Nyleはビジョンとミッションを変更しました

2018年8月、Nyleはミッションとビジョンを変更した。加えて、「経営方針」という概念を作り、これについても新たに制定した。この記事では、どのような意図でミッションやビジョン、経営方針を策定したのか、そして現時点で得られた効用は何かについて書いていきたい。

Nyleにおけるミッション、ビジョンの関係性

ミッションとビジョンについて語るには、まずはNyleにおけるミッションやビジョンとは何を意味するものだったのか、記さねばなるまい。過去10年において、Nyleでのミッションとビジョンは、下記のような関係性を持ち制定されていた。

つまり、ミッションとバリューはある種「表裏一体」な概念として考えられていた。

ミッション達成を目指していく中で、企業としての理想像(ビジョン)も体現されていくいう考え方で、ミッション達成が企業の至上目標であるという前提はありつつも、ビジョンもほぼ並列的な概念として重視されていたのだった。

そしてその上で、Nyleのミッションとビジョンは下記のようなものであった。

ミッション:新しきを生み出し、世に残す
ビジョン:世界で最も尊敬される企業となる

徐々に顕在化してきた違和感

約10年前に制定した上記のミッションとビジョンについて、私はここ2年ほど違和感を感じるようになってきていた。

もちろん、私自身が経営者としてその考え方を変化させて行く中で、20代前半で決定したものと乖離が出てくるのは当然のことだろう。当時は大変カッコ良いと考えていたワーディングについても、今見ると普通に結構恥ずかしいと思うものである。

主には、
・現在のミッションのワーディングには、利他性がないのではないか
・ミッション、ビジョン共に抽象度が高すぎて、メンバーに腹落ちさせられていないのではないか
・ミッションとビジョンが対等であることで、逆に目指すべきものが2つあるように感じ、意思決定の軸がぶれるのではないか
・そもそも尊敬される企業になりたいんだったら、尊敬される企業となるとか言わない方が良くね?
などの違和感、課題間について、経営陣でも議論が行われるようになり、今回のビジョン、ミッションの変更に至った(1年半以上に渡り役員合宿などで議論を重ねた)。

新たなミッション、ビジョンの関係性

経営陣で議論を重ねて行くうちに行き着いた結論としては、「そもそも論としてミッションとビジョンの関係性を見直すべきではないか」というものであった。

様々な企業について調査したが、おおまかな傾向は見られるものの企業によってミッションとビジョンの関係性は考え方が違う。であれば、「Nyleにとって最も経営陣が腑に落ちる関係性を定義すれば良いのではないか」という結論に至り、Nyleにおけるミッションとビジョンの関係性を下記のように決定した

企業にとっての最終ゴールである社会的使命(ミッション)の実現に向けて、「当面目指すべき理想像」としてのビジョンを制定した、ということである。このような形にすることで、もともとのミッション、ビジョンの関係性に対して抱いていた違和感の大部分は解消することができたように思う。

具体的には、
・長期的に目指すゴールがミッションに一本化され、最も重要なものがメンバーに分かりやすくなった
・ミッション達成の通過点としてのビジョンに、より具体的な言葉を使うことが可能となった
・結果としてメンバーに会社として目指してもらいたい方向性をクリアにアウトプットできるようになった
というのが、現時点での手応えである。

Nyleの新たなミッションとビジョン、そして経営方針

このようなミッション、ビジョンの関係を前提としつつ、Nyleが制定した新たなミッション、ビジョンについて発表したい。

新ミッション:社会に根付く仕組みを作り、人々を幸せにする

ミッションとしては、基本的には旧ミッションである「新しきを生み出し、世に残す」において言わんとしていた、「世の中に残るモノを作る」というメッセージは言葉を変えて残しつつも(そもそもこれが私の起業の理由であるため)、「人々を幸せにする」という利他性の高い言葉を盛り込んだ。

どのような業種業界のビジネスにおいてもそうだが、「儲かるビジネス=人を幸せにするビジネス」ではない。これを理解していない企業は倫理観を失い、結果として人々のためにならない事業を行いがちである。

私たちNyleは、あくまでも「人を幸せにする」取り組みを通じて、社会に根付くモノを残していきたいと考えている。

新ビジョン:デジタルマーケティングで社会を良くする事業家集団

また、ミッションとビジョンの関係性見直しに伴い、ビジョンについては抜本的に変更した。

Nyleは企業向けのコンサルやメディアを手がけ、今年からは自動車マーケットにも参入するなど、「色々手を出している会社」である。

だがNyleの戦略として一貫してあるのはデジタルのマーケティング知見を生かすという基本戦略であり、社内で醸成したマーケティング力を活用して事業をやっているという点が特徴となる。

加えて、私たちは自らを「事業家集団」と定義し、数々の事業に挑戦していくことを宣言する。

この言葉を決めるにあたっては色々と議論があった。

「技術にしろマーケティングにしろ、エキスパートを目指す人は事業そのものには関心を持てない人も多いのではないか」という意見については確かにその通りかもしれないと考えており、迷いもあった。

が、現時点での結論としては「エキスパートは大歓迎。育成投資もしていくが、事業があってこその技術であり投資なのだから、全てのエキスパートに事業への関心も持ってもらいたい」という方向で、経営陣一同が一致している。

経営方針:100の事業を創出し、10の事業を世に残し、1つの事業で世界を変える

Nyleではこれまで、かなり厳選をして新規事業を検討、実行してきた。

しかし、これまでのやり方では、私たちが目指している規模感に到達するまでの速度感としてあまりにも遅きに失すると考え、今後はより多く打席に立ち、新しい事業開発に取り組んでいこうという意思決定を下している。

新しい事業の立ち上げには常に失敗も伴う。だが、失敗をするということに対し、それが当たり前であり許容すべきものであるということを明確にすることで、失敗すらも糧に変えていける組織が作られると私は思う

そこで、新たに経営方針という概念を導入し、数々の事業に取り組み、その中から10%で良い、世の中に残る事業や世界を変える事業を輩出していくのだ、という宣言を社内に行った。打席に何度も立つ、その中から一握りの大成功を得ていく、ということである。

企業におけるイデオロギーと経営者はどのように付き合うべきか

上記のような内容について、Nyle経営陣は非常に多くの時間を議論に使い決定するに至った。
今回のミッションやビジョン、経営方針という企業にとってのある種の「イデオロギー」の刷新が、どのように働くかはまだ定かではない。

だが、現時点で一つ言えることとしては、企業はこうしたイデオロギーとの向き合い方に妥協をしない方が良い、ということである。正直、Nyleの今回のイデオロギー変更はかなり遅かったと反省をしているのだが、それでも真剣に向き合い修正できたことは大変良かったと思っている。すぐに、感じられるメリットとして、下記についてはすでに手応えを感じているので共有しておくこととする。

①経営陣同士の視座観を合わせることができる
経営陣がどのようにイデオロギーを捉えているかがズレていると、どうしても日々のマネジメントアウトプットに影響が出てしまうと思う。私たちは1年半に渡り、あえて即決せずに議論を尽くしてきたことで、Nyleという会社が目指す方向性や守るべき企業倫理などについて多様な話し合いをすることができた。こうした視座のすり合わせによって、経営上の意思決定において「何を大事にすべきか」という観点での議論をする時間が良い意味で減ったように感じている。

②メンバーへの強いメッセージ発信を通じて覚悟を問うことができた
ミッションやビジョンの変更は、「Nyleに在籍するメンバーがNyleにいる理由」や「Nyleにいることで得られるであろうキャリア」について、ある程度揺さぶりをかけるものだと思う。今回の変更により、強く「この会社でやれることは楽しそうだ」と思う人もいれば「この会社の方向性は自分に合っていないのではないか」と思う人もいるだろう。仮に後者のようなメンバーがNyleを辞めてしまったとしても、それはそれで良いと私は思っている。同じ船に同じ志で乗れないのなら、志を同じくする別の船を探す方が良い、ということもある

また、上記の他にも、企業の方向性が明確化されることによる採用力強化などはかなりの確度で成果として得られるのではないかと考えている。

とはいえ、目指すものが抜本的に変わるわけではない

ミッションやビジョンが変わったとはいえ、それによって企業の目指す場所が全く違うものになったわけではない。

どちらかというと、自分たちが目指してきたものを言葉として再定義することで、より正確に、速度を上げて、目指す場所にたどり着けるようになる、というのがその本質だと私は考えている。

Nyleは引き続き、「デジタルマーケティングで社会を良くする事業家集団」として、事業に集中していく。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

カルモ発表と新年の抱負

もはや今更感があるが、2018年が始まった。
2017年、一度も更新しなかったこのブログだが、久々に更新をすることとする。

「マイカー賃貸カルモ」を発表

本日ナイルの新規事業となる「マイカー賃貸カルモ」の発表を行った。現在はティザーサイトとして事前登録の受付を開始したに留まるが、近日中に正式なリリースを行う予定となっている。事前登録に参加するとリリース後の契約時に30名先着で5万円のキャッシュバックを受けられる。ご興味ある方はぜひ登録してみてほしい。

カルモは、ディーラー店舗などに赴かなくてもリーズナブルな月額料金でマイカーに乗ることができるサービスとなっている。契約期間はライフスタイルに合わせ1年から9年で選ぶことができ、車はお客様の家まで納車される。また、車を手に入れた後のカーライフまでをサポートする顧客向けサービスを順次開発していく予定である。

このサービスは私が主導してプランニングを行なったのだが、思いついたきっかけは父の存在であった。

1年ほど前のある日、父と会った際、父はヤフオクで車を買おうとしていたのである。

当時の私には、「車とは現車を見て試乗してから買うものである」という先入観があった。また、父はLINEなどを使い始めたばかりのいわゆるITリテラシーが決して高くない人物であるため、そのような人がヤフオクで車を見つけ、業者と交渉をしているという事実にひどく驚いたものである。

その後、様々な事業者と話をしていくうちに、「ネットで車は売れない」という先入観はもはや過去のものとなりつつあるのではないかという仮説に思い至った。

以前に比べ、インターネット上には情報が溢れている。車についての情報ももはや網羅されていると言って差し支えない。そのような状況では店舗や営業マンの存在意義は薄れつつあるのではなかろうか。一括して情報が掲載されており、申し込みまでできる。しかもリーズナブル。そのような合理的な形を人々は求めていると思う。

上記のような観点から、カルモでは当面「面倒なディーラー巡りをしなくてもリーズナブルに車を手に入れられること」「乗っているクルマについての困りごとをインターネットで便利に解決できること」を実現させていきたいと考えている。

自動車産業を主役として社会に起こる変化

自動車産業には今後十数年の間に多くの革命的な変化が起きていく。

ハイブリッド、EVを始めとしたエコカーが主流になること、Uberを始めとした「カーオンデマンド」の世界観の浸透、インターネットに車がつながるコネクテッドカーのコモディティ化、そして自動運転である。

それらは自動車産業の中だけで完結する変化ではなく、公共交通や都市のありかた、環境への配慮、さらに言うならば「人やモノの移動」という壮大なテーマに関わる大きな変化となるであろう。端的に言うと、人々の時間は今以上に「増加」し、都市という概念はさらに広がると考えられる。「移動」に必要となる時間的、意識的、労力的コストが大幅に低下するからである。

そのような未来が確定的である中でも、自動車産業におけるヒエラルキーの頂点はメーカーをはじめとした「ものづくり」の世界の住人たちである。少なくても当面の間は。だが、既にヒエラルキーの構造は大きく変化し始めている。こうした変化は等比級数的な拡がりを見せ、数年後には社会の様相はかなり変化していると思う。

大きな機会を捉えることを可能にするのは、いつでも急成長する市場ないし急変化する市場においてである。

自動車産業は、巨大産業であるがゆえにベンチャー企業が参入しづらい市場である。一方で、今後急激に変化する市場であるというのも間違いない事実だ。業界の構造を学び様々な事業者との連携を重ねていくことで、大きな影響力がある事業作りは決して不可能ではないと私は考える。

上述した4つの大きな変化の中で、自動車領域におけるシェアリングエコノミーの本格化に先立ち、「所有」の概念が変わってくる。カルモでは、「所有」と「共有」の中間的な立ち位置にある「月定額制の賃貸」という形式を取り入れつつも、これから十数年の大きな時代のうねりを捉えるための仕掛けをしていこうと考えている。

日本という世界に誇るモビリティ先進国において、IT企業というユニークな立場から産業に関わっていけることは刺激的だ。未来を楽しみにして取り組んでいきたい。これに賛同し志を共にする方がいるのであれば、ぜひナイルの門を叩いて頂きたい。

新年の抱負

さてカルモの話はここまでにして、ナイルの経営者として新年の抱負についても述べておきたい。

今年のテーマは、「現在の延長から脱却する」である。

これまで11年間にわたり企業経営をしてきた(実は本日が創業記念日である)が、はっきりしていることがある。それは世界、ないし日本においてすらも私よりも遥かに優れた経営者、というか起業家達がいる。つまり、自分のこれまでの経営の仕方は必ずしもベストプラクティスではないということである。

AlphaGo同士の対局において、プロ棋士でも意図が不可解な打ち筋が多くみられたという話を以前聞いた。もし仮にこの世に起業家の働きをするスゴイAIがあったとして、私と同じ立場から事業を始めたとしたら、おそらく今の私では思いもつかないような打ち手を大胆に打つだろう。

だから、これまで自分が「何となく気持ちが悪いからやらなかったこと」「何となく怖いからやらなかったこと」について、やる上での合理的な理由が見出せるなら、積極的に取り組んでいくことにしようと思う。もちろん人間の想像力には限界があるのだが。

こうした前提の上で、2018年は下記の3つを抱負としたい。

1・ 事業の多角化を推進すべく、「自分が考える」ではなく「人に考えてもらう」経営者となる

ナイルでは上述したカルモ以外に、2つの既存事業を展開しており、それぞれに事業責任者が数字にコミットしている。また、事業以外の組織開発やコーポレートについても、ボードメンバーがそれぞれの役割を持ち働いている。

こうした事業面および組織面について、以前は私自身も戦略策定に加わっていくことが多かった。だが、複数の事業を大きくスケールさせつつ組織を強化していくためには、このやり方では正直見合っていないと感じることが多くなってきた。

そこで、2017年からやり方を変えてきてはいたのだが、2018年はさらに一歩踏み込み、ひたすらにボードメンバーの良きメンターとして事業戦略や彼らの能力、視座が大きくストレッチするための刺激作りを積極的に行っていこうと思う。自分が脳みそになるのではなくて、彼らの脳みそに適切な刺激を与えられるポジションになるイメージである。

2・2017年に大きく芽吹いた、ICOを中心とする非中央集権の枠組みを考察する

2017年から仮想通貨界隈はものすごい盛り上がりを見せている。

自分の周りでも仮想通貨投資で大きく儲けた人が量産されている状況となっており、社会的には、いわゆる「バブル期」を知らない若い世代が「仮想通貨バブル」を満喫するお祭り状態になっているように思う。

だが、多くの仮想通貨投資は「投機」としか言えない様相を呈している。一部の「分かっている人」よりも遥かに多くの「分からないけど儲かるから投資している人」が存在し、そしてこれからも急増していくはずだ。

それは消して悪いことばかりではなく、仮想通貨という領域にマネーが流れ込むことで、より「実用」の伴った付加価値が生まれやすくなるという点において喜ばしい。だが、一方で「実用の伴わないモノ」については価値が膨れ上がる根拠は本来乏しいというのもまた事実であろう。そうしたものは、どこかのタイミングで淘汰されていかざるを得ないのではなかろうか。

「投機はよくない」と言うつもりはない。若い世代が既存の中央集権的なマネーの枠組の外で(といっても多大な制約を受けつつではあるが)経済的利益を享受できるというのは良いことだと個人的には思う。だが、起業家の役割とは「実用」、すなわちリアルな社会における付加価値を作る部分ないしその礎となるモノに向くべきであろう。

この領域については私はほぼ門外漢であり、不勉強な部分が多々あると自己認識している。よって、今年はICOを始めとした非中央集権の枠組みについて学習し考察し少なくとも自分の考えを正々堂々と述べられる状態を目指していくこととしたい。

技術的な観点はもちろんだが、どちらかと言えばビジネスにおいてどのような応用範囲があるのかといった観点を考え、フィットするのであれば自社のビジネスにも応用して「実用的な価値」を作りたいものである。

3・オンライン、オフラインを問わずアウトプットの絶対量を増やす

2017年はアウトプットの量がかなり減ってしまったと反省している。Facebookではそれなりに投稿を行っていたのだが、全然足りていないと感じている。

そこで、2018年はオンライン・オフライン問わず多くの発信をしていきたい。また、発信の内容についても、これまでは発信してこなかったような分野においても考えを述べていくこととしたい。

特に、カルモという事業に取り組む以上、特に「自動車産業」「移動革命による社会変容」については自らのメインテーマとして重視していこうと考えている。実はすでに自動車業界のセッションにてパネル登壇のお話もいただいている。こうした機会についても積極的にお受けしていきたいと考えている。

おわりに

いずれにせよ、今年は面白い年になりそうである。

ナイルに関して言えば、昨年から仕込んできた新規事業がリリースされ、その感触を掴む年になると考えている。実はカルモ以外にも全く別の領域でリリースを予定しているメディアもあるのでそちらも今から楽しみだ。

一方、世の中に目を向けると、多くの市場において話題と変化に事欠かない。2017年はスマートフォンの登場以来の大きなパラダイム変容がいくつかの領域において起こり、さらなる変化に向けた土壌が整った一年であったように思う。

2018年はそうした土壌に芽が出て花が咲き、さらに加速度的な変化が生まれる一年になるだろう。一つの企業、一人の個人にできることに限界はあれど、この最高にエキサイティングな時代に生まれたからには挑戦を楽しんでいきたい。

本年度もどうぞよろしくお願いいたします。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

「効率化」は起業家の仕事ではない

先日、日経新聞でも取り上げて頂いたが、昨日をもってNyleはApplivのインド版・シンガポール版含む海外9カ国での展開を無事開始した。これでApplivは、日本を含めると10カ国に展開するグローバルサービスとしての歩みを始めたことになる。

海外展開はまだまだ投資のフェーズにある取り組みではあるが、これがどのように結実していくのか楽しみでならない。以前書いた記事の通り、暗中模索しながらも世界中の人にとってより良いアプリが見つかる世界の実現を目指していきたいと思う。

さて、前回の記事からそれなりに時間は空いてしまったものの、2016年はブログを例年よりも更新していこうと考えている。本日は、事業とは直接関係ないものの最近大事にしている考えを記事にしてみたい。

テーマは誰でも聞いたことがあるだろう言葉「効率化」そして起業家の時間の使い方についてである。

組織が効率化をする理由

前提として人生は有限である。よって何をやるのか考えるのかというのは大事なテーマだ。
誰とでも会い、何でもやり、どんなことにも思いを馳せるというのはやめた方が良い。大抵の場合、単なる中途半端なヤツになってしまうからだ。

やりたい事とかテーマが決まっているならあとは実行あるのみなのだが、殊に会社を作り組織と事業を大きくしていくとなると厄介な問題が起きる。いわゆるコミュニケーションコストというやつである。

どこかの誰かから聞いた話だから正確性は知らないが、夫婦であっても互いの人格に対する理解度は平均的には十数%程度しかないのだとか。であるとしたら、過去の人生においてほとんど関わってこなかった者同士が100人も集まればとんでもない事になるのは想像に難くない。だからこそ組織論やら企業論やらというものが取り沙汰されてきたのだと思う。

このコミュニケーションコストを最小化するための取り組みが「効率化」であるといっても過言ではないだろう。無駄な資料は作らない、不必要な会議は開催しない、会議の参加者は極力絞る、ミッションと権限はセットで与えるなどがそれだ。組織や事業が巨大な歯車だとするならば、いらない歯車を取り除いたり、歯車と歯車を組み替えたり、歯車同士のつなぎ目に潤滑油を塗ったりすることが効率化であると言える。

そして、組織としての柔軟性や機動性を担保することで、事業を推進する一助となるのが効率化の目的である。
やればやるほど効率化は進むし結果として売上や利益といった成果も出る。それ自体は素晴らしいことなのだが、効率化やその結果としての足元の収益にばかり目が行くようになると起業家としては良くないサインではないかと私は思う。

効率化しようがないことについて

効率化がすべきでないこともある。正確には効率化しようがないこと、とも言えるかもしれない。

例えば経営陣の信頼関係を効率的に構築するというのはなんだか違和感のある言葉だ。別に経営陣じゃなくても、同じプロダクトを開発する開発チームとかデザインチーム、数字を追う営業チームだって同じだろう。チームの状況を調査するサーベイなどを用いればある程度可視化出来るものなのかもしれないが、基本的にはチームビルドを数値化することはなかなか難しい。

同様に、事業モデルを考えることも効率化はなかなか出来ないし、すべきではない。効率的に100個のビジネスモデルを考えるよりも、渾身のビジネスを1つ考える方が良い結果になる可能性はそれなりに高いだろう。

そして何より、企業として何を大切にしていくのかという命題にも効率化で回答することは難しいだろう。KPIと睨めっこしたり、組織の中の無駄な仕事は何だろうと考えても、私たちは企業としてこういう倫理観を持って経営しようという話にはならない。

論理の力では100を1,000にすることはできない

効率化というのはオペレーションの領域で起きていることである。100の収益を110や120にすることは出来るかもしれないが、1,000にすることは出来ないだろう。仮に出来たとしたら前が悪すぎたというだけの話である。

しかし効率化できない領域においてはそれがあり得る。iPhoneもGoogle検索もおよそ世間を賑わせているあらゆるテクノロジーやプロダクトは効率化の発想から生まれたものではない。もちろんそれらが世に産み落とされてからは様々な改善の積み重ねによりクオリティを上げたりコストを下げたりする作業はとんでもなく大事になるが、アイデアが世に産み落とされるその瞬間___0が1に変わるその瞬間までは効率化など何の意味も持たない。

頭が良い人にやらせれば起業家と同等ないし同等以上の水準で効率化可能な仕事はやってのけるだろう。しかし、効率化できないものについて、少なくても企業成長の初期段階においては、起業家以外のメンバーが考えて決めるというのは困難なケースが多いと思う。

なぜなら企業の初期段階であればあるほど、効率化すべきでないものの多くは企業の根幹に関わること___すなわち、「何故起業するのか」「何を実現したいのか」「何故それを実現したいのか」「どんなサービスで実現するのか」「メンバーにはどんな働き方をしてもらいたいのか」「どんなメンバーを集めたいのか」「どんな組織にしたいのか」などの企業としてのストーリーや倫理、そして存在意義を定義する作業であることが多いからだ。

これらの決め事は、それが決まった所で即座に収益を上げるものではないが、中長期的に見た時に100を1,000にするイノベーションを生み出す可能性がある決め事だと思う。効率化の先に1,000の地平がないのであればどこにあるのか。言うまでもなくこの0→1が生み出される瞬間に決まっている。

とはいえ、生き抜かなけば何も始まらない

言うは易し、行うは難しである。

効率化不可能な領域にある1,000の地平を拓き得る物事に集中しようにも、多くの場合起業家はその他のあれこれに悩むことになる。起業したばかりにも関わらずキャッシュが豊富で、優秀なメンバーが揃っているスタートアップなどそうはないだろう。どんな企業もある程度は直近の収益に目を向けざるを得ないケースが多いと思う。

かといって、毎月の売上や利益に目を奪われすぎると、何をやりたくて会社を経営しているのかではなく、今収益をやるために何をすべきかを考えるようになる。するといつの間にか本来の目的が霧散し、平々凡々とした企業になり下がりかねない。

起業家にとっての困難は、空に浮かぶ星を見つめながら足元にも気を遣わなければならない所だ。星ばかり見ていても足元を掬われるし、足元ばかり見ていたら永遠に望む場所には辿りつけない。夢と現実の適切な均衡点をどこに置くかに、起業家はその素養を問われるのかもしれない。

意識の向かう先をプログラムすることで思考をコントロールする

以前Facebookで以下のようなエントリーを書いた。

【意識を何に配るかで、人は構成されている】意識を配る対象と配らない対象を明確化するのは経営者にとって絶対的に大事な能力だよなぁと最近思います。会社が大きくなってくると10人20人の頃にはディテイルまで見れていたことが靄がかかったような感覚…

Posted by 高橋 飛翔 on 2015年5月28日



この時よりももう一歩進んで、近頃私は意識の向かう先を意識的にプログラムするようにしている。

トートロジーに見えるかもしれないが、意識というものが自己発生的に何かに向かっていくものであるからこそ、そもそも考えるべき事、考えるべきでない事を事前に自らに課しておくという意味だ。

仮に自分が考えるべきでないと決めた領域で何か問題が起こったとしてもそれは捨てるしかない。
逆に言うと、自分が考えるべきでないと決めた領域については誰かが考えたり解決するようミッションを設定するということである。

組織論の教科書によく「権限委譲が大事」という話が出てくるが、多くの場合それはメンバーがより主体的に考え動くようになるためという文脈であるように思う。だが実は、会社の中に「考えないと決めた」領域を作ることで、自らの限られた思考のリソースを「考えると決めた」領域に投入し、結果として高いパフォーマンスを出すというのが、殊起業家にとって権限委譲が大事な理由なのかもしれない。

こうして意識の矛先をプログラムすることで、思考におけるオペレーションとイノベーションの比率をコントロールし、結果として星と足元を同時に見られるようになれば、会社のフェーズが変わっても常に論理と閃きの均衡点に立つことができるのではないか。

ちなみに私としては、その中で閃き___効率化できないもの、最終的にはイノベーションの種になるものを模索する比率を上げていくことで、Nyleが100から120になるのを助けるのではなく1,000や10,000の世界に羽ばたく可能性の萌芽を見たいと思っている。そこに効率性という概念はない。もしかしたら徒労に終わるかもしれない。しかしその領域で何かを生み出し続けない限り起業家としては失格だと思うのだ。



余談だが、エジソンが言ったとされる言葉「天才とは、1%の才能と99%の努力である」という言葉は誰もが知っているだろう。だが、この訳は誤訳だという説がある。

エジソンの言葉はこうだ。
“Genius is one per cent inspiration and ninety-nine per cent perspiration.”
「1%の閃きがなければ99%の努力は無駄である」

効率化とか合理化とか論理が実現できる世界には限界がある。

もしかしたら、いや確実に、エジソンは知っていたのだろう。
天才と呼ばれる領域に到達するには、1%の非論理の力が必要であることを。

起業家として高みを目指す以上は私たちもきっと、知っておくべきでしょうね。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

愛と正義とレジリエンスの関係性

レジリエンスという言葉がある。

「精神的回復力」や「抵抗力」などと訳される心理学用語らしく、「脆弱性」の反対概念に位置する自発的治癒力の意味なのだとか。つまり何かがあった際に、心の平衡を保つ力のことをレジリエンスと呼ぶらしい。

先日、NewsPicksというサービスでアリババの創業者ジャック・マーについてのコラムが掲載されていた。
「最初の起業、失意の失脚、そしてアリババ創業へ」

この記事のコメント欄で、とある方が「これぞレジリエンスでしょうか」と書いていたのを見て初めてこの用語を知ったのだが、「挫折からの成功」というと、多くの人にとって最初に想起されるのは故スティーブ・ジョブズではないだろうか。

彼はスタンフォード大学でのあまりにも有名なスピーチで、
「未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです」
というメッセージを残している(※引用元)。

大抵の人間にとって「挫折」という「点」が起きた時、それを未来へと繋がる「線」で捉えることは難しいだろう。だが、その先の成功に向かうためには、挫折という「点」がいつか「線」になることを信じ、心の平衡を保って進まなければならない。何らかの失意に沈んだとしても、何かを信じることで自分を奮い立たせなければならないのだ。

そういう時、人は何を拠りどころにすればいいのか。ジョブズの言うように「なんでもいいから、とにかく信じろ」とは一つの真理だろう。だが、私は他にとても大切なことがあると考えている。

自尊心や愛が心の平衡を支えてくれる

Wikipediaで参照しただけの情報だが、心の平衡を支える「レジリエンス因子」なる言葉が心理学の世界にはあるらしい。代表的なものは「自尊心」や「支持的な人がそばにいてくれること」「安定した愛着」なのだとか。

レジリエンスについて調べこの言葉について知った時、私の中で色々と腑に落ちるものがあった。

私自身、これまで挫折とは呼べないまでも、経営者として精神的にしんどい経験は色々と積んできたつもりだ。

そんな時、自分を信じる根拠になったのはいつだって「自分は人として或いは経営者として正しいことが出来ているのだろうか」という自問だった。

こうした自問に気持よくYESと答えられるときには、どんなにしんどい時であっても前に進めた。一方で、NOと答えざるをえないような事をしでかした時には、自分の精神のバイオリズムは悪い方向に向かいだし、行いを正すまで良い方向には戻れない。

「徳を積む」という考えがあるが、人は自らに恥じない行いをすることで、自己を承認し自尊心を得られるのだと思う。正しい行動をすることで自尊心が育まれ、結果としてレジリエンス=心の平衡が得られるのなら、正しい事をすることについて「ルールだから」とか「自己満足のため」とか「社会のためになることだから」といった杓子定規の価値観とは、ちょっと違った風景が見えてくる気がする。

「徳を積む」とは聖人君主でいるということではない。常に自分の価値観に照らし合わせて、自分の正義に嘘をつかないことが大事なのだろう。

正義という言葉は暴力的で、世界ではこの言葉のせいで人が簡単に殺されたりする。
だが、「自分なりの正義」に忠実に生きることで、内なる平和は保つことができる。

「自分なりの正義」が他人の権利を侵害しているような奴に出会うと大変迷惑だが、そういう奴は大抵の場合人に愛されることはない。逆に「人に何かを与えること」「人として恥じない行動をすること」を自らの当然の正義としている人の周りには、自然と支えてくれる人が集まってくるものだ。

現代社会は複雑だ。外部環境がめまぐるしく変わり、何をしている人にとっても不確実な社会になっている。
それは会社経営においてもそうで、どんなに脳味噌を振り絞り、未来を予想して選んだ決断だったとしても間違えることはざらにある。

その間違いが「挫折」と呼ばれるほどのものになってしまうことがこれから先にあるとして、私は「成功」という「点」が立ち現れるのを信じて突き進まなければならない。そんな時、自分なりの自尊心が砕かれず在るために、そして今自分を支えてくれる人たちがその時にも変わらずに支えてくれるよう、自分なりの正義に忠実に生きていきたい。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

今ありきでゴールを設定するのと、ゴールありきで今を変えるのは全然違うという話

前々回「ヴォラーレSEOやめるってよ(嘘)」という記事を、当社コンサルティング事業部メンバーを奮い立たせる目的もあって書いたのだが、交流会などで「ヴォラーレSEOやめるらしいですね!!」と言われたメンバーがいるらしく、世の中なかなか思うようには行かないなぁと思うばかりである。

ところで、
ビジネスにおける「バカ」のポジティブ変換は「素直」ではなく「天才」だ

という記事が周囲でバズっていて、この記事に関連して当社D居がこんな記事を書いていた。
「拒絶」と「反論」は似ているようで全く違うという話

経営者の無茶ぶりに対して、「阿呆か」と思うか「こいつ天才かも」と思うか。
部下が経営者をどう捉えるか、脳みそを振り絞り経営者の無茶ぶりの実現のために動くか否かが、企業の成功を分けることもある。

ビジネスには自分の見えてない色々な側面があるものなのだから、無茶ぶりされたとしてもまずは一旦飲み込んで、実現できる方向で考えた上であれこれ意見出してみたほうがいいじゃん、という話である。

この2つの記事、全くもってその通りだなと思うのだが、数々の無茶ぶり(と思われること)をしてきた経営者として思う所があったので記事にしてみたいと思う。

今ありきでゴールを設定していると予定調和の未来しか訪れない

私は「ゴールありきで今を変えていくべき」という思想を強く持っている。
会社を始めた時は「金無し(資本金300万円はあったけど)物無し人材無し」のナイナイ尽くしの状態から始まった。しかし当時何もない中でも、「日本を代表する企業を作る」という高い目標を掲げ、それを達成する方法を必死で考え、幾度の失敗を重ねながらも少しずつ前進してきた。

Volareの場合、幾度のPivotを重ねて、SEOサービスに注力することで事業としては成長させることが出来たのだが、この「SEOに注力する」という決断を下した時には社内的にも多くの反対があった。

今扱っている商材だけでもそれなりに売上を立てられているではないか、SEOへのノウハウも中途半端な状態で参入しても先行企業がある以上事業として成立しないのではないか、など色んな意見があったわけだが私はこれを断行した。

もちろん私もSEOに注力すべき様々な理由を持っていたが、一番大きな理由は、「死なないために会社をやってるわけじゃない」ということであった。

10数人でやっていくだけなら今の事業でも可能かもしれない。しかし、会社として利益を出し、新しいことに投資をし、日本を代表するような企業を作っていくためには、それまでの延長線でビジネスをやっていてもダメだという確信があったのだ(もちろんSEOだけでそういう企業が作れるとも思ってないけど)。

何が言いたいかというと、起業家は(少なくても私は)最初何も持っていないのだ。
最初に持っているのは目標とか夢とか言われるものだけしかなかった。

である以上、今ありきでゴールを見据えても何の意味もない。
今の積み重ねで予想可能な未来なんてつまらない。

ゴールありきで今何をすべきかを考えていくべきなのだ。
私にとっては、そういう選択の繰り返しの結果として今があるだけなので、ゴール達成のために今に固執しその延長で考えるというのは滑稽な話でしかない。

「今これで一定の成果を挙げているのだから」というのは今を変えない根拠に値しない。
なぜなら今を変えることで、目標とする未来にもっと早く辿り着ける可能性が常にあるからだ。

人生は短い。私は今28歳だが、仮に経営者として60歳になるまで一線に立てるとしても、あと30年ちょっとしかない。事業をやってみると分かるが、30年というのはあっという間だ。一つの事業を立ち上げ、ある程度軌道に乗せるまでには3〜5年はかかるからだ。

もっと早く。もっと強く。もっとすごいものを。
そういう衝動を大切に、今を変えるのが当たり前という感覚でいないと、目標が大きければ大きいほど達成は困難になる。Volareが、SEO事業が収益化できた時すぐさま新規事業「Appliv」にとりかかったのも、目標とする未来に早く辿り着くために他ならない。

実現を信じるのが良き幹部なら、実現を信じさせるのが良き経営者だと思う

とはいえ、全員が全員経営者とか起業家の視点を持っているべきというのはいささか乱暴だ。
経営者としては、冒頭に挙げたブログのような姿勢で取り組んでくれるメンバーは多ければ多いほど良いが、全員がそうなるというのは現実的に考えて不可能に近い。

私は経営者の重要な仕事の一つに「実現を信じさせること」があると思っている。
企業、特にベンチャーというものは不確実な未来を実現しようと進んでいくものだ。
その目標が大きかろうと小さかろうと、実現可能性が高かろうと低かろうと、組織のメンバーから「無理っしょ」と思われてしまったら、もはやその実現は不可能になる。

だからあの手この手を使い、時にはプレゼンで時には対面で、目標が実現した未来やどうやって実現するのかを説き、全員とは言わずとも少しでも多くのメンバーに「こいつの話、本当に実現するかもしれない」と信じてもらうことがとても大切だ。

経営者は遠大な目標を掲げその実現を信じさせようと努力し、幹部は経営者の掲げる目標の実現を信じようと努力する。メンバーの中からも幹部同様に考え実現のための手立てを考えるヤツが続々出てくる。そういう組織はとても強い。

Volareがそう在るよう、私も努力していこうと思う。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

計画的落涙

最近全くブログを更新していなかったため、新卒のH比谷には「絶対書く気ないですよね」などとdisられる始末だ。いい加減何かしら書かないと社長の沽券にも関わってくるし、今日はちょうど書くべき素晴らしい話があるので筆を取ることとする。

先週の金曜から日曜にかけて、Volare初となる内定直結型のジョブインターン「Million Doolar Bootcamp(以下MDB)」を行った。

MDBは、「投資家に事業モデルをプレゼンできる」というのがキモとなっているビジネスプランコンテストで、当社に投資をしているNVCCの奥原社長や担当の佐藤さん、クックパッド元CFOの成松さんに審査員としてご協力頂いて実施をするに至ったイベントだ。

そもそもMDBをやることになったきっかけは、私の何の計画性もない思いつきだった。
今年の9月、2014年卒内定者のS本と昼食を食べている時に、「内定直結のジョブやりてーなあ」という話をしていて、ふいに思いついた企画なのである。

結果としてMDBは大成功したし(参加者全員がアンケートで大変満足または満足にマルをつけてくれた!)、今後採用活動に「自社でジョブイベントをやる」という選択肢が増えた事はVolareにとってはとても大きな収穫だった。

しかし今回、私が自慢したいのは、なにもMDBという企画を思いついた事ではない。

集客から運営に至るまで、MDBの全てを10月に入社した2013年秋卒の新メンバーと、2014年に入社予定の内定者達に任せたこと。このことについて、私は自分の決断を誇りに思うし、同時に立派にMDBを成功させた運営メンバーを心から讃えたいと思う。

9月初頭、ざっくりした企画書をメモ帳で彼らに渡した後、彼らの動きはすさまじく早かった。

まず、冒頭で私がブログを書かない事を嘲ったH比谷(デザイナー)は、あっという間にMDBのWebサイトを作成し、集客が出来る環境を整えた(しかも控えめに見ても、このサイトは最高にカッコいいと思っている)。
参考:http://recruit.volare.jp/million-dollar2013/

薬学部出身で、この間私が飲んでいる薬を見るやいなや、「ハハン、それですね」と鼻で笑ってきたS本は、卒業前の勉強でクソ忙しい中、(たぶん)授業中にMDBのオペレーションをガシガシ考えて、抜け漏れがほとんどない運営体制を構築してくれた。

大学で草の研究をしていたのに、なぜかITの世界に飛び込む事に決めたH田野は、畑で草刈りをする合間を縫って、スケジュール管理やルール決めをしてくれた(当然彼はVolareにある観葉植物のメンテナンスも担当している)。他にも、N岡やT遠、S田はじめ、全員が何らかの役割を持ち一定の活躍をしてくれた。

わずか2ヶ月しか準備期間が無い中で、彼らは50名近い応募者を集め(全員超優秀)、全員と面接して(私も全て同席したが)16名のメンバーを選んだ。悩みに悩み抜いて決めた、16名だ。

参加者への連絡や宿・食事の手配に講師・メンター・審査員への情報事前共有など、一つのミスも許されない中で全員が脳ミソを雑巾のように絞りまくったからこそ、ほぼ全てのオペレーション、コンテンツを完璧に近いクオリティにする事が出来たと考えている。

「いま新卒とか内定者メンバーにMDBの運営を全部任せているんだよね」と社外で話すと、多くの人が「そんな大事なイベントを任せるのはリスクではないか」と言った。確かにそうかもしれないが、多分既存のメンバーが片手間でやっていたら、きっと参加者は今回ほどのクオリティを感じてはくれなかったと思っている。

最終日、運営を代表してスピーチしたH比谷が、泣きながら参加者にお礼を言っているのを見て、運営メンバーの本気さを再認識した(皆で計画的落涙だと冷やかしたけど)。本気で参加者の満足とイベントの成功を掴み取りにいくからこそ、仮に拙い部分があるチームでだって最高のクオリティに近づいていけるのだ。

新卒社員の育成について語られるとき、世間ではよく「小さな成功体験を積ませよう」と言われる。
正直言って、私はこの言葉があまり好きではない。

50人そこそこのベンチャーに入社する人間は、全員がそれ相応の覚悟を持って入ってくる。そして、Volareに入ってくる人間は、その覚悟に見合うだけのポテンシャルがあるメンバーだと私は自負している。

そういうヤツらにとっての仕事は、「全力を出さなければ成功出来ないギリギリのライン」までストレッチし、成功を「勝ち取る」事に意味があるのだと思う。MDBを経て手元に残った成功の指標は、たった16枚の紙のアンケートだが、間違いなく彼らが勝ち取った貴重な宝物だ。

彼らと作り出す新しいVolareは、きっとスゴイ会社になる。
その確信と共に、今日は筆を置く事とする。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

制度なんて器は、さっさと破壊した方がよい

Volareではこの1月に大きな組織体制の変更があった。

これまでは1人の組織メンバーが1つの部署に属するピラミッド型組織を採用していたのだが、このルールを廃止し、1人の組織メンバーが必ず2つ以上の部署に属するウェブ型組織へと移行したのだ。

以前のVolareではSEO施策を担当するメンバーはそれのみに集中し、顧客にコンサルティングを行うメンバーはコンサルのみを行うという分業化がなされていた。

しかしこの組織体制では、専門化が進むが故にそれ以外の業務についてのノウハウが個人に蓄積されない。よってWebコンサルからSEO施策、営業業務まで一貫して行える人員が育ちにくい環境が生まれてしまっていた。

こういった前提において、この制度を導入した理由は大きく分けて2点だ。

①業務の担当範囲が増えるので単純にノウハウ習得量が増える
②目標として与えられたKPIが増えるので、個々人がより多面的な視野を持てるようになる

実際に運用してみて、この体制はそれなりにワークしたのだが、
と同時に強く思う所があったのでここに記しておく。

この部署にだけ属しています、という意識は毒でしかない

1ヶ月間を上記のような体制で走ってみて私が感じたのは、メンバーの意識が帰属部署「だけ」に向いてしまってはならない、という危機感だ。

すなわち、「私はXXX部署とYYY部署にだけ所属しているので、ZZZ部署にはタッチしません」という意識が生まれているメンバーがいるのではと感じられたのだ。

これは由々しき問題だ。部署に縛られてしまうのを回避するため全員が2部署以上に所属するように組織を再設計したにも関わらず、今度はその2部署だけに縛られてしまうというのは何ともな皮肉ではないか。

組織体制や制度なんてものは、不完全な器だ。破壊するか、乗り越えよ

前置きが長くなったが、優れたビジネスパーソンは全ての制度を嘲笑わなくてはならないと私は考えている。
制度なんてモノは、メンバーが自然と組織が意図する方向に能力や視野を広げてくれるよう設計された、穴だらけの箱に過ぎないのだ。

「君は営業部署に配属ね」という言葉は、なにも「お前は営業だけやってればいいんだ」という事ではない。
「営業でしっかりと成果を出した上で自分の活躍する領域をもっと広げていきなさい」と解釈して欲しいというのが私が思う所だ。組織設計含め全ての制度は会社の人材戦略においてとても大事なものだが、制度の通りにいい子にしてるというのはとてもアホらしいしつまらない。

極端な話、「営業もコンサルもSEO施策も開発もデザインも経営も」出来た方が良いに決まっているではないか。それを「私は営業部署なので営業以外はやりません」と切って捨ててしまうのは何とも勿体ない話だ。

組織にとって大切なのは、箱の形をどう変えるかとかどの穴を塞ぐかじゃない。箱の中がどんな中身なのか、そしてその中身は箱から溢れたり、時には箱を破壊するくらい、エネルギーに満ち溢れているかどうかなのだと思う。

ウェブ型組織になり、完璧に区分けされたVolareは今年や来年は勝つかもしれない。
でもそれじゃ足りない。3年後も5年後も10年後も勝ち続けるには、制度に埋もれるメンバーだけではやっていけない。

制度なんてつまらないモノは破壊して、そこから脱却する。Volareはそういうエネルギッシュなメンバーがモリモリ頑張れる組織であり続ける。そして私含め経営陣は、破壊された制度を何度でも組み立て直して、またソレが破壊されたり乗り越えられたりするさまを見て楽しむ事とする。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

創業7年目によせて

2013年1月15日で、Volareは創業6年目を終えた。
大学在学中に起業してから、3年くらいは右も左もわからず右往左往していた。

4年目くらいから、ようやく自分なりに会社を経営していくスタイルのようなものが
確立されて、今に至っている。

まがりなりにも6年間経営をやってきたが、
過去を振り返ると数々の失敗をやらかしてきたなと思う。
しかも大抵の起業家がさくっとクリアしていくような簡単な失敗を結構やってきた。

こうした失敗を積み重ねた一方で、ある程度「正解」と言えるような決断や行動を
してきたから、なんだかんだそれなりの規模に会社が大きくなったのだと解釈している。
しかし思い返してみると「これは正解だった」等という決断の数はたかが知れているものだ。

私の過去6年間を振り返ると思い出されるのは、苦い思い出ばかりだ。

嬉しかった記憶というのは、正直数えるほどしか無い。
いや、きっともっと沢山あるのかもしれないが、苦い思い出に絡み付いた感情が強烈すぎて、
嬉しいとか楽しいとかそういう感情がなりを潜めてしまうのだ。

話が逸れるが、最近生きるとはどういう事か、とよく考える。

大抵の人間には夢がある。
私にもあるし、Volareで働くメンバーにもこのブログを読んでいる読者にも、
きっと自分なりの夢があるのだろう。

小さい頃に学校の先生が「人は夢のために生きる」とか何とか言っていた。
確かに真理なのかもしれないが、私には少し違和感がある。

だって夢はとても遠い所にあって、
少なくても10年以上の年月をかけなければ届きそうにない。

だからそんなに先の事ばかりを生きる意味にするよりも、
その夢に通じる一つ一つの道程を、より自らの血や肉に近い所にある、
足を踏み出すその先を、一歩先の未来を、自分が生きる意味の一つとして、
心の中に取り入れておきたいのだ。

未来は過去とは不可分だ。
多くの人にとって未来は過去の延長にある。

ただ、ありきたりだが、未来は変える事が出来る、と思う。
過去の延長にある予定調和の未来を実現する事を言っているのではない。

予定調和の未来を打ち破り、これまでの自分の過去と断絶された
未来を手に入れる事が「未来を変える」という事だ。

「未来を変える」事で、夢は近づいてくる。
だとすれば、生きる意味とは予定調和の未来を打ち破らんとするその姿にあるのではないか。

誰だって大言壮語は吐けるのだ。
人が人の生き様に感動するのは、それはその人の夢自体に感動する訳ではない。
まさにその人の、未来への在りように心動かされるのだと思う。

そして、未来を変えるためにかけがえのないスパイスが、過去の苦い思い出だ。
誰にだって1つや2つ位、思い返すのが嫌になる位つらい過去がなきゃおかしい。
そういう過去の存在が、予定調和を打ち破らんとする自分に教訓や覚悟、希望をもたらしてくれる。

だから過去から逃避してはいけない。
苦い過去を見つめる事は、自分にとってとても大事な事なのだ。

創業7年目はVolareにとって、
これまで以上に変化のある年になると思う。

精一杯に生きなくてはならない。
予定調和の未来に付き合っている暇はない。

過去の失敗も何もかも、予定調和の未来を打ち破るための糧にして、
創業7年目を私たちは迎える。

※追記
Applivというサービスを2012年8月に始めた。
リリース後順調にユーザー数を拡大しているので、
近々このブログでも状況を報告できるよう引き続き頑張る事とする。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

manaveeについて

manaveeというサイトがある。

ざっくばらんに言うと、「全国の大学生が教える勉強動画を見ながら受験勉強できる」というサービスだ。
しかもturntableのように仮想現実っぽい仕組みも採用していてエンタメ性もある。極めてニクいコンセプトだ。

※参考記事:だれでも無料動画で受験勉強できる『manavee』が凄すぎる

ところでこのサービスを初めて知った時、私は自分が起業した当初のことを思い出さずにいられなかった。
Volareは東大生講師が教える受験動画配信サービスで大敗北を喫した会社なのだ。

起業した当初、ビジネスの「ビ」の字もわからなかった私は、東大生という自分の強みを活かそうと家庭教師事業を始めた訳だが、すぐに「この事業を続けていても、世界を変えるような会社は作れない」という事に気がついた。

そこで当時21歳だった私が考えたのは、東大生の授業を動画で配信する「WEB予備校」のようなサービスを作ろう、というものだった。これなら教育事業で蓄積している東大生の講師データベースを持っているという強みも活かせる。

しかも大学受験において、地方の学生がどれだけ割を食っているかという事を私は知っていた。東京と違い、地方には塾がない地域もある。仮にあったとしても、受験に関して保有するノウハウは絶対的に乏しい事が多い。

そんな中でも、「赤本だけとりあえずやっときました」みたいな受験対策だけで、サクっと東大に合格するヤツは沢山いたので、もし地方にもっと受験勉強のためのインフラや情報が整っていたら、もっと多くの学生が東大や自分の望む進路に進めるんじゃないか。そう思っていた。

そして企画から3ヶ月後、私たちは「WEB予備校 楽スタ」というサービスをリリースした。
「月額8,300円で東大生が教える授業動画を見放題!テキストもダウンロードし放題!」というサービスだ。

当時の動画サイトとしてはUSENが運営するGYAOが有名だった事から、UI面でもGYAOを参考にしたデザインのサイトにした。※今色々な方面で活躍されている方が動画に出演されているので、出演者の顔は黒くしておきました。


「この楽スタによって受験教育の地域間格差を是正できる」と私たちは信じていた。
しかし結果として大失敗に終わった。何故か。

まだ未開拓なWEB×ITを目指す起業家の方が少しでも参考にしてくれることを祈りつつ、当時の事を思い出しながら、いくつか失敗談を書いてみようと思う。

①消費者向けサービスで、開発の外注化をしたこと

私たちの中にはエンジニアやデザイナーはいなかったので、全てのサービス開発を外注した。

教育に限った事ではないが、toCのサービス開発ではユーザーからの反応を確認してからサイトを改善するまでの速度が成功と失敗を分ける分水嶺であることは間違いない。私が知る限りシステムもデザインも外注して成功したtoCサービスは存在しない。

起業家がプログラマーやデザイナーである必要はないが、ボードメンバーには腕のいいプログラマーとデザイナーは必須。彼らを集められないとスタートすら切れないと考えておいた方が良い。また、起業家が開発もデザインも出来ないのならば高いゼネラリストとしての能力が問われる事は言うまでもない。

②コンテンツを自前で制作した事

予備校事業において、絶対に外してはならないポイントは「授業の質」だ。それはWEB上の予備校だろうと変わらない。

私たちは「東大生が教える」という事にフォーカスしすぎて、「東大生の授業の質」については高める事が出来なかった。また自前でコンテンツを制作する事にこだわる余り、授業1つ1つにかかる予算が結構な金額になってしまった。もし仮に、もう一度WEB予備校事業をやるなら「善意の一般ユーザーが教える形式」にするか教育コンテンツを保有する「予備校と提携」するかしかないと考えていたので、この点manaveeはよく考えられていると思う。

③収益化を急ぎ過ぎたこと

開発とデザインを外注し、授業コンテンツの制作にもお金をかけたため、一刻も早く資金を回収したかった。だから無料コンテンツの数を限定して有料コンテンツを増やし、サイトにアクセスを集めるためにさらに広告投資をしてしまった。

結果として、サイトにユーザーは来てくれるもの有料会員に転換しないというお決まりのパターンに陥ってしまった。楽スタのモデルでやるなら、教科を限定する事で必要なコンテンツ数を絞り最高のコンテンツを作って授業品質で勝負しなくてはならなかった。

④1人で授業を受けるのはつまらない

楽スタの授業の形式は、「動画を選んでテキストを読みながら、講師の授業を見る」というものだった。塾や予備校、学校と違い、楽スタには「友達・仲間」という概念が欠落していた。つらい受験戦争を続ける上で、こうした存在はものすごい大きな意味を持つのだと思う。

一人で授業を受けるより、皆で受けた方が楽しい。そういうことだ。

manaveeは全部クリアしている

当時を思い出しつつ楽スタの失敗要因を色々書いてみたが、manaveeは上記の課題を全てクリアしているように感じる。

サイトを見た限り自作のサイトなのは明らかだし、コンテンツについても大学生から投稿してもらう事で、質が高いものを安価に調達している。収益には現状こだわりがないようだ。そして何より友達と授業を受けているようなUIは素晴らしいと思う。

ここまで書いて思う事は、ぜひこの事業をやりきって欲しいという事だ。私たちは諦めてしまった。教育事業から撤退し、現在はSEO、今年には別の領域でのtoCサービスを開始しようとしている。勝負を諦めたわけではないが、少なくても勝負のテーブルは変えてしまった。楽スタも、やりきれば成功したかもしれない。しかし成功率を考えれば、撤退が正しい判断だったと考えている。

しかしmanaveeは違う。時間と労力をかけて大きくしていけば必ず日本の教育界に大きな貢献を出来るサービスになる。サイトを運営しているのは東京大学の3年生ということだが、ぜひとも事業化を目指して取り組んで欲しい。収益をどこで稼ぎ出すかという課題は勿論あるだろう。だが、WEB予備校の構想実現に失敗した起業家として、彼らの成功を心から応援したい。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

脱線

Volareの会議はよく脱線する。

別に狙って脱線している訳ではない。アジェンダもしっかり作るしそれに沿って話をしていくのだが、誰かが「そもそも論」を投げかけると皆がそれに食いついてアジェンダからどんどん話が逸れてしまう。

この間など、新規事業の開発会議でボタンをクリックした時のJava Scriptの動き方について話していたら、「位置はそこでは相応しくない」「そのボタンは本当にいるのか」という話に発展し、結局そのボタンは日の目を見ないまま葬られてしまった。

しかし、それで良いと思っている。

就活のグループディスカッションや大学生が催すビジネスプランコンテストの現場では、「議題から逸れない事」を説く。ファシリテーターが会議を主導して、それに基づいて議論が進行する。時間通りに会議が終わり関係者の負担にならないコツだから、という事だろう。

しかし「30分で結論まで詰めなければならない」場合ならともかく、全ての議題において、馬鹿の一つ覚えみたいに硬直的なルールを当てはめるのはいかがなものか。

そのまま突っ走ってもしょうがないのなら、今まで走ってきた道を皆で振り返ってみるのもいい。
「あの時にこういう道もあった」という発見があり、そこまで戻ってもう一度走り直す良い機会になる。

我々から見れば一つのボタンでしかないものが、ユーザーにとっては複雑でとっつきにくい機能に見える事もある。そのボタンが原因でサイトを使ってくれないユーザーを生むかもしれない。そんなもの、無理矢理サイトに搭載するよりもいっそのこと無くしてしまった方がいいではないか。
無くす事が決まっただけで、先の会議は有意義だったと思う。もちろん毎回これでは話が進まなくなってしまうが。

経営に携わった事がある人なら誰しも経験がある事だと思うが、経営者には眠れない夜というものがある。
A案とB案とC案のどれがいいかを自問自答し、誰にも相談できず悩んで考え抜く。
結果として導き出された結論がD案だったなんてのはよくある事だ。

ベストなモノを作り出すには回り道がつきものだ。
会議にしろ何にしろ、字句通りに受け取って手法論ばかり振りかざす輩が多いが、
定石だけを打って勝利した棋士はいない。

通り一辺倒な事ばかりほざく常識人は無視して、自分の信じる道へと脱線してみるのも悪くない。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket