「効率化」は起業家の仕事ではない

先日、日経新聞でも取り上げて頂いたが、昨日をもってNyleはApplivのインド版・シンガポール版含む海外9カ国での展開を無事開始した。これでApplivは、日本を含めると10カ国に展開するグローバルサービスとしての歩みを始めたことになる。

海外展開はまだまだ投資のフェーズにある取り組みではあるが、これがどのように結実していくのか楽しみでならない。以前書いた記事の通り、暗中模索しながらも世界中の人にとってより良いアプリが見つかる世界の実現を目指していきたいと思う。

さて、前回の記事からそれなりに時間は空いてしまったものの、2016年はブログを例年よりも更新していこうと考えている。本日は、事業とは直接関係ないものの最近大事にしている考えを記事にしてみたい。

テーマは誰でも聞いたことがあるだろう言葉「効率化」そして起業家の時間の使い方についてである。

組織が効率化をする理由

前提として人生は有限である。よって何をやるのか考えるのかというのは大事なテーマだ。
誰とでも会い、何でもやり、どんなことにも思いを馳せるというのはやめた方が良い。大抵の場合、単なる中途半端なヤツになってしまうからだ。

やりたい事とかテーマが決まっているならあとは実行あるのみなのだが、殊に会社を作り組織と事業を大きくしていくとなると厄介な問題が起きる。いわゆるコミュニケーションコストというやつである。

どこかの誰かから聞いた話だから正確性は知らないが、夫婦であっても互いの人格に対する理解度は平均的には十数%程度しかないのだとか。であるとしたら、過去の人生においてほとんど関わってこなかった者同士が100人も集まればとんでもない事になるのは想像に難くない。だからこそ組織論やら企業論やらというものが取り沙汰されてきたのだと思う。

このコミュニケーションコストを最小化するための取り組みが「効率化」であるといっても過言ではないだろう。無駄な資料は作らない、不必要な会議は開催しない、会議の参加者は極力絞る、ミッションと権限はセットで与えるなどがそれだ。組織や事業が巨大な歯車だとするならば、いらない歯車を取り除いたり、歯車と歯車を組み替えたり、歯車同士のつなぎ目に潤滑油を塗ったりすることが効率化であると言える。

そして、組織としての柔軟性や機動性を担保することで、事業を推進する一助となるのが効率化の目的である。
やればやるほど効率化は進むし結果として売上や利益といった成果も出る。それ自体は素晴らしいことなのだが、効率化やその結果としての足元の収益にばかり目が行くようになると起業家としては良くないサインではないかと私は思う。

効率化しようがないことについて

効率化がすべきでないこともある。正確には効率化しようがないこと、とも言えるかもしれない。

例えば経営陣の信頼関係を効率的に構築するというのはなんだか違和感のある言葉だ。別に経営陣じゃなくても、同じプロダクトを開発する開発チームとかデザインチーム、数字を追う営業チームだって同じだろう。チームの状況を調査するサーベイなどを用いればある程度可視化出来るものなのかもしれないが、基本的にはチームビルドを数値化することはなかなか難しい。

同様に、事業モデルを考えることも効率化はなかなか出来ないし、すべきではない。効率的に100個のビジネスモデルを考えるよりも、渾身のビジネスを1つ考える方が良い結果になる可能性はそれなりに高いだろう。

そして何より、企業として何を大切にしていくのかという命題にも効率化で回答することは難しいだろう。KPIと睨めっこしたり、組織の中の無駄な仕事は何だろうと考えても、私たちは企業としてこういう倫理観を持って経営しようという話にはならない。

論理の力では100を1,000にすることはできない

効率化というのはオペレーションの領域で起きていることである。100の収益を110や120にすることは出来るかもしれないが、1,000にすることは出来ないだろう。仮に出来たとしたら前が悪すぎたというだけの話である。

しかし効率化できない領域においてはそれがあり得る。iPhoneもGoogle検索もおよそ世間を賑わせているあらゆるテクノロジーやプロダクトは効率化の発想から生まれたものではない。もちろんそれらが世に産み落とされてからは様々な改善の積み重ねによりクオリティを上げたりコストを下げたりする作業はとんでもなく大事になるが、アイデアが世に産み落とされるその瞬間___0が1に変わるその瞬間までは効率化など何の意味も持たない。

頭が良い人にやらせれば起業家と同等ないし同等以上の水準で効率化可能な仕事はやってのけるだろう。しかし、効率化できないものについて、少なくても企業成長の初期段階においては、起業家以外のメンバーが考えて決めるというのは困難なケースが多いと思う。

なぜなら企業の初期段階であればあるほど、効率化すべきでないものの多くは企業の根幹に関わること___すなわち、「何故起業するのか」「何を実現したいのか」「何故それを実現したいのか」「どんなサービスで実現するのか」「メンバーにはどんな働き方をしてもらいたいのか」「どんなメンバーを集めたいのか」「どんな組織にしたいのか」などの企業としてのストーリーや倫理、そして存在意義を定義する作業であることが多いからだ。

これらの決め事は、それが決まった所で即座に収益を上げるものではないが、中長期的に見た時に100を1,000にするイノベーションを生み出す可能性がある決め事だと思う。効率化の先に1,000の地平がないのであればどこにあるのか。言うまでもなくこの0→1が生み出される瞬間に決まっている。

とはいえ、生き抜かなけば何も始まらない

言うは易し、行うは難しである。

効率化不可能な領域にある1,000の地平を拓き得る物事に集中しようにも、多くの場合起業家はその他のあれこれに悩むことになる。起業したばかりにも関わらずキャッシュが豊富で、優秀なメンバーが揃っているスタートアップなどそうはないだろう。どんな企業もある程度は直近の収益に目を向けざるを得ないケースが多いと思う。

かといって、毎月の売上や利益に目を奪われすぎると、何をやりたくて会社を経営しているのかではなく、今収益をやるために何をすべきかを考えるようになる。するといつの間にか本来の目的が霧散し、平々凡々とした企業になり下がりかねない。

起業家にとっての困難は、空に浮かぶ星を見つめながら足元にも気を遣わなければならない所だ。星ばかり見ていても足元を掬われるし、足元ばかり見ていたら永遠に望む場所には辿りつけない。夢と現実の適切な均衡点をどこに置くかに、起業家はその素養を問われるのかもしれない。

意識の向かう先をプログラムすることで思考をコントロールする

以前Facebookで以下のようなエントリーを書いた。

【意識を何に配るかで、人は構成されている】意識を配る対象と配らない対象を明確化するのは経営者にとって絶対的に大事な能力だよなぁと最近思います。会社が大きくなってくると10人20人の頃にはディテイルまで見れていたことが靄がかかったような感覚…

Posted by 高橋 飛翔 on 2015年5月28日



この時よりももう一歩進んで、近頃私は意識の向かう先を意識的にプログラムするようにしている。

トートロジーに見えるかもしれないが、意識というものが自己発生的に何かに向かっていくものであるからこそ、そもそも考えるべき事、考えるべきでない事を事前に自らに課しておくという意味だ。

仮に自分が考えるべきでないと決めた領域で何か問題が起こったとしてもそれは捨てるしかない。
逆に言うと、自分が考えるべきでないと決めた領域については誰かが考えたり解決するようミッションを設定するということである。

組織論の教科書によく「権限委譲が大事」という話が出てくるが、多くの場合それはメンバーがより主体的に考え動くようになるためという文脈であるように思う。だが実は、会社の中に「考えないと決めた」領域を作ることで、自らの限られた思考のリソースを「考えると決めた」領域に投入し、結果として高いパフォーマンスを出すというのが、殊起業家にとって権限委譲が大事な理由なのかもしれない。

こうして意識の矛先をプログラムすることで、思考におけるオペレーションとイノベーションの比率をコントロールし、結果として星と足元を同時に見られるようになれば、会社のフェーズが変わっても常に論理と閃きの均衡点に立つことができるのではないか。

ちなみに私としては、その中で閃き___効率化できないもの、最終的にはイノベーションの種になるものを模索する比率を上げていくことで、Nyleが100から120になるのを助けるのではなく1,000や10,000の世界に羽ばたく可能性の萌芽を見たいと思っている。そこに効率性という概念はない。もしかしたら徒労に終わるかもしれない。しかしその領域で何かを生み出し続けない限り起業家としては失格だと思うのだ。



余談だが、エジソンが言ったとされる言葉「天才とは、1%の才能と99%の努力である」という言葉は誰もが知っているだろう。だが、この訳は誤訳だという説がある。

エジソンの言葉はこうだ。
“Genius is one per cent inspiration and ninety-nine per cent perspiration.”
「1%の閃きがなければ99%の努力は無駄である」

効率化とか合理化とか論理が実現できる世界には限界がある。

もしかしたら、いや確実に、エジソンは知っていたのだろう。
天才と呼ばれる領域に到達するには、1%の非論理の力が必要であることを。

起業家として高みを目指す以上は私たちもきっと、知っておくべきでしょうね。

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愛と正義とレジリエンスの関係性

レジリエンスという言葉がある。

「精神的回復力」や「抵抗力」などと訳される心理学用語らしく、「脆弱性」の反対概念に位置する自発的治癒力の意味なのだとか。つまり何かがあった際に、心の平衡を保つ力のことをレジリエンスと呼ぶらしい。

先日、NewsPicksというサービスでアリババの創業者ジャック・マーについてのコラムが掲載されていた。
「最初の起業、失意の失脚、そしてアリババ創業へ」

この記事のコメント欄で、とある方が「これぞレジリエンスでしょうか」と書いていたのを見て初めてこの用語を知ったのだが、「挫折からの成功」というと、多くの人にとって最初に想起されるのは故スティーブ・ジョブズではないだろうか。

彼はスタンフォード大学でのあまりにも有名なスピーチで、
「未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです」
というメッセージを残している(※引用元)。

大抵の人間にとって「挫折」という「点」が起きた時、それを未来へと繋がる「線」で捉えることは難しいだろう。だが、その先の成功に向かうためには、挫折という「点」がいつか「線」になることを信じ、心の平衡を保って進まなければならない。何らかの失意に沈んだとしても、何かを信じることで自分を奮い立たせなければならないのだ。

そういう時、人は何を拠りどころにすればいいのか。ジョブズの言うように「なんでもいいから、とにかく信じろ」とは一つの真理だろう。だが、私は他にとても大切なことがあると考えている。

自尊心や愛が心の平衡を支えてくれる

Wikipediaで参照しただけの情報だが、心の平衡を支える「レジリエンス因子」なる言葉が心理学の世界にはあるらしい。代表的なものは「自尊心」や「支持的な人がそばにいてくれること」「安定した愛着」なのだとか。

レジリエンスについて調べこの言葉について知った時、私の中で色々と腑に落ちるものがあった。

私自身、これまで挫折とは呼べないまでも、経営者として精神的にしんどい経験は色々と積んできたつもりだ。

そんな時、自分を信じる根拠になったのはいつだって「自分は人として或いは経営者として正しいことが出来ているのだろうか」という自問だった。

こうした自問に気持よくYESと答えられるときには、どんなにしんどい時であっても前に進めた。一方で、NOと答えざるをえないような事をしでかした時には、自分の精神のバイオリズムは悪い方向に向かいだし、行いを正すまで良い方向には戻れない。

「徳を積む」という考えがあるが、人は自らに恥じない行いをすることで、自己を承認し自尊心を得られるのだと思う。正しい行動をすることで自尊心が育まれ、結果としてレジリエンス=心の平衡が得られるのなら、正しい事をすることについて「ルールだから」とか「自己満足のため」とか「社会のためになることだから」といった杓子定規の価値観とは、ちょっと違った風景が見えてくる気がする。

「徳を積む」とは聖人君主でいるということではない。常に自分の価値観に照らし合わせて、自分の正義に嘘をつかないことが大事なのだろう。

正義という言葉は暴力的で、世界ではこの言葉のせいで人が簡単に殺されたりする。
だが、「自分なりの正義」に忠実に生きることで、内なる平和は保つことができる。

「自分なりの正義」が他人の権利を侵害しているような奴に出会うと大変迷惑だが、そういう奴は大抵の場合人に愛されることはない。逆に「人に何かを与えること」「人として恥じない行動をすること」を自らの当然の正義としている人の周りには、自然と支えてくれる人が集まってくるものだ。

現代社会は複雑だ。外部環境がめまぐるしく変わり、何をしている人にとっても不確実な社会になっている。
それは会社経営においてもそうで、どんなに脳味噌を振り絞り、未来を予想して選んだ決断だったとしても間違えることはざらにある。

その間違いが「挫折」と呼ばれるほどのものになってしまうことがこれから先にあるとして、私は「成功」という「点」が立ち現れるのを信じて突き進まなければならない。そんな時、自分なりの自尊心が砕かれず在るために、そして今自分を支えてくれる人たちがその時にも変わらずに支えてくれるよう、自分なりの正義に忠実に生きていきたい。

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今ありきでゴールを設定するのと、ゴールありきで今を変えるのは全然違うという話

前々回「ヴォラーレSEOやめるってよ(嘘)」という記事を、当社コンサルティング事業部メンバーを奮い立たせる目的もあって書いたのだが、交流会などで「ヴォラーレSEOやめるらしいですね!!」と言われたメンバーがいるらしく、世の中なかなか思うようには行かないなぁと思うばかりである。

ところで、
ビジネスにおける「バカ」のポジティブ変換は「素直」ではなく「天才」だ

という記事が周囲でバズっていて、この記事に関連して当社D居がこんな記事を書いていた。
「拒絶」と「反論」は似ているようで全く違うという話

経営者の無茶ぶりに対して、「阿呆か」と思うか「こいつ天才かも」と思うか。
部下が経営者をどう捉えるか、脳みそを振り絞り経営者の無茶ぶりの実現のために動くか否かが、企業の成功を分けることもある。

ビジネスには自分の見えてない色々な側面があるものなのだから、無茶ぶりされたとしてもまずは一旦飲み込んで、実現できる方向で考えた上であれこれ意見出してみたほうがいいじゃん、という話である。

この2つの記事、全くもってその通りだなと思うのだが、数々の無茶ぶり(と思われること)をしてきた経営者として思う所があったので記事にしてみたいと思う。

今ありきでゴールを設定していると予定調和の未来しか訪れない

私は「ゴールありきで今を変えていくべき」という思想を強く持っている。
会社を始めた時は「金無し(資本金300万円はあったけど)物無し人材無し」のナイナイ尽くしの状態から始まった。しかし当時何もない中でも、「日本を代表する企業を作る」という高い目標を掲げ、それを達成する方法を必死で考え、幾度の失敗を重ねながらも少しずつ前進してきた。

Volareの場合、幾度のPivotを重ねて、SEOサービスに注力することで事業としては成長させることが出来たのだが、この「SEOに注力する」という決断を下した時には社内的にも多くの反対があった。

今扱っている商材だけでもそれなりに売上を立てられているではないか、SEOへのノウハウも中途半端な状態で参入しても先行企業がある以上事業として成立しないのではないか、など色んな意見があったわけだが私はこれを断行した。

もちろん私もSEOに注力すべき様々な理由を持っていたが、一番大きな理由は、「死なないために会社をやってるわけじゃない」ということであった。

10数人でやっていくだけなら今の事業でも可能かもしれない。しかし、会社として利益を出し、新しいことに投資をし、日本を代表するような企業を作っていくためには、それまでの延長線でビジネスをやっていてもダメだという確信があったのだ(もちろんSEOだけでそういう企業が作れるとも思ってないけど)。

何が言いたいかというと、起業家は(少なくても私は)最初何も持っていないのだ。
最初に持っているのは目標とか夢とか言われるものだけしかなかった。

である以上、今ありきでゴールを見据えても何の意味もない。
今の積み重ねで予想可能な未来なんてつまらない。

ゴールありきで今何をすべきかを考えていくべきなのだ。
私にとっては、そういう選択の繰り返しの結果として今があるだけなので、ゴール達成のために今に固執しその延長で考えるというのは滑稽な話でしかない。

「今これで一定の成果を挙げているのだから」というのは今を変えない根拠に値しない。
なぜなら今を変えることで、目標とする未来にもっと早く辿り着ける可能性が常にあるからだ。

人生は短い。私は今28歳だが、仮に経営者として60歳になるまで一線に立てるとしても、あと30年ちょっとしかない。事業をやってみると分かるが、30年というのはあっという間だ。一つの事業を立ち上げ、ある程度軌道に乗せるまでには3〜5年はかかるからだ。

もっと早く。もっと強く。もっとすごいものを。
そういう衝動を大切に、今を変えるのが当たり前という感覚でいないと、目標が大きければ大きいほど達成は困難になる。Volareが、SEO事業が収益化できた時すぐさま新規事業「Appliv」にとりかかったのも、目標とする未来に早く辿り着くために他ならない。

実現を信じるのが良き幹部なら、実現を信じさせるのが良き経営者だと思う

とはいえ、全員が全員経営者とか起業家の視点を持っているべきというのはいささか乱暴だ。
経営者としては、冒頭に挙げたブログのような姿勢で取り組んでくれるメンバーは多ければ多いほど良いが、全員がそうなるというのは現実的に考えて不可能に近い。

私は経営者の重要な仕事の一つに「実現を信じさせること」があると思っている。
企業、特にベンチャーというものは不確実な未来を実現しようと進んでいくものだ。
その目標が大きかろうと小さかろうと、実現可能性が高かろうと低かろうと、組織のメンバーから「無理っしょ」と思われてしまったら、もはやその実現は不可能になる。

だからあの手この手を使い、時にはプレゼンで時には対面で、目標が実現した未来やどうやって実現するのかを説き、全員とは言わずとも少しでも多くのメンバーに「こいつの話、本当に実現するかもしれない」と信じてもらうことがとても大切だ。

経営者は遠大な目標を掲げその実現を信じさせようと努力し、幹部は経営者の掲げる目標の実現を信じようと努力する。メンバーの中からも幹部同様に考え実現のための手立てを考えるヤツが続々出てくる。そういう組織はとても強い。

Volareがそう在るよう、私も努力していこうと思う。

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計画的落涙

最近全くブログを更新していなかったため、新卒のH比谷には「絶対書く気ないですよね」などとdisられる始末だ。いい加減何かしら書かないと社長の沽券にも関わってくるし、今日はちょうど書くべき素晴らしい話があるので筆を取ることとする。

先週の金曜から日曜にかけて、Volare初となる内定直結型のジョブインターン「Million Doolar Bootcamp(以下MDB)」を行った。

MDBは、「投資家に事業モデルをプレゼンできる」というのがキモとなっているビジネスプランコンテストで、当社に投資をしているNVCCの奥原社長や担当の佐藤さん、クックパッド元CFOの成松さんに審査員としてご協力頂いて実施をするに至ったイベントだ。

そもそもMDBをやることになったきっかけは、私の何の計画性もない思いつきだった。
今年の9月、2014年卒内定者のS本と昼食を食べている時に、「内定直結のジョブやりてーなあ」という話をしていて、ふいに思いついた企画なのである。

結果としてMDBは大成功したし(参加者全員がアンケートで大変満足または満足にマルをつけてくれた!)、今後採用活動に「自社でジョブイベントをやる」という選択肢が増えた事はVolareにとってはとても大きな収穫だった。

しかし今回、私が自慢したいのは、なにもMDBという企画を思いついた事ではない。

集客から運営に至るまで、MDBの全てを10月に入社した2013年秋卒の新メンバーと、2014年に入社予定の内定者達に任せたこと。このことについて、私は自分の決断を誇りに思うし、同時に立派にMDBを成功させた運営メンバーを心から讃えたいと思う。

9月初頭、ざっくりした企画書をメモ帳で彼らに渡した後、彼らの動きはすさまじく早かった。

まず、冒頭で私がブログを書かない事を嘲ったH比谷(デザイナー)は、あっという間にMDBのWebサイトを作成し、集客が出来る環境を整えた(しかも控えめに見ても、このサイトは最高にカッコいいと思っている)。
参考:http://recruit.volare.jp/million-dollar2013/

薬学部出身で、この間私が飲んでいる薬を見るやいなや、「ハハン、それですね」と鼻で笑ってきたS本は、卒業前の勉強でクソ忙しい中、(たぶん)授業中にMDBのオペレーションをガシガシ考えて、抜け漏れがほとんどない運営体制を構築してくれた。

大学で草の研究をしていたのに、なぜかITの世界に飛び込む事に決めたH田野は、畑で草刈りをする合間を縫って、スケジュール管理やルール決めをしてくれた(当然彼はVolareにある観葉植物のメンテナンスも担当している)。他にも、N岡やT遠、S田はじめ、全員が何らかの役割を持ち一定の活躍をしてくれた。

わずか2ヶ月しか準備期間が無い中で、彼らは50名近い応募者を集め(全員超優秀)、全員と面接して(私も全て同席したが)16名のメンバーを選んだ。悩みに悩み抜いて決めた、16名だ。

参加者への連絡や宿・食事の手配に講師・メンター・審査員への情報事前共有など、一つのミスも許されない中で全員が脳ミソを雑巾のように絞りまくったからこそ、ほぼ全てのオペレーション、コンテンツを完璧に近いクオリティにする事が出来たと考えている。

「いま新卒とか内定者メンバーにMDBの運営を全部任せているんだよね」と社外で話すと、多くの人が「そんな大事なイベントを任せるのはリスクではないか」と言った。確かにそうかもしれないが、多分既存のメンバーが片手間でやっていたら、きっと参加者は今回ほどのクオリティを感じてはくれなかったと思っている。

最終日、運営を代表してスピーチしたH比谷が、泣きながら参加者にお礼を言っているのを見て、運営メンバーの本気さを再認識した(皆で計画的落涙だと冷やかしたけど)。本気で参加者の満足とイベントの成功を掴み取りにいくからこそ、仮に拙い部分があるチームでだって最高のクオリティに近づいていけるのだ。

新卒社員の育成について語られるとき、世間ではよく「小さな成功体験を積ませよう」と言われる。
正直言って、私はこの言葉があまり好きではない。

50人そこそこのベンチャーに入社する人間は、全員がそれ相応の覚悟を持って入ってくる。そして、Volareに入ってくる人間は、その覚悟に見合うだけのポテンシャルがあるメンバーだと私は自負している。

そういうヤツらにとっての仕事は、「全力を出さなければ成功出来ないギリギリのライン」までストレッチし、成功を「勝ち取る」事に意味があるのだと思う。MDBを経て手元に残った成功の指標は、たった16枚の紙のアンケートだが、間違いなく彼らが勝ち取った貴重な宝物だ。

彼らと作り出す新しいVolareは、きっとスゴイ会社になる。
その確信と共に、今日は筆を置く事とする。

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制度なんて器は、さっさと破壊した方がよい

Volareではこの1月に大きな組織体制の変更があった。

これまでは1人の組織メンバーが1つの部署に属するピラミッド型組織を採用していたのだが、このルールを廃止し、1人の組織メンバーが必ず2つ以上の部署に属するウェブ型組織へと移行したのだ。

以前のVolareではSEO施策を担当するメンバーはそれのみに集中し、顧客にコンサルティングを行うメンバーはコンサルのみを行うという分業化がなされていた。

しかしこの組織体制では、専門化が進むが故にそれ以外の業務についてのノウハウが個人に蓄積されない。よってWebコンサルからSEO施策、営業業務まで一貫して行える人員が育ちにくい環境が生まれてしまっていた。

こういった前提において、この制度を導入した理由は大きく分けて2点だ。

①業務の担当範囲が増えるので単純にノウハウ習得量が増える
②目標として与えられたKPIが増えるので、個々人がより多面的な視野を持てるようになる

実際に運用してみて、この体制はそれなりにワークしたのだが、
と同時に強く思う所があったのでここに記しておく。

この部署にだけ属しています、という意識は毒でしかない

1ヶ月間を上記のような体制で走ってみて私が感じたのは、メンバーの意識が帰属部署「だけ」に向いてしまってはならない、という危機感だ。

すなわち、「私はXXX部署とYYY部署にだけ所属しているので、ZZZ部署にはタッチしません」という意識が生まれているメンバーがいるのではと感じられたのだ。

これは由々しき問題だ。部署に縛られてしまうのを回避するため全員が2部署以上に所属するように組織を再設計したにも関わらず、今度はその2部署だけに縛られてしまうというのは何ともな皮肉ではないか。

組織体制や制度なんてものは、不完全な器だ。破壊するか、乗り越えよ

前置きが長くなったが、優れたビジネスパーソンは全ての制度を嘲笑わなくてはならないと私は考えている。
制度なんてモノは、メンバーが自然と組織が意図する方向に能力や視野を広げてくれるよう設計された、穴だらけの箱に過ぎないのだ。

「君は営業部署に配属ね」という言葉は、なにも「お前は営業だけやってればいいんだ」という事ではない。
「営業でしっかりと成果を出した上で自分の活躍する領域をもっと広げていきなさい」と解釈して欲しいというのが私が思う所だ。組織設計含め全ての制度は会社の人材戦略においてとても大事なものだが、制度の通りにいい子にしてるというのはとてもアホらしいしつまらない。

極端な話、「営業もコンサルもSEO施策も開発もデザインも経営も」出来た方が良いに決まっているではないか。それを「私は営業部署なので営業以外はやりません」と切って捨ててしまうのは何とも勿体ない話だ。

組織にとって大切なのは、箱の形をどう変えるかとかどの穴を塞ぐかじゃない。箱の中がどんな中身なのか、そしてその中身は箱から溢れたり、時には箱を破壊するくらい、エネルギーに満ち溢れているかどうかなのだと思う。

ウェブ型組織になり、完璧に区分けされたVolareは今年や来年は勝つかもしれない。
でもそれじゃ足りない。3年後も5年後も10年後も勝ち続けるには、制度に埋もれるメンバーだけではやっていけない。

制度なんてつまらないモノは破壊して、そこから脱却する。Volareはそういうエネルギッシュなメンバーがモリモリ頑張れる組織であり続ける。そして私含め経営陣は、破壊された制度を何度でも組み立て直して、またソレが破壊されたり乗り越えられたりするさまを見て楽しむ事とする。

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創業7年目によせて

2013年1月15日で、Volareは創業6年目を終えた。
大学在学中に起業してから、3年くらいは右も左もわからず右往左往していた。

4年目くらいから、ようやく自分なりに会社を経営していくスタイルのようなものが
確立されて、今に至っている。

まがりなりにも6年間経営をやってきたが、
過去を振り返ると数々の失敗をやらかしてきたなと思う。
しかも大抵の起業家がさくっとクリアしていくような簡単な失敗を結構やってきた。

こうした失敗を積み重ねた一方で、ある程度「正解」と言えるような決断や行動を
してきたから、なんだかんだそれなりの規模に会社が大きくなったのだと解釈している。
しかし思い返してみると「これは正解だった」等という決断の数はたかが知れているものだ。

私の過去6年間を振り返ると思い出されるのは、苦い思い出ばかりだ。

嬉しかった記憶というのは、正直数えるほどしか無い。
いや、きっともっと沢山あるのかもしれないが、苦い思い出に絡み付いた感情が強烈すぎて、
嬉しいとか楽しいとかそういう感情がなりを潜めてしまうのだ。

話が逸れるが、最近生きるとはどういう事か、とよく考える。

大抵の人間には夢がある。
私にもあるし、Volareで働くメンバーにもこのブログを読んでいる読者にも、
きっと自分なりの夢があるのだろう。

小さい頃に学校の先生が「人は夢のために生きる」とか何とか言っていた。
確かに真理なのかもしれないが、私には少し違和感がある。

だって夢はとても遠い所にあって、
少なくても10年以上の年月をかけなければ届きそうにない。

だからそんなに先の事ばかりを生きる意味にするよりも、
その夢に通じる一つ一つの道程を、より自らの血や肉に近い所にある、
足を踏み出すその先を、一歩先の未来を、自分が生きる意味の一つとして、
心の中に取り入れておきたいのだ。

未来は過去とは不可分だ。
多くの人にとって未来は過去の延長にある。

ただ、ありきたりだが、未来は変える事が出来る、と思う。
過去の延長にある予定調和の未来を実現する事を言っているのではない。

予定調和の未来を打ち破り、これまでの自分の過去と断絶された
未来を手に入れる事が「未来を変える」という事だ。

「未来を変える」事で、夢は近づいてくる。
だとすれば、生きる意味とは予定調和の未来を打ち破らんとするその姿にあるのではないか。

誰だって大言壮語は吐けるのだ。
人が人の生き様に感動するのは、それはその人の夢自体に感動する訳ではない。
まさにその人の、未来への在りように心動かされるのだと思う。

そして、未来を変えるためにかけがえのないスパイスが、過去の苦い思い出だ。
誰にだって1つや2つ位、思い返すのが嫌になる位つらい過去がなきゃおかしい。
そういう過去の存在が、予定調和を打ち破らんとする自分に教訓や覚悟、希望をもたらしてくれる。

だから過去から逃避してはいけない。
苦い過去を見つめる事は、自分にとってとても大事な事なのだ。

創業7年目はVolareにとって、
これまで以上に変化のある年になると思う。

精一杯に生きなくてはならない。
予定調和の未来に付き合っている暇はない。

過去の失敗も何もかも、予定調和の未来を打ち破るための糧にして、
創業7年目を私たちは迎える。

※追記
Applivというサービスを2012年8月に始めた。
リリース後順調にユーザー数を拡大しているので、
近々このブログでも状況を報告できるよう引き続き頑張る事とする。

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会社の歯車に関する小咄

Volareでは毎月「全社経営会議」という会が催される。全メンバーが一同に会し、経営陣が現在の経営状況の報告や今後の方針などを発表する場だ。メンバー全員で会社の戦略について考え質問や提案をする時間を設ける事で会社への参加意識を強く持ってもらう事を目的としている。

この「全社経営会議」では、毎回「○月に入社した人プレゼン」というコンテンツがある。例えば今月で言えば、過去4月に入社したメンバーが全員の前でプレゼンをするわけだ。内容は基本的にメンバーが自由に決めていいのだが、今月は人数が多かった事もあり「1分間で終わる深イイ話」という事になった。その中で、2011年度の新卒で入社したY松というヤツがすごく良い話をしていたので書き留めておきたい。

【「会社の歯車」という言葉は、よくネガティブな表現として使われるが、歯車が欠けたら機械は動きません。本当に終わってるのは1個くらいなくなっても困らない「ネジ」であって、僕はそんな役回りにはなりたくない。僕は大学院を中退してVolareに入社しました。1年間プログラマをやってきて、今ではVolareにとって欠かすことの出来ない歯車になれたと考えています。今年はそういう欠かせない歯車を動かすモーターのような仕事をしていきたいと考えています。】

概ね上記のような事をヤツは語ったと記憶している。末恐ろしいヤツである。

私は小さい頃に目覚まし時計を分解して構造を確かめたりした事があったが、大抵の機械はネジをいくつか抜いた所で直ちに挙動を止める事は無い。また、ネジが溝の数をいくら増やした所で機械のパフォーマンスは変わらない。しかし歯車の凹凸の数が変われば他の歯車の回転数も上がるし組織全体のパフォーマンスを上げる事が出来る。また、モーターの動力があがれば組織のパフォーマンスが上がる事は言うに及ばない。

起業してからというもの、「優秀とはどういうことか」を考える事がよくある。私は、「与えられた役割の中で期待以上の結果を出せる人」かつ「自分のいる環境に主体的に関わり良くしていこうという意思のある人」こそが「優秀」なのだと考えている。

特別なスキルを得ようと足掻くのも多いに結構だが、まず組織にとって最高の歯車になる事を目指してみても良いんじゃないか。そうすれば自ずとモーターとか電池としての仕事が降ってくると思うのだ。

先述したプレゼンをしたY松は新卒2年目にして、今年SEO部門のエンジニアリーダーとして技術の根幹を作り上げていく事になる。最高の歯車の地位をたったの1年で獲得した男が、どんな性能のモーターになってくれるのか。今からヤツの成長が楽しみだ。

↓プレゼンするY松。ドヤッ!!

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manaveeについて

manaveeというサイトがある。

ざっくばらんに言うと、「全国の大学生が教える勉強動画を見ながら受験勉強できる」というサービスだ。
しかもturntableのように仮想現実っぽい仕組みも採用していてエンタメ性もある。極めてニクいコンセプトだ。

※参考記事:だれでも無料動画で受験勉強できる『manavee』が凄すぎる

ところでこのサービスを初めて知った時、私は自分が起業した当初のことを思い出さずにいられなかった。
Volareは東大生講師が教える受験動画配信サービスで大敗北を喫した会社なのだ。

起業した当初、ビジネスの「ビ」の字もわからなかった私は、東大生という自分の強みを活かそうと家庭教師事業を始めた訳だが、すぐに「この事業を続けていても、世界を変えるような会社は作れない」という事に気がついた。

そこで当時21歳だった私が考えたのは、東大生の授業を動画で配信する「WEB予備校」のようなサービスを作ろう、というものだった。これなら教育事業で蓄積している東大生の講師データベースを持っているという強みも活かせる。

しかも大学受験において、地方の学生がどれだけ割を食っているかという事を私は知っていた。東京と違い、地方には塾がない地域もある。仮にあったとしても、受験に関して保有するノウハウは絶対的に乏しい事が多い。

そんな中でも、「赤本だけとりあえずやっときました」みたいな受験対策だけで、サクっと東大に合格するヤツは沢山いたので、もし地方にもっと受験勉強のためのインフラや情報が整っていたら、もっと多くの学生が東大や自分の望む進路に進めるんじゃないか。そう思っていた。

そして企画から3ヶ月後、私たちは「WEB予備校 楽スタ」というサービスをリリースした。
「月額8,300円で東大生が教える授業動画を見放題!テキストもダウンロードし放題!」というサービスだ。

当時の動画サイトとしてはUSENが運営するGYAOが有名だった事から、UI面でもGYAOを参考にしたデザインのサイトにした。※今色々な方面で活躍されている方が動画に出演されているので、出演者の顔は黒くしておきました。


「この楽スタによって受験教育の地域間格差を是正できる」と私たちは信じていた。
しかし結果として大失敗に終わった。何故か。

まだ未開拓なWEB×ITを目指す起業家の方が少しでも参考にしてくれることを祈りつつ、当時の事を思い出しながら、いくつか失敗談を書いてみようと思う。

①消費者向けサービスで、開発の外注化をしたこと

私たちの中にはエンジニアやデザイナーはいなかったので、全てのサービス開発を外注した。

教育に限った事ではないが、toCのサービス開発ではユーザーからの反応を確認してからサイトを改善するまでの速度が成功と失敗を分ける分水嶺であることは間違いない。私が知る限りシステムもデザインも外注して成功したtoCサービスは存在しない。

起業家がプログラマーやデザイナーである必要はないが、ボードメンバーには腕のいいプログラマーとデザイナーは必須。彼らを集められないとスタートすら切れないと考えておいた方が良い。また、起業家が開発もデザインも出来ないのならば高いゼネラリストとしての能力が問われる事は言うまでもない。

②コンテンツを自前で制作した事

予備校事業において、絶対に外してはならないポイントは「授業の質」だ。それはWEB上の予備校だろうと変わらない。

私たちは「東大生が教える」という事にフォーカスしすぎて、「東大生の授業の質」については高める事が出来なかった。また自前でコンテンツを制作する事にこだわる余り、授業1つ1つにかかる予算が結構な金額になってしまった。もし仮に、もう一度WEB予備校事業をやるなら「善意の一般ユーザーが教える形式」にするか教育コンテンツを保有する「予備校と提携」するかしかないと考えていたので、この点manaveeはよく考えられていると思う。

③収益化を急ぎ過ぎたこと

開発とデザインを外注し、授業コンテンツの制作にもお金をかけたため、一刻も早く資金を回収したかった。だから無料コンテンツの数を限定して有料コンテンツを増やし、サイトにアクセスを集めるためにさらに広告投資をしてしまった。

結果として、サイトにユーザーは来てくれるもの有料会員に転換しないというお決まりのパターンに陥ってしまった。楽スタのモデルでやるなら、教科を限定する事で必要なコンテンツ数を絞り最高のコンテンツを作って授業品質で勝負しなくてはならなかった。

④1人で授業を受けるのはつまらない

楽スタの授業の形式は、「動画を選んでテキストを読みながら、講師の授業を見る」というものだった。塾や予備校、学校と違い、楽スタには「友達・仲間」という概念が欠落していた。つらい受験戦争を続ける上で、こうした存在はものすごい大きな意味を持つのだと思う。

一人で授業を受けるより、皆で受けた方が楽しい。そういうことだ。

manaveeは全部クリアしている

当時を思い出しつつ楽スタの失敗要因を色々書いてみたが、manaveeは上記の課題を全てクリアしているように感じる。

サイトを見た限り自作のサイトなのは明らかだし、コンテンツについても大学生から投稿してもらう事で、質が高いものを安価に調達している。収益には現状こだわりがないようだ。そして何より友達と授業を受けているようなUIは素晴らしいと思う。

ここまで書いて思う事は、ぜひこの事業をやりきって欲しいという事だ。私たちは諦めてしまった。教育事業から撤退し、現在はSEO、今年には別の領域でのtoCサービスを開始しようとしている。勝負を諦めたわけではないが、少なくても勝負のテーブルは変えてしまった。楽スタも、やりきれば成功したかもしれない。しかし成功率を考えれば、撤退が正しい判断だったと考えている。

しかしmanaveeは違う。時間と労力をかけて大きくしていけば必ず日本の教育界に大きな貢献を出来るサービスになる。サイトを運営しているのは東京大学の3年生ということだが、ぜひとも事業化を目指して取り組んで欲しい。収益をどこで稼ぎ出すかという課題は勿論あるだろう。だが、WEB予備校の構想実現に失敗した起業家として、彼らの成功を心から応援したい。

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脱線

Volareの会議はよく脱線する。

別に狙って脱線している訳ではない。アジェンダもしっかり作るしそれに沿って話をしていくのだが、誰かが「そもそも論」を投げかけると皆がそれに食いついてアジェンダからどんどん話が逸れてしまう。

この間など、新規事業の開発会議でボタンをクリックした時のJava Scriptの動き方について話していたら、「位置はそこでは相応しくない」「そのボタンは本当にいるのか」という話に発展し、結局そのボタンは日の目を見ないまま葬られてしまった。

しかし、それで良いと思っている。

就活のグループディスカッションや大学生が催すビジネスプランコンテストの現場では、「議題から逸れない事」を説く。ファシリテーターが会議を主導して、それに基づいて議論が進行する。時間通りに会議が終わり関係者の負担にならないコツだから、という事だろう。

しかし「30分で結論まで詰めなければならない」場合ならともかく、全ての議題において、馬鹿の一つ覚えみたいに硬直的なルールを当てはめるのはいかがなものか。

そのまま突っ走ってもしょうがないのなら、今まで走ってきた道を皆で振り返ってみるのもいい。
「あの時にこういう道もあった」という発見があり、そこまで戻ってもう一度走り直す良い機会になる。

我々から見れば一つのボタンでしかないものが、ユーザーにとっては複雑でとっつきにくい機能に見える事もある。そのボタンが原因でサイトを使ってくれないユーザーを生むかもしれない。そんなもの、無理矢理サイトに搭載するよりもいっそのこと無くしてしまった方がいいではないか。
無くす事が決まっただけで、先の会議は有意義だったと思う。もちろん毎回これでは話が進まなくなってしまうが。

経営に携わった事がある人なら誰しも経験がある事だと思うが、経営者には眠れない夜というものがある。
A案とB案とC案のどれがいいかを自問自答し、誰にも相談できず悩んで考え抜く。
結果として導き出された結論がD案だったなんてのはよくある事だ。

ベストなモノを作り出すには回り道がつきものだ。
会議にしろ何にしろ、字句通りに受け取って手法論ばかり振りかざす輩が多いが、
定石だけを打って勝利した棋士はいない。

通り一辺倒な事ばかりほざく常識人は無視して、自分の信じる道へと脱線してみるのも悪くない。

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