのは良く言われる話であろう。自己革新の精神を持った人々は後天的に獲得可能なあらゆる良き要素を迅速に獲得する。人は、どうせ働くならこういう人と一緒に働きたいのではないだろうか。

頭が良いということはもちろん良いことだ。だが、後天的にそうなろうとしても大抵は難しいのもまた事実である。そして、社会の多くの場所で、そんなことよりも遥かに大切な精神の存り方が求められている。

邪推かもしれないが、「優秀さの定義って何ですか」という質問には、「頭が良くなければ良い会社には入れないのではないか」という不安が見て取れる時がある。

もしこうした疑問を持つ人がいるのなら、「多くの場合答えはノーである」と私は言いたい。

「頭が良いだけ」では、「優秀」と言われるレベルには到達しえないのだから。


P.S.
冒頭でも触れたが、2018年卒業の学生を対象としてサマーインターンシップの募集を開始した。「我こそは原因自分論で生きてきた」という学生の方からのご応募をお待ちしている。
Million Dollar Bootcamp 2016

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ナイルがやめた5つの取り組みと、スタートアップが持つべき未来仮説の話

Nyleでは3ヶ月に一度役員合宿を行い、四半期の反省や今後の打ち手の検討、長期的な会社の方向性などについて役員全員でじっくり議論する時間を作るようにしている。その役員合宿が今週末にあるのだが、これに先立ち先週の土日は企業として大切にしていきたいことや大切にしてきたことに思考を巡らせていた。

21歳で起業してこれまでにいくつかのビジネスを手がけてきた。そのなかで、経営者として下してきた決断を分析するというのは暗黙的に存在する会社としての経営理念を言語化するのに有効な手段かもしれぬと思い、一人で書き出している。こういう振り返りを行うと一連の決断の中から、過去には言語化できていなかった自分の経営理念のようなものが立ち現れてくるから面白い。

「何をやったか」よりも「何をやめたか」

「何をやって上手くいったか」というのはとても大事なことだ。だが、大抵の企業や個人が「やめてよかったこと」があるというのもまた大切な事実であろう。Nyleでも多くのことに取り組んで、多くのことをやめてきた。今回の記事においては、「何をやめたか」ということにフォーカスしつつ話を進めたいと思う。

やめたこと1:月次の売り上げは追わない
スタートアップの経営者は月次の売上高に一喜一憂してしまいがちだと思う。キャッシュが潤沢にあるわけでもなく、この赤字があと数カ月続いたら会社は倒産してしまう。そんな時に今月の売上を気にするなというのは無理というものだろう。

だが、今月の売上を気にするだけならまだしも、そこで数字を「作り」にいってしまうとなると話は別だ。大抵の場合、無理な営業獲得に走ってしまう会社は、それ以降に顧客との信頼関係のなかで獲得できるはずあった収益を損なってしまう。なぜなら、営業担当者に今月中に契約をくれ入金をくれと言われることは決して心地いいものではないからだ。

私たちもご多聞にもれず、毎月の銀行残高をいつも気にして毎月の売上を達成するためにあれこれと動く時期があった。だが私たちは、月次の売上見込みが目標に届かなそうだからといって、小手先の施策を打つのをある時から一切やめた。あくまでも目標未達は未達として甘受しつつ、いかにその翌月、翌々月ないし半年後以降にこうした乖離を解消していけるかを考えるようにした。

やめたこと2:テレアポはかけない
多くのWebマーケティング企業やアドテク企業はテレアポをリード獲得手段としていることと思う。しかし、当社は2013年末以降、テレアポを行うことを一切禁じている。「本日は100本の電話をかけてアポ1件で目標に1件届きませんでした」「どうしたら目標に届くと思うんだ」などというやり取りは本当に意味がないし、テレアポをかけていてメンバーに何らかの知見が貯まるということがほぼないからである。

Nyleではこのテレアポに充てていたリソースを、サービスの品質改善やブログ記事の執筆や寄稿、セミナー登壇に充ててきた。結果として現在は、オンラインでの問合せや顧客からの案件紹介など反響営業のみで過去最高売上・利益を出すようになっている。

やめたこと3:人工リンク提供はやらない
少々コアな話になってしまうが、SEO事業を営む会社の多くが、いわゆる人工リンクの提供を行っている。Nyleでは、こうした人工リンクについても2014年以降一切の新規提供を行わなくなり、需要が高まっていたUI改善コンサルティングやコンテンツマーケティングなどの領域強化に取り組んできた。現在、Nyleは過去の顧客も含め人工リンクの提供は一切行っていない。

Googleの持つ高度な検索アルゴリズムは、どんなに精巧に作られた人工リンクでも見破るようになってきている。当面はリンク提供サービスで利益を出せるかもしれないが、5年後か3年後か、もしかしたら明日から、こうしたビジネスは一切通用しなくなるかもしれない。そういうリスクを抱えたまま顧客にサービス提供するのは信義にもとるし会社としても良いことはないと思ったのだ。

やめたこと4:リワード広告は提供しない
Applivをリリースした当時は、アプリ広告といえばリワード広告が全盛であり、収益的にも儲かることがわかっていた。だが、私たちが開発したのはノンインセンティブのアプリ広告サービスであり、リワード広告は自社で提供することはしないと決めていた。上述した人工リンクの話においても見られるように、プラットフォームはスパムを嫌う。AppleやGooglePlayにおいて、リワード広告業者は明確なスパマーであり、しかも取り締まりが人工リンクより簡単だ。数年以内にリワード広告の市場自体が崩壊に向かうと私たちは考え、そして実際そうなった。

やめたこと5:開発チームに納期を押し付けない
テクノロジー企業においては、「徹夜して早く作ったサービスが世界を変えた」というような話が(特に非エンジニアの人々の間で)横行しがちである。当社も以前は「早く作ること」を優先していたし、納期を巻くようにエンジニアに指示することもあった。しかし、今では各プロジェクトの開発責任者に納期の決定権限を与えることにしている。というのも「早く作る」ということだけに目線が向くと、その後のメンテナンス性が損なわれたシステムを作ることになりかねないからだ。

長期的な投資に張り続ける会社は強い

上述したNyleがやめてきた取り組みについて、共通していることはなんだろう。
私は、「長期性を考慮しての判断である」ということにあると思う。

経営者が短期的な成長を追っていくようになると、メンバーも含めた全員が今月の数字という「足元」しか見えなくなってしまう。結果として「今」を改善するだけの小手先のテクニックに走ることになり、足元数字が少しでも悪くなる施策や投資に忌避感が生まれてしまう。こうした組織の中での「投資への忌避感」をメンバーは敏感に感じ取る。すると、中長期的な施策がどんどん出てこなくなり、結果として単月黒字を追求するだけの凡庸な会社になってしまう。

逆に、経営者が長期的な成長を追っていくようになると、より長い射程での投資検討が可能になり、組織からもより多くの中長期的なアイデアが出て来やすくなる。足元の数字は一時は悪くなるかもしれないが、中長期的にはより高い成長が望めるし、メンバーも地に足をつけて仕事ができるようになる。

というツイートを以前した。仮に足元数字が切迫した企業の場合は、こうした長期性に張るための軍資金としてのVCマネーを入れるというのは極めて効果的だと思う。逆に言うと、VCマネーをいれるのに足元数字の改善に資金を使うのは愚の骨頂と言えるだろう。

自分の中に、未来仮説を持っておく

長期的な成長を求め投資をしていくのは、短期的成長を追うのと比べ、使う脳の筋肉がかなり違う。短期的な成長を追おうとした場合、変化の早い世の中とは言え、外部環境の変化を考慮して施策を組み立てることはまずないだろう。だが、半年や1年、3年スパンでの長期成長を目指して戦略を模索する時、外部環境の変化は大変重要なファクターになってくる。多くの企業が長い目で見た際の外部環境の変化に敏感ではない分、この変化にキャッチアップできるとかなり長期的投資の成功確率が上がると私は思う。

こうした長期的な外部環境の変化を予想し、高い確率で起こる「未来仮説」として経営陣がコンセンサスを持っておくと、企業としてどのように立ち回れば良いのかという輪郭が明らかになってくる。

Nyleについていえば、Applivは私たちの未来仮説が奏功した良い事例と言えるだろう。

今でこそゲームやアプリはスマートフォンで楽しむものだが、4年前の2012年、世の中はまだまだガラケーの時代だった。そしてガラケーにおけるゲームプラットフォームはブラウザであり、MobageやGREEが全盛を誇っていた時期でもある。

参考:DeNAのQ2決算、課金好調で増収増益–モバコインの消費額が過去最高に

しかし私たちが描いていた未来仮説は、
・スマートフォンが今後の携帯端末の主流となる
・正規のアプリストアが一気に発展し、人々はブラウザゲームを使わなくなる
・最初はスパム的な広告手法が発展するも、その後は正規な広告商品が必要とされていく
というものだった。

これらの流れは、いずれやってくるだろうとは思っていたものの、それが何時になるのかというのはなかなか読めなかった。2011年の終わり頃、周囲のテクノロジー関係者が皆iPhoneを使い、AppStoreでゲームやアプリをダウンロードしているのを見て、今後5年のスパンでスマホアプリ市場が一気に立ち上がってくると判断し、Applivを立ち上げるに至った。この未来仮説はそれなりに正しかったと思うし、早すぎず遅すぎずのちょうど良いタイミングで事業を開始できたと自負している。

感情が社会を支配し、合理性が企業を支配する

未来仮説を考えていくにあたり、GoogleやFacebook、Appleなどのプラットフォーム提供企業の動向はかなり予測が楽だと思う。というのも、こうした企業は事業的にはあくまでも「営利目的」の企業であり、自社の利益を長期的に最大化させる方向に動いていくからである。

Googleがスパムを撲滅したいのも、より良い検索結果を表示しなければユーザーが離れてしまい広告収益が減少するからだ。Appleがリワード広告を撃退したいのも、AppStoreのランキングがダウンロード数に応じて上下するように設計されているためリワード広告によって品質の低いアプリが上位に表示され得るからだ。FacebookのInstant Articlesにせよ、より長い時間ユーザーをFacebook内に留めておくことで、より多くの活動データや広告収益が獲得できるようになるからという理由で導入を説明できる(リンク遷移によるコストからユーザーが救済されることでユーザー体験も向上する)。

これらはいわば、予定調和的な動きであり、予測はある程度簡単だ。これに対して(企業もひっくるめた)政治や経済、世論、非営利団体が織りなすマクロな社会活動は、はるかに複雑性が高い。

社会は世界企業が提供するプラットフォームに比べ、はるかに多極的なプレイヤーが異なる利害を共にしている。また、企業の中では指揮命令系統の優劣が明確だが、社会においてはどんなプレイヤーが存在するかすら時として判然としない。より有機性と複雑性に富み、多極分散的な意思決定や合意形成がされるのが社会であり、その分企業の意思決定よりも論理的な結論に行き着きづらく、流動的な結論が導き出される可能性が高いのではないかと思う。

震災に寄付する著名人たちをネット民がよってたかって叩く姿は記憶に新しいが、他の著名人やそれに憧れる人たちの更なる寄付を抑制するものでしかないという意味で、こうした現象は合理的な社会像からはほど遠いだろう。

マクロな社会活動がこうした合理性に乏しいものである以上、その予測は時として大変困難である。だが逆に言うと、こうした複雑性に富む社会という前提は、一見して合理性からはかけ離れた事業やサービスが成立し得るということを示唆しており、社会全体が持つ集団心理を掴むのに長けた起業家ないしサービス提供者は、「一見すると不可解だが彼らにとっては必然のヒット」を飛ばし続けられるのかもしれない(私の周りではこういう人を、よく分からないけどすごい「プロデューサータイプの起業家」と呼んでいる)。

起業家の仕事は、未来仮説を持って長期性に取り組むと決めること

若干話がそれたが、起業家がすべき仕事の一定割合は未来仮説を持ち、長期性に取り組むという腹を据えることだと私は思う。目減りし続けるキャッシュフローの恐怖や手っ取り早く儲かりそうな仕事の誘惑は理解できるが、多くの起業家はこうした「回り道」に時間を割いている暇はないはずだ。「急がば回れ」というやつである。

ドラッカーは企業の意味を「顧客の創造」といった。

この飽和した日本経済において、スタートアップやベンチャーはどんな価値を発揮すべきかといえば、新しい事業を創造し経済を活性化させていくことにあると思う。誰もがやっている小手先の改善よりも、その事業の可能性を長期的に最大化させるような施策を、自分たちなりの未来仮説とともに実行していくことで、大手企業や競合企業が達成し得ない大きな事業成果や結果としてのオンリーワンの顧客満足を生み出せるのではないだろうか。

長期的な投資をし続けるのは時につらい選択だ。しかしスタートアップを名乗る以上は、自分たちが実現したい世界を実現するのが使命であるはずだ。

Nyleは今、Applivが国内で実現してきたことを世界でも実現しようとしている。私たちが今持っているこれからの未来仮説はここには書かないが、これを証明できた時、Nyleは確実に次のステージに上がれると考えている。引き続き背水の覚悟で、長期性への投資を続けていきたい。

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「効率化」は起業家の仕事ではない

先日、日経新聞でも取り上げて頂いたが、昨日をもってNyleはApplivのインド版・シンガポール版含む海外9カ国での展開を無事開始した。これでApplivは、日本を含めると10カ国に展開するグローバルサービスとしての歩みを始めたことになる。

海外展開はまだまだ投資のフェーズにある取り組みではあるが、これがどのように結実していくのか楽しみでならない。以前書いた記事の通り、暗中模索しながらも世界中の人にとってより良いアプリが見つかる世界の実現を目指していきたいと思う。

さて、前回の記事からそれなりに時間は空いてしまったものの、2016年はブログを例年よりも更新していこうと考えている。本日は、事業とは直接関係ないものの最近大事にしている考えを記事にしてみたい。

テーマは誰でも聞いたことがあるだろう言葉「効率化」そして起業家の時間の使い方についてである。

組織が効率化をする理由

前提として人生は有限である。よって何をやるのか考えるのかというのは大事なテーマだ。
誰とでも会い、何でもやり、どんなことにも思いを馳せるというのはやめた方が良い。大抵の場合、単なる中途半端なヤツになってしまうからだ。

やりたい事とかテーマが決まっているならあとは実行あるのみなのだが、殊に会社を作り組織と事業を大きくしていくとなると厄介な問題が起きる。いわゆるコミュニケーションコストというやつである。

どこかの誰かから聞いた話だから正確性は知らないが、夫婦であっても互いの人格に対する理解度は平均的には十数%程度しかないのだとか。であるとしたら、過去の人生においてほとんど関わってこなかった者同士が100人も集まればとんでもない事になるのは想像に難くない。だからこそ組織論やら企業論やらというものが取り沙汰されてきたのだと思う。

このコミュニケーションコストを最小化するための取り組みが「効率化」であるといっても過言ではないだろう。無駄な資料は作らない、不必要な会議は開催しない、会議の参加者は極力絞る、ミッションと権限はセットで与えるなどがそれだ。組織や事業が巨大な歯車だとするならば、いらない歯車を取り除いたり、歯車と歯車を組み替えたり、歯車同士のつなぎ目に潤滑油を塗ったりすることが効率化であると言える。

そして、組織としての柔軟性や機動性を担保することで、事業を推進する一助となるのが効率化の目的である。
やればやるほど効率化は進むし結果として売上や利益といった成果も出る。それ自体は素晴らしいことなのだが、効率化やその結果としての足元の収益にばかり目が行くようになると起業家としては良くないサインではないかと私は思う。

効率化しようがないことについて

効率化がすべきでないこともある。正確には効率化しようがないこと、とも言えるかもしれない。

例えば経営陣の信頼関係を効率的に構築するというのはなんだか違和感のある言葉だ。別に経営陣じゃなくても、同じプロダクトを開発する開発チームとかデザインチーム、数字を追う営業チームだって同じだろう。チームの状況を調査するサーベイなどを用いればある程度可視化出来るものなのかもしれないが、基本的にはチームビルドを数値化することはなかなか難しい。

同様に、事業モデルを考えることも効率化はなかなか出来ないし、すべきではない。効率的に100個のビジネスモデルを考えるよりも、渾身のビジネスを1つ考える方が良い結果になる可能性はそれなりに高いだろう。

そして何より、企業として何を大切にしていくのかという命題にも効率化で回答することは難しいだろう。KPIと睨めっこしたり、組織の中の無駄な仕事は何だろうと考えても、私たちは企業としてこういう倫理観を持って経営しようという話にはならない。

論理の力では100を1,000にすることはできない

効率化というのはオペレーションの領域で起きていることである。100の収益を110や120にすることは出来るかもしれないが、1,000にすることは出来ないだろう。仮に出来たとしたら前が悪すぎたというだけの話である。

しかし効率化できない領域においてはそれがあり得る。iPhoneもGoogle検索もおよそ世間を賑わせているあらゆるテクノロジーやプロダクトは効率化の発想から生まれたものではない。もちろんそれらが世に産み落とされてからは様々な改善の積み重ねによりクオリティを上げたりコストを下げたりする作業はとんでもなく大事になるが、アイデアが世に産み落とされるその瞬間___0が1に変わるその瞬間までは効率化など何の意味も持たない。

頭が良い人にやらせれば起業家と同等ないし同等以上の水準で効率化可能な仕事はやってのけるだろう。しかし、効率化できないものについて、少なくても企業成長の初期段階においては、起業家以外のメンバーが考えて決めるというのは困難なケースが多いと思う。

なぜなら企業の初期段階であればあるほど、効率化すべきでないものの多くは企業の根幹に関わること___すなわち、「何故起業するのか」「何を実現したいのか」「何故それを実現したいのか」「どんなサービスで実現するのか」「メンバーにはどんな働き方をしてもらいたいのか」「どんなメンバーを集めたいのか」「どんな組織にしたいのか」などの企業としてのストーリーや倫理、そして存在意義を定義する作業であることが多いからだ。

これらの決め事は、それが決まった所で即座に収益を上げるものではないが、中長期的に見た時に100を1,000にするイノベーションを生み出す可能性がある決め事だと思う。効率化の先に1,000の地平がないのであればどこにあるのか。言うまでもなくこの0→1が生み出される瞬間に決まっている。

とはいえ、生き抜かなけば何も始まらない

言うは易し、行うは難しである。

効率化不可能な領域にある1,000の地平を拓き得る物事に集中しようにも、多くの場合起業家はその他のあれこれに悩むことになる。起業したばかりにも関わらずキャッシュが豊富で、優秀なメンバーが揃っているスタートアップなどそうはないだろう。どんな企業もある程度は直近の収益に目を向けざるを得ないケースが多いと思う。

かといって、毎月の売上や利益に目を奪われすぎると、何をやりたくて会社を経営しているのかではなく、今収益をやるために何をすべきかを考えるようになる。するといつの間にか本来の目的が霧散し、平々凡々とした企業になり下がりかねない。

起業家にとっての困難は、空に浮かぶ星を見つめながら足元にも気を遣わなければならない所だ。星ばかり見ていても足元を掬われるし、足元ばかり見ていたら永遠に望む場所には辿りつけない。夢と現実の適切な均衡点をどこに置くかに、起業家はその素養を問われるのかもしれない。

意識の向かう先をプログラムすることで思考をコントロールする

以前Facebookで以下のようなエントリーを書いた。

【意識を何に配るかで、人は構成されている】意識を配る対象と配らない対象を明確化するのは経営者にとって絶対的に大事な能力だよなぁと最近思います。会社が大きくなってくると10人20人の頃にはディテイルまで見れていたことが靄がかかったような感覚…

Posted by 高橋 飛翔 on 2015年5月28日



この時よりももう一歩進んで、近頃私は意識の向かう先を意識的にプログラムするようにしている。

トートロジーに見えるかもしれないが、意識というものが自己発生的に何かに向かっていくものであるからこそ、そもそも考えるべき事、考えるべきでない事を事前に自らに課しておくという意味だ。

仮に自分が考えるべきでないと決めた領域で何か問題が起こったとしてもそれは捨てるしかない。
逆に言うと、自分が考えるべきでないと決めた領域については誰かが考えたり解決するようミッションを設定するということである。

組織論の教科書によく「権限委譲が大事」という話が出てくるが、多くの場合それはメンバーがより主体的に考え動くようになるためという文脈であるように思う。だが実は、会社の中に「考えないと決めた」領域を作ることで、自らの限られた思考のリソースを「考えると決めた」領域に投入し、結果として高いパフォーマンスを出すというのが、殊起業家にとって権限委譲が大事な理由なのかもしれない。

こうして意識の矛先をプログラムすることで、思考におけるオペレーションとイノベーションの比率をコントロールし、結果として星と足元を同時に見られるようになれば、会社のフェーズが変わっても常に論理と閃きの均衡点に立つことができるのではないか。

ちなみに私としては、その中で閃き___効率化できないもの、最終的にはイノベーションの種になるものを模索する比率を上げていくことで、Nyleが100から120になるのを助けるのではなく1,000や10,000の世界に羽ばたく可能性の萌芽を見たいと思っている。そこに効率性という概念はない。もしかしたら徒労に終わるかもしれない。しかしその領域で何かを生み出し続けない限り起業家としては失格だと思うのだ。



余談だが、エジソンが言ったとされる言葉「天才とは、1%の才能と99%の努力である」という言葉は誰もが知っているだろう。だが、この訳は誤訳だという説がある。

エジソンの言葉はこうだ。
“Genius is one per cent inspiration and ninety-nine per cent perspiration.”
「1%の閃きがなければ99%の努力は無駄である」

効率化とか合理化とか論理が実現できる世界には限界がある。

もしかしたら、いや確実に、エジソンは知っていたのだろう。
天才と呼ばれる領域に到達するには、1%の非論理の力が必要であることを。

起業家として高みを目指す以上は私たちもきっと、知っておくべきでしょうね。

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愛と正義とレジリエンスの関係性

レジリエンスという言葉がある。

「精神的回復力」や「抵抗力」などと訳される心理学用語らしく、「脆弱性」の反対概念に位置する自発的治癒力の意味なのだとか。つまり何かがあった際に、心の平衡を保つ力のことをレジリエンスと呼ぶらしい。

先日、NewsPicksというサービスでアリババの創業者ジャック・マーについてのコラムが掲載されていた。
「最初の起業、失意の失脚、そしてアリババ創業へ」

この記事のコメント欄で、とある方が「これぞレジリエンスでしょうか」と書いていたのを見て初めてこの用語を知ったのだが、「挫折からの成功」というと、多くの人にとって最初に想起されるのは故スティーブ・ジョブズではないだろうか。

彼はスタンフォード大学でのあまりにも有名なスピーチで、
「未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです」
というメッセージを残している(※引用元)。

大抵の人間にとって「挫折」という「点」が起きた時、それを未来へと繋がる「線」で捉えることは難しいだろう。だが、その先の成功に向かうためには、挫折という「点」がいつか「線」になることを信じ、心の平衡を保って進まなければならない。何らかの失意に沈んだとしても、何かを信じることで自分を奮い立たせなければならないのだ。

そういう時、人は何を拠りどころにすればいいのか。ジョブズの言うように「なんでもいいから、とにかく信じろ」とは一つの真理だろう。だが、私は他にとても大切なことがあると考えている。

自尊心や愛が心の平衡を支えてくれる

Wikipediaで参照しただけの情報だが、心の平衡を支える「レジリエンス因子」なる言葉が心理学の世界にはあるらしい。代表的なものは「自尊心」や「支持的な人がそばにいてくれること」「安定した愛着」なのだとか。

レジリエンスについて調べこの言葉について知った時、私の中で色々と腑に落ちるものがあった。

私自身、これまで挫折とは呼べないまでも、経営者として精神的にしんどい経験は色々と積んできたつもりだ。

そんな時、自分を信じる根拠になったのはいつだって「自分は人として或いは経営者として正しいことが出来ているのだろうか」という自問だった。

こうした自問に気持よくYESと答えられるときには、どんなにしんどい時であっても前に進めた。一方で、NOと答えざるをえないような事をしでかした時には、自分の精神のバイオリズムは悪い方向に向かいだし、行いを正すまで良い方向には戻れない。

「徳を積む」という考えがあるが、人は自らに恥じない行いをすることで、自己を承認し自尊心を得られるのだと思う。正しい行動をすることで自尊心が育まれ、結果としてレジリエンス=心の平衡が得られるのなら、正しい事をすることについて「ルールだから」とか「自己満足のため」とか「社会のためになることだから」といった杓子定規の価値観とは、ちょっと違った風景が見えてくる気がする。

「徳を積む」とは聖人君主でいるということではない。常に自分の価値観に照らし合わせて、自分の正義に嘘をつかないことが大事なのだろう。

正義という言葉は暴力的で、世界ではこの言葉のせいで人が簡単に殺されたりする。
だが、「自分なりの正義」に忠実に生きることで、内なる平和は保つことができる。

「自分なりの正義」が他人の権利を侵害しているような奴に出会うと大変迷惑だが、そういう奴は大抵の場合人に愛されることはない。逆に「人に何かを与えること」「人として恥じない行動をすること」を自らの当然の正義としている人の周りには、自然と支えてくれる人が集まってくるものだ。

現代社会は複雑だ。外部環境がめまぐるしく変わり、何をしている人にとっても不確実な社会になっている。
それは会社経営においてもそうで、どんなに脳味噌を振り絞り、未来を予想して選んだ決断だったとしても間違えることはざらにある。

その間違いが「挫折」と呼ばれるほどのものになってしまうことがこれから先にあるとして、私は「成功」という「点」が立ち現れるのを信じて突き進まなければならない。そんな時、自分なりの自尊心が砕かれず在るために、そして今自分を支えてくれる人たちがその時にも変わらずに支えてくれるよう、自分なりの正義に忠実に生きていきたい。

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ヴォラーレSEOやめるってよ(嘘)

このままいくと、また今年のインターンイベント開催までの間ブログを書かない羽目になりそうなのと、
最近少々気になる話があるので久々にブログを書いてみることにする。

ヴォラーレSEOやめるってよ(やめません)

ご存知の方も多いと思うが、VolareにはSEOに強みを持つWebコンサルティング事業と、コンサルティング実績で培った知見を活かしてApplivというメディアを運営するインターネットメディア事業の2つの事業がある。

Webコンサルティング事業部では、(今月誕生日の)CMO土居を中心として運営するSEO HACKSというメディアの運営や、現場の前線メンバーが中心となって行う企業担当者向けのSEOセミナーの定期開催を中心に、企業向けの情報発信を積極的に行っている。

一方Applivについては、会社として今後大きく伸ばしていきたいと考えているため、この2年間多くの投資を行ってきた。そのかいもあって、現在Applivは順調にアクセス数や売上を伸ばしており、社外の方と話すときにも「メディア好調そうだね」などと声をかけて頂く機会も増えた。

ただ、「ヴォラーレ、SEOやめてメディア事業に行くらしいよ」という根も葉もない話が其処此処で言われているという話をメンバーが最近よく口にする。気になる話というのはその事である。

Webコンサルティング事業のメンバーは事業に誇りを持って働いているし、「メディア事業頑張ってるらしいよ」ならまだしも「SEOやめるらしいよ」というのはいささか心外と言わざるを得ない。

あえて!ウーハッフッハーン!!もう!一回言うけど、ヴォラーレッハアァアーー!!SEOを!ウグッブーン!!やめません。

SEOに未来はありまぁす

また、「SEOってもうオワコンでしょ!Googleからスパム食らって死亡でしょ!」という、この業界で1年に1回は紛糾する話についても、割と辟易している。

検索エンジン経由でのアクセスを無視できない以上、SEOは無くならないし、それが専門的なテクニックを要する以上、SEOという市場がなくなることはないだろう。

たしかに外部リンクを購入するWebサイトに対するペナルティの実施など、数年前には予想できなかった事がこの業界では立て続けに起きた。クライアントにまで迷惑がかかるとなった以上、外部リンクSEO市場は衰退を免れないだろう。

だが、SEOとは何も外部リンクだけを指す言葉ではなく、むしろ外部リンクに対する取り締まりが強化されたがゆえに、内部改善業務やコンテンツマーケティングを求めるクライアントは急増している。SEOは終わりに向かっているのではなく、市場内の主要な商材体系が急速に転換されつつあるだけという方が自然な見方と言えるだろう。私が以前「SEOは本当に終わるのか」という記事で書いたように、外部リンク以外の多岐に渡るSEO手法に光が当たるようになってきたというだけの話である。

Volareは、外部リンクに対するGoogleの方針を踏まえた業態転換に早期から取り組み、成功してきた。すでに新規での外部リンク販売は一切行っておらず、新規案件のほぼ全てがSEO設計やコンテンツマーケティング支援業務となっており、周辺領域となるWebコンサルティング、UI改善コンサルティングなどのサービスの提供も増加している。外部リンクSEOを提供し続け苦しんでいる企業も多い中、6月度の事業予算を大幅に達成することもできた。

こうした領域でのニーズは外部リンク市場の衰退に伴い確実に増えていくであろうし、Volareはこうした市場環境において非常に良いポジションを獲得していると思う。また、こうしたサービスの提供はそのままWebサービスの展開やその他事業のマーケティングノウハウとして活用されるため、Applivに次ぐ新規事業を見据えた際にも良い方向に事業の舵を切ることが出来たと考えている。

BtoB企業がBtoC領域で出会う逆風

「ヴォラーレ、SEOやめてメディア事業に行くらしいよ」という話が業界でなされるという事について思うのは、BtoB企業がBtoC領域で成功することの難しさである。

VolareがApplivをリリースした当初も、「BtoB企業はBtoCでは成功できない」という話を色んな人にされたのを思い出す。

たしかに、BtoBとBtoCでは使用する筋肉が全く違う。

大抵のBtoB事業においては、1年以上収益化をしないなど論外である(エンタープライズツールなどは別だけど)。一方で、BtoC事業においては最初からマネタイズしようにもユーザーがいなければ不可能だ。よって、メディアパワーの強化を優先すべきであり、当面はマネタイズを考えてはならないケースが多い。

Volareでも、Appliv事業展開にあたって最初の1年間は収益を度外視し、ユーザー集めに注力してきた。その結果、今年の3月には月間ユニークユーザーは300万人を突破、現在はマネタイズにも着手し、安定的に収益をあげる事業にまで成長してきた。

メンバーについても、SEOに強いWebコンサルタントがいるだけではBtoCでは成功できない。この2年の間に、エンジニアとデザイナー合わせて数名だったチームを20人近い組織へとスケールアップしてきた。

Webコンサルティング事業のメンバーについても、自分たちが稼いでいるキャッシュフローの多くが新規事業に投入される状況によく耐え、Applivが事業として立ち上がるのを温かく見守ってくれた。そして、逆に贅肉を削ぎ落した精鋭部隊を作り上げてくれた。

こうしたビジネスモデルの違い、必要とするチームの違い、組織内での既存事業からの協力意識など、様々な要素をクリアしなければBtoC事業を立ち上げることは出来ない。だからこそ「BtoB企業はBtoCでは成功できない」というジンクスが生まれたのではなかろうか。

「ヴォラーレ、SEOやめてメディア事業に行くらしいよ」という話が外部で囁かれてしまうというのも、ある意味BtoB企業がBtoC領域で成功する上での困難の一つなのかなと思う。

だが上述した条件をすべてクリアしてきたVolareにとって、こんな困難は正直屁でもない事だ。
引き続きVolareは両事業を展開していく。

「SEOやコンサル事業から撤退するのでは」という憶測を払拭し、Volareの前線で日本最高峰のWebコンサルティングサービスを提供せんとするメンバー達のためにこの記事を書いた。Volareのメンバーが無意味な雑音に耳を貸さず、安心して思いっきり働いてくれることを願う。

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計画的落涙

最近全くブログを更新していなかったため、新卒のH比谷には「絶対書く気ないですよね」などとdisられる始末だ。いい加減何かしら書かないと社長の沽券にも関わってくるし、今日はちょうど書くべき素晴らしい話があるので筆を取ることとする。

先週の金曜から日曜にかけて、Volare初となる内定直結型のジョブインターン「Million Doolar Bootcamp(以下MDB)」を行った。

MDBは、「投資家に事業モデルをプレゼンできる」というのがキモとなっているビジネスプランコンテストで、当社に投資をしているNVCCの奥原社長や担当の佐藤さん、クックパッド元CFOの成松さんに審査員としてご協力頂いて実施をするに至ったイベントだ。

そもそもMDBをやることになったきっかけは、私の何の計画性もない思いつきだった。
今年の9月、2014年卒内定者のS本と昼食を食べている時に、「内定直結のジョブやりてーなあ」という話をしていて、ふいに思いついた企画なのである。

結果としてMDBは大成功したし(参加者全員がアンケートで大変満足または満足にマルをつけてくれた!)、今後採用活動に「自社でジョブイベントをやる」という選択肢が増えた事はVolareにとってはとても大きな収穫だった。

しかし今回、私が自慢したいのは、なにもMDBという企画を思いついた事ではない。

集客から運営に至るまで、MDBの全てを10月に入社した2013年秋卒の新メンバーと、2014年に入社予定の内定者達に任せたこと。このことについて、私は自分の決断を誇りに思うし、同時に立派にMDBを成功させた運営メンバーを心から讃えたいと思う。

9月初頭、ざっくりした企画書をメモ帳で彼らに渡した後、彼らの動きはすさまじく早かった。

まず、冒頭で私がブログを書かない事を嘲ったH比谷(デザイナー)は、あっという間にMDBのWebサイトを作成し、集客が出来る環境を整えた(しかも控えめに見ても、このサイトは最高にカッコいいと思っている)。
参考:http://recruit.volare.jp/million-dollar2013/

薬学部出身で、この間私が飲んでいる薬を見るやいなや、「ハハン、それですね」と鼻で笑ってきたS本は、卒業前の勉強でクソ忙しい中、(たぶん)授業中にMDBのオペレーションをガシガシ考えて、抜け漏れがほとんどない運営体制を構築してくれた。

大学で草の研究をしていたのに、なぜかITの世界に飛び込む事に決めたH田野は、畑で草刈りをする合間を縫って、スケジュール管理やルール決めをしてくれた(当然彼はVolareにある観葉植物のメンテナンスも担当している)。他にも、N岡やT遠、S田はじめ、全員が何らかの役割を持ち一定の活躍をしてくれた。

わずか2ヶ月しか準備期間が無い中で、彼らは50名近い応募者を集め(全員超優秀)、全員と面接して(私も全て同席したが)16名のメンバーを選んだ。悩みに悩み抜いて決めた、16名だ。

参加者への連絡や宿・食事の手配に講師・メンター・審査員への情報事前共有など、一つのミスも許されない中で全員が脳ミソを雑巾のように絞りまくったからこそ、ほぼ全てのオペレーション、コンテンツを完璧に近いクオリティにする事が出来たと考えている。

「いま新卒とか内定者メンバーにMDBの運営を全部任せているんだよね」と社外で話すと、多くの人が「そんな大事なイベントを任せるのはリスクではないか」と言った。確かにそうかもしれないが、多分既存のメンバーが片手間でやっていたら、きっと参加者は今回ほどのクオリティを感じてはくれなかったと思っている。

最終日、運営を代表してスピーチしたH比谷が、泣きながら参加者にお礼を言っているのを見て、運営メンバーの本気さを再認識した(皆で計画的落涙だと冷やかしたけど)。本気で参加者の満足とイベントの成功を掴み取りにいくからこそ、仮に拙い部分があるチームでだって最高のクオリティに近づいていけるのだ。

新卒社員の育成について語られるとき、世間ではよく「小さな成功体験を積ませよう」と言われる。
正直言って、私はこの言葉があまり好きではない。

50人そこそこのベンチャーに入社する人間は、全員がそれ相応の覚悟を持って入ってくる。そして、Volareに入ってくる人間は、その覚悟に見合うだけのポテンシャルがあるメンバーだと私は自負している。

そういうヤツらにとっての仕事は、「全力を出さなければ成功出来ないギリギリのライン」までストレッチし、成功を「勝ち取る」事に意味があるのだと思う。MDBを経て手元に残った成功の指標は、たった16枚の紙のアンケートだが、間違いなく彼らが勝ち取った貴重な宝物だ。

彼らと作り出す新しいVolareは、きっとスゴイ会社になる。
その確信と共に、今日は筆を置く事とする。

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制度なんて器は、さっさと破壊した方がよい

Volareではこの1月に大きな組織体制の変更があった。

これまでは1人の組織メンバーが1つの部署に属するピラミッド型組織を採用していたのだが、このルールを廃止し、1人の組織メンバーが必ず2つ以上の部署に属するウェブ型組織へと移行したのだ。

以前のVolareではSEO施策を担当するメンバーはそれのみに集中し、顧客にコンサルティングを行うメンバーはコンサルのみを行うという分業化がなされていた。

しかしこの組織体制では、専門化が進むが故にそれ以外の業務についてのノウハウが個人に蓄積されない。よってWebコンサルからSEO施策、営業業務まで一貫して行える人員が育ちにくい環境が生まれてしまっていた。

こういった前提において、この制度を導入した理由は大きく分けて2点だ。

①業務の担当範囲が増えるので単純にノウハウ習得量が増える
②目標として与えられたKPIが増えるので、個々人がより多面的な視野を持てるようになる

実際に運用してみて、この体制はそれなりにワークしたのだが、
と同時に強く思う所があったのでここに記しておく。

この部署にだけ属しています、という意識は毒でしかない

1ヶ月間を上記のような体制で走ってみて私が感じたのは、メンバーの意識が帰属部署「だけ」に向いてしまってはならない、という危機感だ。

すなわち、「私はXXX部署とYYY部署にだけ所属しているので、ZZZ部署にはタッチしません」という意識が生まれているメンバーがいるのではと感じられたのだ。

これは由々しき問題だ。部署に縛られてしまうのを回避するため全員が2部署以上に所属するように組織を再設計したにも関わらず、今度はその2部署だけに縛られてしまうというのは何ともな皮肉ではないか。

組織体制や制度なんてものは、不完全な器だ。破壊するか、乗り越えよ

前置きが長くなったが、優れたビジネスパーソンは全ての制度を嘲笑わなくてはならないと私は考えている。
制度なんてモノは、メンバーが自然と組織が意図する方向に能力や視野を広げてくれるよう設計された、穴だらけの箱に過ぎないのだ。

「君は営業部署に配属ね」という言葉は、なにも「お前は営業だけやってればいいんだ」という事ではない。
「営業でしっかりと成果を出した上で自分の活躍する領域をもっと広げていきなさい」と解釈して欲しいというのが私が思う所だ。組織設計含め全ての制度は会社の人材戦略においてとても大事なものだが、制度の通りにいい子にしてるというのはとてもアホらしいしつまらない。

極端な話、「営業もコンサルもSEO施策も開発もデザインも経営も」出来た方が良いに決まっているではないか。それを「私は営業部署なので営業以外はやりません」と切って捨ててしまうのは何とも勿体ない話だ。

組織にとって大切なのは、箱の形をどう変えるかとかどの穴を塞ぐかじゃない。箱の中がどんな中身なのか、そしてその中身は箱から溢れたり、時には箱を破壊するくらい、エネルギーに満ち溢れているかどうかなのだと思う。

ウェブ型組織になり、完璧に区分けされたVolareは今年や来年は勝つかもしれない。
でもそれじゃ足りない。3年後も5年後も10年後も勝ち続けるには、制度に埋もれるメンバーだけではやっていけない。

制度なんてつまらないモノは破壊して、そこから脱却する。Volareはそういうエネルギッシュなメンバーがモリモリ頑張れる組織であり続ける。そして私含め経営陣は、破壊された制度を何度でも組み立て直して、またソレが破壊されたり乗り越えられたりするさまを見て楽しむ事とする。

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創業7年目によせて

2013年1月15日で、Volareは創業6年目を終えた。
大学在学中に起業してから、3年くらいは右も左もわからず右往左往していた。

4年目くらいから、ようやく自分なりに会社を経営していくスタイルのようなものが
確立されて、今に至っている。

まがりなりにも6年間経営をやってきたが、
過去を振り返ると数々の失敗をやらかしてきたなと思う。
しかも大抵の起業家がさくっとクリアしていくような簡単な失敗を結構やってきた。

こうした失敗を積み重ねた一方で、ある程度「正解」と言えるような決断や行動を
してきたから、なんだかんだそれなりの規模に会社が大きくなったのだと解釈している。
しかし思い返してみると「これは正解だった」等という決断の数はたかが知れているものだ。

私の過去6年間を振り返ると思い出されるのは、苦い思い出ばかりだ。

嬉しかった記憶というのは、正直数えるほどしか無い。
いや、きっともっと沢山あるのかもしれないが、苦い思い出に絡み付いた感情が強烈すぎて、
嬉しいとか楽しいとかそういう感情がなりを潜めてしまうのだ。

話が逸れるが、最近生きるとはどういう事か、とよく考える。

大抵の人間には夢がある。
私にもあるし、Volareで働くメンバーにもこのブログを読んでいる読者にも、
きっと自分なりの夢があるのだろう。

小さい頃に学校の先生が「人は夢のために生きる」とか何とか言っていた。
確かに真理なのかもしれないが、私には少し違和感がある。

だって夢はとても遠い所にあって、
少なくても10年以上の年月をかけなければ届きそうにない。

だからそんなに先の事ばかりを生きる意味にするよりも、
その夢に通じる一つ一つの道程を、より自らの血や肉に近い所にある、
足を踏み出すその先を、一歩先の未来を、自分が生きる意味の一つとして、
心の中に取り入れておきたいのだ。

未来は過去とは不可分だ。
多くの人にとって未来は過去の延長にある。

ただ、ありきたりだが、未来は変える事が出来る、と思う。
過去の延長にある予定調和の未来を実現する事を言っているのではない。

予定調和の未来を打ち破り、これまでの自分の過去と断絶された
未来を手に入れる事が「未来を変える」という事だ。

「未来を変える」事で、夢は近づいてくる。
だとすれば、生きる意味とは予定調和の未来を打ち破らんとするその姿にあるのではないか。

誰だって大言壮語は吐けるのだ。
人が人の生き様に感動するのは、それはその人の夢自体に感動する訳ではない。
まさにその人の、未来への在りように心動かされるのだと思う。

そして、未来を変えるためにかけがえのないスパイスが、過去の苦い思い出だ。
誰にだって1つや2つ位、思い返すのが嫌になる位つらい過去がなきゃおかしい。
そういう過去の存在が、予定調和を打ち破らんとする自分に教訓や覚悟、希望をもたらしてくれる。

だから過去から逃避してはいけない。
苦い過去を見つめる事は、自分にとってとても大事な事なのだ。

創業7年目はVolareにとって、
これまで以上に変化のある年になると思う。

精一杯に生きなくてはならない。
予定調和の未来に付き合っている暇はない。

過去の失敗も何もかも、予定調和の未来を打ち破るための糧にして、
創業7年目を私たちは迎える。

※追記
Applivというサービスを2012年8月に始めた。
リリース後順調にユーザー数を拡大しているので、
近々このブログでも状況を報告できるよう引き続き頑張る事とする。

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怒られるまでやってもいいんじゃないの

新卒(&中退)メンバーが奮闘している。
S藤はさっそく社内向けのシステムを1つ仕上げたし、E田は1週間で初受注を上げ新人のギネス記録を叩き出すかもしれない。

一方で、まだ思うように結果を出せないメンバーもいる。
知識が身に付いてなかったり、電話対応が上手くこなせなかったり。颯爽と働くビジネスパーソンになる事を想像していた人にとって、理想と現実の乖離は結構苦しいものだったりする。もちろん弊社の新人だけではなく、世の中には何万人もの想像していた自分との乖離に苦しむ新人がいるのだろう。

そういう状態に陥った時、最も忌むべき行動は「気にしすぎること」だと私は思う。
「駄目なヤツ」と思われたり怒られるのを避けようと、無難な行動ばかり取るようになるとロクな事がない。
一生理想の自分になる事なんて出来なくなってしまうのだ。

3年ほど前にVolareに1人の新人が入って来た。D居という男だ。彼は私の大学時代の先輩だが、別に全然仲は良くなかった。大学を中退してバイトばかりしていたのだが、自分よりもデキない社員がボーナスをもらえている事に憤りを感じていたD居は、どこかの正社員になればボーナスがもらえると考えてVolareに入社したらしい。

当時営業部を統轄していたD園はD居に「怒られるまでやってもいいんじゃないの」と言い放ち、彼はその後の数ヶ月で数十回怒られた。でも入社の1年半後、彼はSEO事業を統括する事業部長になっていた。

結局何回怒られようが注意されようが「大胆な行動で結果を出したヤツ」が評価されるのがビジネスの世界なのだと私は思う。「うちの会社はそうじゃない。ミスしたら減点されて出世出来なくなっちゃう」という人は沢山いると思うが、自分の胸に手を当てて本当にその会社で働いていきたいのか自らに問う事をお勧めする。怒られようがシバかれようが、最終的に一番結果を出せる人間に、理想の自分になればいいのだ。そう考えるとずいぶん気持ちが楽になるではないか。

逆に考えれば、「怒られる」「注意される」という事は、それ自体が自分の成長への肥やしだ。自分を育ててくれる出来事から逃げ惑い、コソコソと生きて行く事は私からするととてもくだらない事に見える。

苦い思いもストレスも自らの血肉として、理想の自分になるために大胆に突っ走るのがカッコいい。

P.S.
ちなみにVolareの給与体系には、一般的なボーナスは存在しない事をここに付記しておく。
あるのはこういう制度だけ。

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会社の歯車に関する小咄

Volareでは毎月「全社経営会議」という会が催される。全メンバーが一同に会し、経営陣が現在の経営状況の報告や今後の方針などを発表する場だ。メンバー全員で会社の戦略について考え質問や提案をする時間を設ける事で会社への参加意識を強く持ってもらう事を目的としている。

この「全社経営会議」では、毎回「○月に入社した人プレゼン」というコンテンツがある。例えば今月で言えば、過去4月に入社したメンバーが全員の前でプレゼンをするわけだ。内容は基本的にメンバーが自由に決めていいのだが、今月は人数が多かった事もあり「1分間で終わる深イイ話」という事になった。その中で、2011年度の新卒で入社したY松というヤツがすごく良い話をしていたので書き留めておきたい。

【「会社の歯車」という言葉は、よくネガティブな表現として使われるが、歯車が欠けたら機械は動きません。本当に終わってるのは1個くらいなくなっても困らない「ネジ」であって、僕はそんな役回りにはなりたくない。僕は大学院を中退してVolareに入社しました。1年間プログラマをやってきて、今ではVolareにとって欠かすことの出来ない歯車になれたと考えています。今年はそういう欠かせない歯車を動かすモーターのような仕事をしていきたいと考えています。】

概ね上記のような事をヤツは語ったと記憶している。末恐ろしいヤツである。

私は小さい頃に目覚まし時計を分解して構造を確かめたりした事があったが、大抵の機械はネジをいくつか抜いた所で直ちに挙動を止める事は無い。また、ネジが溝の数をいくら増やした所で機械のパフォーマンスは変わらない。しかし歯車の凹凸の数が変われば他の歯車の回転数も上がるし組織全体のパフォーマンスを上げる事が出来る。また、モーターの動力があがれば組織のパフォーマンスが上がる事は言うに及ばない。

起業してからというもの、「優秀とはどういうことか」を考える事がよくある。私は、「与えられた役割の中で期待以上の結果を出せる人」かつ「自分のいる環境に主体的に関わり良くしていこうという意思のある人」こそが「優秀」なのだと考えている。

特別なスキルを得ようと足掻くのも多いに結構だが、まず組織にとって最高の歯車になる事を目指してみても良いんじゃないか。そうすれば自ずとモーターとか電池としての仕事が降ってくると思うのだ。

先述したプレゼンをしたY松は新卒2年目にして、今年SEO部門のエンジニアリーダーとして技術の根幹を作り上げていく事になる。最高の歯車の地位をたったの1年で獲得した男が、どんな性能のモーターになってくれるのか。今からヤツの成長が楽しみだ。

↓プレゼンするY松。ドヤッ!!

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脱線

Volareの会議はよく脱線する。

別に狙って脱線している訳ではない。アジェンダもしっかり作るしそれに沿って話をしていくのだが、誰かが「そもそも論」を投げかけると皆がそれに食いついてアジェンダからどんどん話が逸れてしまう。

この間など、新規事業の開発会議でボタンをクリックした時のJava Scriptの動き方について話していたら、「位置はそこでは相応しくない」「そのボタンは本当にいるのか」という話に発展し、結局そのボタンは日の目を見ないまま葬られてしまった。

しかし、それで良いと思っている。

就活のグループディスカッションや大学生が催すビジネスプランコンテストの現場では、「議題から逸れない事」を説く。ファシリテーターが会議を主導して、それに基づいて議論が進行する。時間通りに会議が終わり関係者の負担にならないコツだから、という事だろう。

しかし「30分で結論まで詰めなければならない」場合ならともかく、全ての議題において、馬鹿の一つ覚えみたいに硬直的なルールを当てはめるのはいかがなものか。

そのまま突っ走ってもしょうがないのなら、今まで走ってきた道を皆で振り返ってみるのもいい。
「あの時にこういう道もあった」という発見があり、そこまで戻ってもう一度走り直す良い機会になる。

我々から見れば一つのボタンでしかないものが、ユーザーにとっては複雑でとっつきにくい機能に見える事もある。そのボタンが原因でサイトを使ってくれないユーザーを生むかもしれない。そんなもの、無理矢理サイトに搭載するよりもいっそのこと無くしてしまった方がいいではないか。
無くす事が決まっただけで、先の会議は有意義だったと思う。もちろん毎回これでは話が進まなくなってしまうが。

経営に携わった事がある人なら誰しも経験がある事だと思うが、経営者には眠れない夜というものがある。
A案とB案とC案のどれがいいかを自問自答し、誰にも相談できず悩んで考え抜く。
結果として導き出された結論がD案だったなんてのはよくある事だ。

ベストなモノを作り出すには回り道がつきものだ。
会議にしろ何にしろ、字句通りに受け取って手法論ばかり振りかざす輩が多いが、
定石だけを打って勝利した棋士はいない。

通り一辺倒な事ばかりほざく常識人は無視して、自分の信じる道へと脱線してみるのも悪くない。

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オフィス限界突破

Volareはオフィスが大塚にある。

「大塚なんて知らん!」という人のために補足すると、大塚は山手線池袋駅の近くにある風俗街で有名な街だ。

なぜ大塚にオフィスを構えているかというと、私が大学に通いやすかったからというのが主な理由だ。東京大学の本郷キャンパスがある本郷三丁目駅には新大塚駅から3駅で行ける。

そんな大塚で会社を始めて早5年となるわけだが、そろそろオフィスが手狭になってきたなと感じたのが昨年の初頭。そこで10月に大家さんに無理をいって別のフロアも借りさせてもらったのであった。※それまでは1フロアで仕事をしていて会議室が少なく手狭だった。

1フロアの増設に踏み切った私は調子に乗り、1フロア丸ごと会議スペースにしようという構想をぶち上げた。これまでに借りていたフロアは全てワークスペースにし、新しく借りたフロアは見栄えの良い会議室を集中させるという戦略だ。

この構想をごり押しして決定させた私は、オフィス内装にも相当こだわった。床は全面キレイな青色にし什器類にもお金をかけた。

10月中は役員のO谷とN澤が躍起になって内装業者と折衝し、10月の末には会議室が完成。皆が待ちに待ったセミナールームも配備された。

Volareは昨年結構な頻度でセミナーを開催していて、セミナールームのない私たちは毎回会場を借りなければなかったから、自分たちのセミナールームを持つ事を切望していたのだった。

ワークスペースとなるフロアには机と椅子が敷き詰められ、50人以上の稼働にも耐えられる体制となっていた。

「これで今年一杯までは踏ん張れる」。誰もがそう思った。

ところがそうは問屋が下ろさなかった。2013年度の新卒採用に向けたインターン生の事を誰も考えていなかったのだ。というか来たとしてもせいぜい同時に2、3人だろうとタカをくくっていた。これが明暗を分けた。

結果としてインターンは多い時には10人近くになることが判明し、新年早々私たちは顔が青くなった。どう考えても今のオフィスの中には入らない。残された選択肢は、結局1回しか使われていないセミナールームを潰すという道だけだった。

何事も前向きに捉えればなんとかなるものだ。私は「エンジニアとクリエイター専用のオフィススペースを作ろう。ヤツらの能率も上がるだろう」と即座に陽転した。特に他の選択肢も持たないメンバーはうんうんと頷く。

結果今月半ばにはセミナールームからは椅子も机も駆逐されてしまった。代わりに少しだけ上等な机や椅子、パソコンが搬入されエンジニアとクリエイター用のワークルームが出来ていく。一時的にキレイだった部屋はあっという間に戦闘的なパソコンとホワイトボードだらけの部屋になった。

エンジニアは喜んだ。営業のテレアポが聞こえない環境で開発が出来るのは結構効率が上がるものらしい。
その笑顔が少しだけ嬉しかった。少しは開発に貢献出来ただろうか。

セミナールームがなくなったのは悲しいが、結果として開発のペースは上がったようだ。一度しか使われなかったセミナールームと開発の効率とどちらを優先すべきか。答えは明白だ。セミナールームは潰して良かったのだ。

結局のところVolareのような企業にとって、いつどんな人が入社するかなんて事は、いつ鍋に春菊が入ってくるかと同じ位読めない事なのだと思う。いつ入ってくるか分からない春菊のために鍋のスペースを空けておくなんて不可能だが、それでもVolareは常に優秀な異才を欲しているし、そういう人ならいつでも歓迎する。

ワークスペースが手狭になっていく事やセミナールームがあるかどうかなんて、優秀なメンバーと働ける事を思えばウンコみたいなもんだと改めて思う。セミナールームがあるからといって優秀な人が入ってくるわけではない。結局キレイなオフィスに満足するなんて、キレイなキャンパスに惹かれて大学に入るくらい馬鹿げた事なのだ。

Volareは今後も優秀な異才を採用する事に全力を尽くす。
言い換えればそういう人に好まれる組織を目指す。

オフィスは少しだけバタバタしているかもしれないが、満足させる自信はある。

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ホワイトデーインフレーション

3月14日はホワイトデーだった。

分かり切っている事だが、ホワイトデーはメンズが30日ほど前にチョコをくれた女性に対し、翌年もチョコをもらえる事を祈願してお返しをする日だ。

Volareでは毎朝「朝礼」と呼ばれる会があって、社員が一堂に会し、社員が持ち回りでショートプレゼンテーションを行うのだが、今年の3月14日は去年とひと味違った。

朝礼が終わりにさしかかった段になって、役員のN澤が「今日はホワイトデーだから女性社員のみなさんにお返しのチョコを買ってきました」などとほざく暴挙に出やがった。

こういう時の女性の反応は一様で、
「N澤さんえらーい」「すごーい」などとN澤を崇める始末。

このN澤の凶行によって社内の男性社員に衝撃が走り、皆お返しにN澤と同等の商品を買わざるを得なくなった。当然私も朝礼が終わったその足で会社の近くのKージーコーナーに行き、一番上等なクッキーの詰め合わせを購入した。

多分今年のホワイトデー、Volareの女性社員は例年に類を見ないお返しの量を獲得したんじゃないか。

かぶせて書きたい訳じゃないが、どんな事であっても組織の中に「俺はこれだけの事をやったんだ!」と金字塔を打ち立てるヤツの存在は常に大事だ。

そういうヤツがいる事で、周りの人間がソイツに追い越し追い抜こうと頑張るし、結果として全体の能力や成績が引き上げられる事というのは往々にしてある。

Volareではこれまで何人かのメンバーがそういう働き方をして、周囲を多いに刺激しつつ組織の中でのし上がってきた。そして今年はKージーコーナーに走ったヤツの数より、そういうメンバーの方が多くいるように思う。

きっと今年は何人ものヤツがのし上がる。

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