「頭が良い」と「優秀」は、全然違う概念であるという話

2018年卒業予定の学生に向けたNyleの新卒採用活動がスタートした。

Nyleでは2012年から本格的に新卒採用を始めており、2018卒の新卒社員は新卒世代7期目ということになる。私自身も採用に積極的に携わり、これまでに数多くの学生と会ってきたが、興味深いことに、学生が持っている疑問や不安の種類はあまり変わりがないように思う。

例えば、私がこれまでによく聞かれてきた質問のひとつに、「優秀さの定義って何ですか」というものがある。様々な企業が「優秀な学生」という言葉を安易に使いがちであるにも関わらず、その要件が企業によって異なり、かつそれが往々にして学生間で使われる「優秀さ」の定義とは乖離があるためにこうした質問が出てくるのだろう。そして実際、社会における「優秀さ」と学生の間において使われる「優秀さ」は全くの別物であると私は思う。

本日の記事では、学生からよく聞かれるこの質問を引き合いに出しつつ、私がこの言葉以上に大切だと考える一つの素養について書いていくこととする。

「優秀」という言葉に潜む誤解

多くの場合、学生間において言われる「優秀さ」とは「勉強ができる人」のことである。何故かというと、学生社会においては試験成績や在籍校などによってかなり定量的に学力が数値化され、優劣がつけられるからであり、そしてその優劣が(特に高学歴の学生や高学歴を目指す学生の間においては特に)重要とみなされるからであろう。

こうした背景を持った学生にとっての「優秀」というキーワードは、「勉強ができること」や「地頭が良いこと」と捉えられがちであり、それはそれで「その人の過去の経験」としては正しい。一方で、こういった意味合いで使われる「優秀」というキーワードからは、重要な概念がすっぽりと抜け落ちている。

「優秀である」ということは「特定の環境において優れていること」である。学力がものを言う世界であれば頭が良いことは優秀である事に直結するが、そうでもない環境__すなわち、数々の特殊環境の集合である社会においては、頭が良いことがそのまま優秀であることの根拠とはとても言えまい。だから「優秀」という言葉を用いる際、この「特定の環境において」という要素をその概念に意識的に内包しておくことが重要である。

そして、既述したように「社会」と一口に言っても様々な環境がある。職種や会社、役職が違えば求められる能力は全く異なるし、その他の環境変数を挙げだせばキリがない。

頭が良くて困ることというのはほとんど無いだろうが、少なくても「頭が良いということは学生間で重要視されるほどには重要なことではない」ということは覚えておいたほうが良く、むしろ社会はその様々な環境変数の中で、頭が良いことよりも全く別の要素を求めているのだということは学生のみならず全ての人が認識すべきことであろう。

環境変数に左右されない「優秀さ」について

一方で、どのような環境変数の中においても一貫して通用する「優秀さ」というものがあるのではなかろうか。私の経験上、業界や職種を問わず「この人すごいな」と感じさせる人物には、確定的に共通する要素が存在している。

こうした「汎用的な優秀さ」を構成する要素を知り、自分のものとすることは、後天的には向上が望みにくい「頭の良さ」を云々言うよりもはるかに有用である。もちろん「汎用的な優秀さ」を構成する要素と言っても全てを言葉でカバーできるわけもないのだが、あくまでも私見として、私が考えるいくつかの例を下記に紹介したい。

1:コトの背景を説明し周囲のパフォーマンスを引き出す力
人のパフォーマンスは、仕事の意義や目的を理解している場合とそうでない場合では全く違う。物事には必ず存在する文脈を誰もが分かるように共有する人は、チームの方向性を一致させ、結果として周囲のパフォーマンスを引き上げるのに一役買うことが多い。

2:課題指摘に留まらず解決方法を提示する力
課題感を指摘するのみならず、解決方法までを提示できる人はどこにいっても大変高く評価されると思う。課題だけを言われても、言われた側がその解決策の模索から始めなければならず、組織的なコストが大きい。良い意味で勝手に解決方法を考えて動ける人が多ければ多いほど組織は強くなる。逆に課題だけ言い放ちソリューションを考えない人は「批評家」と揶揄される。

3:批判を受け入れ、前向きに人の意見を聞く力
他人からのフィードバックを素直に受け入れないプライドの高い人は厄介である。個としての成長が停滞する上に、周囲の人間からしても何か言おうとする度に気を使うことになり、チーム全体の労働満足度が下がってしまう。「まず否定から入る人」というのもよろしくない。意見とかアイデアは肯定されることによって前進する。「いや違うでしょ」という返答ではなく「なるほど一理あるね。でもこういう方がいいんじゃない」という切り返しができる人の周りからは様々なアイデアが生まれる。

4:「一緒にやってやろう」というオーナーシップ
「この人についていく」という考え方は「依存」に他ならず、依存される側からすると中々しんどいものがある。逆に「この人と一緒にやってやろう」というスタンスを持っている人が多ければ多いほど、経営者や上司は楽になるし助けられる。この「一緒にやってやろう」という気概こそを「オーナーシップ」と呼ぶのだと私は思う。

5:知的好奇心と継続的インプット
様々な技術が複雑に折り重なって構成されている現代の産業において、知っていても意味が無い情報はどんどん少なくなっている。だから、自らが属する業界にせよ他業界にせよ、知識を継続的に吸収し、それを仕事に活かす能力が高ければ高いほど、自らのレアリティは増していくと思った方が良い。このためには、学習をする際に「最低限知っておけばいい知識」を得て終わるのではなく、「その先にある様々な知識」にまで食指を伸ばして学習する知的好奇心を持つことが大切である。

「原因自分論」と「優秀さ」の関係性

上記に列挙した要素は、「頭の良さ」とは違って全て後天的に獲得が可能であるように思う。だが興味深いことに、頭が良い人であってもこれらを備えているとは限らない。

上記に列挙した要素のみならず、後天的に獲得可能な良き要素は色々とあると思うが、これらを獲得する人とそうでない人を分けるものは何なのだろうか。

私の考えでは、それは「原因自分論で生きている人か否か」に依るところが大きい。

何かネガティブなことが起きた時、それを他人のせいにする人は人生を楽に生きているのかもしれない。だが同時に、多大な損をしていると私は思う。

例えば、「社員は何もわかってない」などと言っている経営者がよくいるが、こうした発言は自身が経営者として拙いことを吐露しているようなものである。社員が本当に何も分かっていないとしたら、それは経営者が採用を間違えたか育成を間違えたかetc…なのであり、究極的には自分の責任であるはずだ。

経営者でなくても身の回りで起きる様々な事柄において、自分に落ち度が全くないということはまず無い。だから、「自分がこう動いていたら防げたんじゃないか」と思って改善する人はそうでない人に比べて自己革新の速度が段違いに早い。

そう、「原因自分論で生きる人」は往々にして「最高の自己革新者」なのである。

ともすれば人は他者批判に陥ってしまいがちだ。だが、他人を変えるよりも自分を変えるほうが簡単だというのは良く言われる話であろう。自己革新の精神を持った人々は後天的に獲得可能なあらゆる良き要素を迅速に獲得する。人は、どうせ働くならこういう人と一緒に働きたいのではないだろうか。

頭が良いということはもちろん良いことだ。だが、後天的にそうなろうとしても大抵は難しいのもまた事実である。そして、社会の多くの場所で、そんなことよりも遥かに大切な精神の存り方が求められている。

邪推かもしれないが、「優秀さの定義って何ですか」という質問には、「頭が良くなければ良い会社には入れないのではないか」という不安が見て取れる時がある。

もしこうした疑問を持つ人がいるのなら、「多くの場合答えはノーである」と私は言いたい。

「頭が良いだけ」では、「優秀」と言われるレベルには到達しえないのだから。


P.S.
冒頭でも触れたが、2018年卒業の学生を対象としてサマーインターンシップの募集を開始した。「我こそは原因自分論で生きてきた」という学生の方からのご応募をお待ちしている。
Million Dollar Bootcamp 2016

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