「頭が良い」と「優秀」は、全然違う概念であるという話

2018年卒業予定の学生に向けたNyleの新卒採用活動がスタートした。

Nyleでは2012年から本格的に新卒採用を始めており、2018卒の新卒社員は新卒世代7期目ということになる。私自身も採用に積極的に携わり、これまでに数多くの学生と会ってきたが、興味深いことに、学生が持っている疑問や不安の種類はあまり変わりがないように思う。

例えば、私がこれまでによく聞かれてきた質問のひとつに、「優秀さの定義って何ですか」というものがある。様々な企業が「優秀な学生」という言葉を安易に使いがちであるにも関わらず、その要件が企業によって異なり、かつそれが往々にして学生間で使われる「優秀さ」の定義とは乖離があるためにこうした質問が出てくるのだろう。そして実際、社会における「優秀さ」と学生の間において使われる「優秀さ」は全くの別物であると私は思う。

本日の記事では、学生からよく聞かれるこの質問を引き合いに出しつつ、私がこの言葉以上に大切だと考える一つの素養について書いていくこととする。

「優秀」という言葉に潜む誤解

多くの場合、学生間において言われる「優秀さ」とは「勉強ができる人」のことである。何故かというと、学生社会においては試験成績や在籍校などによってかなり定量的に学力が数値化され、優劣がつけられるからであり、そしてその優劣が(特に高学歴の学生や高学歴を目指す学生の間においては特に)重要とみなされるからであろう。

こうした背景を持った学生にとっての「優秀」というキーワードは、「勉強ができること」や「地頭が良いこと」と捉えられがちであり、それはそれで「その人の過去の経験」としては正しい。一方で、こういった意味合いで使われる「優秀」というキーワードからは、重要な概念がすっぽりと抜け落ちている。

「優秀である」ということは「特定の環境において優れていること」である。学力がものを言う世界であれば頭が良いことは優秀である事に直結するが、そうでもない環境__すなわち、数々の特殊環境の集合である社会においては、頭が良いことがそのまま優秀であることの根拠とはとても言えまい。だから「優秀」という言葉を用いる際、この「特定の環境において」という要素をその概念に意識的に内包しておくことが重要である。

そして、既述したように「社会」と一口に言っても様々な環境がある。職種や会社、役職が違えば求められる能力は全く異なるし、その他の環境変数を挙げだせばキリがない。

頭が良くて困ることというのはほとんど無いだろうが、少なくても「頭が良いということは学生間で重要視されるほどには重要なことではない」ということは覚えておいたほうが良く、むしろ社会はその様々な環境変数の中で、頭が良いことよりも全く別の要素を求めているのだということは学生のみならず全ての人が認識すべきことであろう。

環境変数に左右されない「優秀さ」について

一方で、どのような環境変数の中においても一貫して通用する「優秀さ」というものがあるのではなかろうか。私の経験上、業界や職種を問わず「この人すごいな」と感じさせる人物には、確定的に共通する要素が存在している。

こうした「汎用的な優秀さ」を構成する要素を知り、自分のものとすることは、後天的には向上が望みにくい「頭の良さ」を云々言うよりもはるかに有用である。もちろん「汎用的な優秀さ」を構成する要素と言っても全てを言葉でカバーできるわけもないのだが、あくまでも私見として、私が考えるいくつかの例を下記に紹介したい。

1:コトの背景を説明し周囲のパフォーマンスを引き出す力
人のパフォーマンスは、仕事の意義や目的を理解している場合とそうでない場合では全く違う。物事には必ず存在する文脈を誰もが分かるように共有する人は、チームの方向性を一致させ、結果として周囲のパフォーマンスを引き上げるのに一役買うことが多い。

2:課題指摘に留まらず解決方法を提示する力
課題感を指摘するのみならず、解決方法までを提示できる人はどこにいっても大変高く評価されると思う。課題だけを言われても、言われた側がその解決策の模索から始めなければならず、組織的なコストが大きい。良い意味で勝手に解決方法を考えて動ける人が多ければ多いほど組織は強くなる。逆に課題だけ言い放ちソリューションを考えない人は「批評家」と揶揄される。

3:批判を受け入れ、前向きに人の意見を聞く力
他人からのフィードバックを素直に受け入れないプライドの高い人は厄介である。個としての成長が停滞する上に、周囲の人間からしても何か言おうとする度に気を使うことになり、チーム全体の労働満足度が下がってしまう。「まず否定から入る人」というのもよろしくない。意見とかアイデアは肯定されることによって前進する。「いや違うでしょ」という返答ではなく「なるほど一理あるね。でもこういう方がいいんじゃない」という切り返しができる人の周りからは様々なアイデアが生まれる。

4:「一緒にやってやろう」というオーナーシップ
「この人についていく」という考え方は「依存」に他ならず、依存される側からすると中々しんどいものがある。逆に「この人と一緒にやってやろう」というスタンスを持っている人が多ければ多いほど、経営者や上司は楽になるし助けられる。この「一緒にやってやろう」という気概こそを「オーナーシップ」と呼ぶのだと私は思う。

5:知的好奇心と継続的インプット
様々な技術が複雑に折り重なって構成されている現代の産業において、知っていても意味が無い情報はどんどん少なくなっている。だから、自らが属する業界にせよ他業界にせよ、知識を継続的に吸収し、それを仕事に活かす能力が高ければ高いほど、自らのレアリティは増していくと思った方が良い。このためには、学習をする際に「最低限知っておけばいい知識」を得て終わるのではなく、「その先にある様々な知識」にまで食指を伸ばして学習する知的好奇心を持つことが大切である。

「原因自分論」と「優秀さ」の関係性

上記に列挙した要素は、「頭の良さ」とは違って全て後天的に獲得が可能であるように思う。だが興味深いことに、頭が良い人であってもこれらを備えているとは限らない。

上記に列挙した要素のみならず、後天的に獲得可能な良き要素は色々とあると思うが、これらを獲得する人とそうでない人を分けるものは何なのだろうか。

私の考えでは、それは「原因自分論で生きている人か否か」に依るところが大きい。

何かネガティブなことが起きた時、それを他人のせいにする人は人生を楽に生きているのかもしれない。だが同時に、多大な損をしていると私は思う。

例えば、「社員は何もわかってない」などと言っている経営者がよくいるが、こうした発言は自身が経営者として拙いことを吐露しているようなものである。社員が本当に何も分かっていないとしたら、それは経営者が採用を間違えたか育成を間違えたかetc…なのであり、究極的には自分の責任であるはずだ。

経営者でなくても身の回りで起きる様々な事柄において、自分に落ち度が全くないということはまず無い。だから、「自分がこう動いていたら防げたんじゃないか」と思って改善する人はそうでない人に比べて自己革新の速度が段違いに早い。

そう、「原因自分論で生きる人」は往々にして「最高の自己革新者」なのである。

ともすれば人は他者批判に陥ってしまいがちだ。だが、他人を変えるよりも自分を変えるほうが簡単だというのは良く言われる話であろう。自己革新の精神を持った人々は後天的に獲得可能なあらゆる良き要素を迅速に獲得する。人は、どうせ働くならこういう人と一緒に働きたいのではないだろうか。

頭が良いということはもちろん良いことだ。だが、後天的にそうなろうとしても大抵は難しいのもまた事実である。そして、社会の多くの場所で、そんなことよりも遥かに大切な精神の存り方が求められている。

邪推かもしれないが、「優秀さの定義って何ですか」という質問には、「頭が良くなければ良い会社には入れないのではないか」という不安が見て取れる時がある。

もしこうした疑問を持つ人がいるのなら、「多くの場合答えはノーである」と私は言いたい。

「頭が良いだけ」では、「優秀」と言われるレベルには到達しえないのだから。


P.S.
冒頭でも触れたが、2018年卒業の学生を対象としてサマーインターンシップの募集を開始した。「我こそは原因自分論で生きてきた」という学生の方からのご応募をお待ちしている。
Million Dollar Bootcamp 2016

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

ナイルがやめた5つの取り組みと、スタートアップが持つべき未来仮説の話

Nyleでは3ヶ月に一度役員合宿を行い、四半期の反省や今後の打ち手の検討、長期的な会社の方向性などについて役員全員でじっくり議論する時間を作るようにしている。その役員合宿が今週末にあるのだが、これに先立ち先週の土日は企業として大切にしていきたいことや大切にしてきたことに思考を巡らせていた。

21歳で起業してこれまでにいくつかのビジネスを手がけてきた。そのなかで、経営者として下してきた決断を分析するというのは暗黙的に存在する会社としての経営理念を言語化するのに有効な手段かもしれぬと思い、一人で書き出している。こういう振り返りを行うと一連の決断の中から、過去には言語化できていなかった自分の経営理念のようなものが立ち現れてくるから面白い。

「何をやったか」よりも「何をやめたか」

「何をやって上手くいったか」というのはとても大事なことだ。だが、大抵の企業や個人が「やめてよかったこと」があるというのもまた大切な事実であろう。Nyleでも多くのことに取り組んで、多くのことをやめてきた。今回の記事においては、「何をやめたか」ということにフォーカスしつつ話を進めたいと思う。

やめたこと1:月次の売り上げは追わない
スタートアップの経営者は月次の売上高に一喜一憂してしまいがちだと思う。キャッシュが潤沢にあるわけでもなく、この赤字があと数カ月続いたら会社は倒産してしまう。そんな時に今月の売上を気にするなというのは無理というものだろう。

だが、今月の売上を気にするだけならまだしも、そこで数字を「作り」にいってしまうとなると話は別だ。大抵の場合、無理な営業獲得に走ってしまう会社は、それ以降に顧客との信頼関係のなかで獲得できるはずあった収益を損なってしまう。なぜなら、営業担当者に今月中に契約をくれ入金をくれと言われることは決して心地いいものではないからだ。

私たちもご多聞にもれず、毎月の銀行残高をいつも気にして毎月の売上を達成するためにあれこれと動く時期があった。だが私たちは、月次の売上見込みが目標に届かなそうだからといって、小手先の施策を打つのをある時から一切やめた。あくまでも目標未達は未達として甘受しつつ、いかにその翌月、翌々月ないし半年後以降にこうした乖離を解消していけるかを考えるようにした。

やめたこと2:テレアポはかけない
多くのWebマーケティング企業やアドテク企業はテレアポをリード獲得手段としていることと思う。しかし、当社は2013年末以降、テレアポを行うことを一切禁じている。「本日は100本の電話をかけてアポ1件で目標に1件届きませんでした」「どうしたら目標に届くと思うんだ」などというやり取りは本当に意味がないし、テレアポをかけていてメンバーに何らかの知見が貯まるということがほぼないからである。

Nyleではこのテレアポに充てていたリソースを、サービスの品質改善やブログ記事の執筆や寄稿、セミナー登壇に充ててきた。結果として現在は、オンラインでの問合せや顧客からの案件紹介など反響営業のみで過去最高売上・利益を出すようになっている。

やめたこと3:人工リンク提供はやらない
少々コアな話になってしまうが、SEO事業を営む会社の多くが、いわゆる人工リンクの提供を行っている。Nyleでは、こうした人工リンクについても2014年以降一切の新規提供を行わなくなり、需要が高まっていたUI改善コンサルティングやコンテンツマーケティングなどの領域強化に取り組んできた。現在、Nyleは過去の顧客も含め人工リンクの提供は一切行っていない。

Googleの持つ高度な検索アルゴリズムは、どんなに精巧に作られた人工リンクでも見破るようになってきている。当面はリンク提供サービスで利益を出せるかもしれないが、5年後か3年後か、もしかしたら明日から、こうしたビジネスは一切通用しなくなるかもしれない。そういうリスクを抱えたまま顧客にサービス提供するのは信義にもとるし会社としても良いことはないと思ったのだ。

やめたこと4:リワード広告は提供しない
Applivをリリースした当時は、アプリ広告といえばリワード広告が全盛であり、収益的にも儲かることがわかっていた。だが、私たちが開発したのはノンインセンティブのアプリ広告サービスであり、リワード広告は自社で提供することはしないと決めていた。上述した人工リンクの話においても見られるように、プラットフォームはスパムを嫌う。AppleやGooglePlayにおいて、リワード広告業者は明確なスパマーであり、しかも取り締まりが人工リンクより簡単だ。数年以内にリワード広告の市場自体が崩壊に向かうと私たちは考え、そして実際そうなった。

やめたこと5:開発チームに納期を押し付けない
テクノロジー企業においては、「徹夜して早く作ったサービスが世界を変えた」というような話が(特に非エンジニアの人々の間で)横行しがちである。当社も以前は「早く作ること」を優先していたし、納期を巻くようにエンジニアに指示することもあった。しかし、今では各プロジェクトの開発責任者に納期の決定権限を与えることにしている。というのも「早く作る」ということだけに目線が向くと、その後のメンテナンス性が損なわれたシステムを作ることになりかねないからだ。

長期的な投資に張り続ける会社は強い

上述したNyleがやめてきた取り組みについて、共通していることはなんだろう。
私は、「長期性を考慮しての判断である」ということにあると思う。

経営者が短期的な成長を追っていくようになると、メンバーも含めた全員が今月の数字という「足元」しか見えなくなってしまう。結果として「今」を改善するだけの小手先のテクニックに走ることになり、足元数字が少しでも悪くなる施策や投資に忌避感が生まれてしまう。こうした組織の中での「投資への忌避感」をメンバーは敏感に感じ取る。すると、中長期的な施策がどんどん出てこなくなり、結果として単月黒字を追求するだけの凡庸な会社になってしまう。

逆に、経営者が長期的な成長を追っていくようになると、より長い射程での投資検討が可能になり、組織からもより多くの中長期的なアイデアが出て来やすくなる。足元の数字は一時は悪くなるかもしれないが、中長期的にはより高い成長が望めるし、メンバーも地に足をつけて仕事ができるようになる。

というツイートを以前した。仮に足元数字が切迫した企業の場合は、こうした長期性に張るための軍資金としてのVCマネーを入れるというのは極めて効果的だと思う。逆に言うと、VCマネーをいれるのに足元数字の改善に資金を使うのは愚の骨頂と言えるだろう。

自分の中に、未来仮説を持っておく

長期的な成長を求め投資をしていくのは、短期的成長を追うのと比べ、使う脳の筋肉がかなり違う。短期的な成長を追おうとした場合、変化の早い世の中とは言え、外部環境の変化を考慮して施策を組み立てることはまずないだろう。だが、半年や1年、3年スパンでの長期成長を目指して戦略を模索する時、外部環境の変化は大変重要なファクターになってくる。多くの企業が長い目で見た際の外部環境の変化に敏感ではない分、この変化にキャッチアップできるとかなり長期的投資の成功確率が上がると私は思う。

こうした長期的な外部環境の変化を予想し、高い確率で起こる「未来仮説」として経営陣がコンセンサスを持っておくと、企業としてどのように立ち回れば良いのかという輪郭が明らかになってくる。

Nyleについていえば、Applivは私たちの未来仮説が奏功した良い事例と言えるだろう。

今でこそゲームやアプリはスマートフォンで楽しむものだが、4年前の2012年、世の中はまだまだガラケーの時代だった。そしてガラケーにおけるゲームプラットフォームはブラウザであり、MobageやGREEが全盛を誇っていた時期でもある。

参考:DeNAのQ2決算、課金好調で増収増益–モバコインの消費額が過去最高に

しかし私たちが描いていた未来仮説は、
・スマートフォンが今後の携帯端末の主流となる
・正規のアプリストアが一気に発展し、人々はブラウザゲームを使わなくなる
・最初はスパム的な広告手法が発展するも、その後は正規な広告商品が必要とされていく
というものだった。

これらの流れは、いずれやってくるだろうとは思っていたものの、それが何時になるのかというのはなかなか読めなかった。2011年の終わり頃、周囲のテクノロジー関係者が皆iPhoneを使い、AppStoreでゲームやアプリをダウンロードしているのを見て、今後5年のスパンでスマホアプリ市場が一気に立ち上がってくると判断し、Applivを立ち上げるに至った。この未来仮説はそれなりに正しかったと思うし、早すぎず遅すぎずのちょうど良いタイミングで事業を開始できたと自負している。

感情が社会を支配し、合理性が企業を支配する

未来仮説を考えていくにあたり、GoogleやFacebook、Appleなどのプラットフォーム提供企業の動向はかなり予測が楽だと思う。というのも、こうした企業は事業的にはあくまでも「営利目的」の企業であり、自社の利益を長期的に最大化させる方向に動いていくからである。

Googleがスパムを撲滅したいのも、より良い検索結果を表示しなければユーザーが離れてしまい広告収益が減少するからだ。Appleがリワード広告を撃退したいのも、AppStoreのランキングがダウンロード数に応じて上下するように設計されているためリワード広告によって品質の低いアプリが上位に表示され得るからだ。FacebookのInstant Articlesにせよ、より長い時間ユーザーをFacebook内に留めておくことで、より多くの活動データや広告収益が獲得できるようになるからという理由で導入を説明できる(リンク遷移によるコストからユーザーが救済されることでユーザー体験も向上する)。

これらはいわば、予定調和的な動きであり、予測はある程度簡単だ。これに対して(企業もひっくるめた)政治や経済、世論、非営利団体が織りなすマクロな社会活動は、はるかに複雑性が高い。

社会は世界企業が提供するプラットフォームに比べ、はるかに多極的なプレイヤーが異なる利害を共にしている。また、企業の中では指揮命令系統の優劣が明確だが、社会においてはどんなプレイヤーが存在するかすら時として判然としない。より有機性と複雑性に富み、多極分散的な意思決定や合意形成がされるのが社会であり、その分企業の意思決定よりも論理的な結論に行き着きづらく、流動的な結論が導き出される可能性が高いのではないかと思う。

震災に寄付する著名人たちをネット民がよってたかって叩く姿は記憶に新しいが、他の著名人やそれに憧れる人たちの更なる寄付を抑制するものでしかないという意味で、こうした現象は合理的な社会像からはほど遠いだろう。

マクロな社会活動がこうした合理性に乏しいものである以上、その予測は時として大変困難である。だが逆に言うと、こうした複雑性に富む社会という前提は、一見して合理性からはかけ離れた事業やサービスが成立し得るということを示唆しており、社会全体が持つ集団心理を掴むのに長けた起業家ないしサービス提供者は、「一見すると不可解だが彼らにとっては必然のヒット」を飛ばし続けられるのかもしれない(私の周りではこういう人を、よく分からないけどすごい「プロデューサータイプの起業家」と呼んでいる)。

起業家の仕事は、未来仮説を持って長期性に取り組むと決めること

若干話がそれたが、起業家がすべき仕事の一定割合は未来仮説を持ち、長期性に取り組むという腹を据えることだと私は思う。目減りし続けるキャッシュフローの恐怖や手っ取り早く儲かりそうな仕事の誘惑は理解できるが、多くの起業家はこうした「回り道」に時間を割いている暇はないはずだ。「急がば回れ」というやつである。

ドラッカーは企業の意味を「顧客の創造」といった。

この飽和した日本経済において、スタートアップやベンチャーはどんな価値を発揮すべきかといえば、新しい事業を創造し経済を活性化させていくことにあると思う。誰もがやっている小手先の改善よりも、その事業の可能性を長期的に最大化させるような施策を、自分たちなりの未来仮説とともに実行していくことで、大手企業や競合企業が達成し得ない大きな事業成果や結果としてのオンリーワンの顧客満足を生み出せるのではないだろうか。

長期的な投資をし続けるのは時につらい選択だ。しかしスタートアップを名乗る以上は、自分たちが実現したい世界を実現するのが使命であるはずだ。

Nyleは今、Applivが国内で実現してきたことを世界でも実現しようとしている。私たちが今持っているこれからの未来仮説はここには書かないが、これを証明できた時、Nyleは確実に次のステージに上がれると考えている。引き続き背水の覚悟で、長期性への投資を続けていきたい。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

暗闇への跳躍

本日、Volare(ヴォラーレ)をNyle(ナイル)へと社名変更した事を発表した。ナイル川のナイルではなく、「Near Your Life」という言葉の頭文字と最後の文字を取り社名を決めた。人々のそばに当たり前にあるようなサービスを作り続ける会社にしていきたい。

社名を変更しようという話は実は数年前からあったのだが、Applivの英語圏への展開を加速させていくこのタイミングが最良であろうと考えた。このブログについても更新する良い機会だと考えたので、私たちがこれから何をやっていくのか。今どんなことを考えているのかを発信してみようと思う。

アプリストアの第三極とはどういうことか

THE BRIDGEにも掲載頂いたが、私たちはApplivをアプリストアの第三極としていく事を目指している。

現在世界のアプリストアはAppStoreとGooglePlayにおおまかに二分されているが、独自のアプリストアが発展している地域も存在している。

例えば中国ではその特殊な政治的背景もあり、GooglePlayが排除され独自のアプリ経済圏が築かれている。
また、非中華圏においてもAmazonやOperaなどが独自にストアを出しており、その存在感を放ちつつある。
最近では楽天も独自のアプリストアをリリースしたのは記憶に新しい。

垂直統合型のビジネスモデルを採用しているAppleに対して、Googleの展開するAndroidにおいてはユーザーがGooglePlayを利用しなければならないという制限があるわけではなく、その国のモバイル環境の発展過程や様々なプレイヤーの取ってきた戦略によって多かれ少なかれGooglePlayのシェアが奪われているケースが存在するということである。

こうしたサービス群の一つとなることをApplivは目指すことになるわけだが、独自アプリストアは例外なく一つの課題にさらされる。それはトラフィックの獲得である。

当然のことだが、トラフィックの無いアプリストアに対してアプリディベロッパーがアプリの個別カスタマイズをするわけがない。仮にGoogleなどのプラットフォーマーに支払うロイヤリティが多少下がった所で、アプリがダウンロードされなければなんの意味もないからである。Applivを経由してアプリをダウンロードするのが当たり前というユーザーのベースをいかに作れるかということが、日本にせよ海外にせよアプリストアを展開していく上で大変重要である。

本日リリースしたUS版Applivの提供、そして年内8カ国での英語版Applivのリリースは、まさにこの「トラフィック」をグローバルに獲得していく上での重要な一手となる。

同一言語圏内の賃金格差を利用した海外展開

Applivを構想した時、将来的にこのサービスを必ず世界に展開しようと私たちは決めていた。アプリの市場は世界共通のプラットフォームであるiOS、Androidの上に存在しており、かつてガラケー時代に言われたような日本だけがガラパゴスという状況にない。よって、日本発海外で成功するサービスを作れる可能性を感じていたからだ。

比較的コストのかからないフィリピンでコンテンツを作り、当社が得意とするSEOを武器にグローバルにトラフィックを獲得していくという戦略で英語版のApplivを今後多くの国々にてローカライズし展開していくのだが、こうした戦略は、Applivを立ち上げた当初から構想として組み込まれていた。

当初は(今でも)社内外から「良いコンテンツを作ることが出来ないのでは」「一口に英語と言っても国によって文法や書き方が違うのでは」などの懸念が多く出されたが、何度かの調査の結果、私たちはこの戦略を成功させることが可能だろうと予測し実行に移すことにした。

人は過去に自らが見聞きし体験してきた事から物事を測るものだが、経験という引き出しに入らない何かに触れる時、多くの人はその可能性を否定しがちであることもまた確かであろう。

Applivを立ち上げた当初、私たちがよく言われたのが「AppStoreがあるじゃないか」「GooglePlayがあるじゃないか」という言葉だった。AppStoreやGooglePlayに慣れた人からすれば、Applivが提供する付加価値は全く必要と思われなかったのだろう。しかし、こうしたアドバイス、フィードバックは時として無視しないと、この世に今無いものは永遠に作れなくなってしまう。

今回の独自アプリストアを作るという構想も、同一言語圏内での賃金格差を活用してグローバルにトラフィックを獲得していくという戦略も、ある種同様に、多くの人にとって「うまくいかないんじゃないか」と言わざるを得ない話だろう。

しかしApplivを立ち上げた時と同じように「うまくいかない」と言われるからこそ、やりきった時大きな果実が収穫できるのがこの構想、戦略であると私は思う。まずは英語版Applivをしっかりと成功させて、アプリストア化という構想への足がかりにしていきたい。

スマートフォンとは一体なにか

海外事情について調べることが増えたためか、ここ最近よくスマートフォンというものが何なのかについて考えていた。ガラケー時代から高度なモバイル端末に触れていた我々日本人にとってのスマートフォンは、電話でありインターネット端末でありゲーム機でもあり、そのどれも正解と言える。

しかし、グローバルに捉えた時、スマートフォンとは、人々にとっての高度なインフラストラクチャーインターフェースなのではないかと私は考えるようになった。

インフラという言葉から多くの人が想起するのは、電気・ガス・水道などであろう。だが、これらのインフラが価値を持つためには、人々がこれらを享受するためのインターフェース、すなわりスイッチやコンロ、蛇口が必要だ。

インターネットが情報への接続性を担保する現代のインフラであることはもはや自明だが、PC主流の時代のインターネットはいわば井戸から組み上げる水のようなものだったように思う。家族や地域の皆で一つの井戸を利用するのは、水道の蛇口から自由に水を得られる体験からすると大変に不便だろう。

スマートフォンはその価格、携帯性からインターネット体験という水をどこでも簡単に捻り出すことを可能にし、しかも個人が独占的に使える。このため、世界中の人々のインターネット体験は極めて画一的かつ手軽なものになってきていると思う。

GoogleのプロジェクトルーンFacebookのソーラードローン計画などがそのまますんなりと上手くいくのかどうかは分からないが、民間企業も参画してのインターネット環境の世界的整備によって、世界70億人がインターネットにつながっているのが常識、当然という世界がそう遠くない未来に到来するのは間違いない。

こうしたインフラ拡充とインターフェース革新によって、情報社会への接続手段は世界的に迅速かつ簡易、そして場所を選ばないコモディティとしての完成をみるだろう。

情報接続性の進化が拓く変化

グーテンベルクの活版印刷とインターネットの類似性はインターネット界隈の人たちの間には定期的に取り沙汰される話だが、活版印刷の誕生がルターの宗教革命につながるまでには70年の時間を要したし、世界に活版印刷が広がり知識や知恵の共有が段違いに効率化されるまでにはより多くの時間を必要とした。産業革命にしても、未だ全世界的な工業化の達成には至っていない。

アフリカには、電気も水道もないが、スマートフォンを皆が持ち、電池を節約するために用事のあるときだけ利用する村が多々あるという。インフラとしての電気がなくてもスマートフォンを充電できるよう、モバイルキオスクなるソーラーパネルを搭載した充電器を自転車で運ぶサービスが登場するなど、スマートフォンやインターネットの方が既存の主要インフラよりも早く普及しているケースもある。

これまでの先進国家誕生過程においては、機械工業化とそれに伴う高速道路や鉄道などの物流網の整備、電気ガス水道などのインフラ整備は必須であった。しかし、上述したような既存インフラが未発達な中でも情報インフラが先行して独自発達をする発展途上国の存在は、工業化と情報化がパラレルに進行する独自の経済成長の可能性を示唆すると共に、インターネットの広がりが既存の産業革命や活版印刷技術の広がりを上回る速度と規模で進む可能性を示していると私は思う。

インターネットの広がりが加速度を増した結果としての情報接続性のコモディティ化が進む中で、人々の持つ様々な先入観や暗黙の了解とされている文化的営みは確実に変容を迫られるはずだ。現代社会において人々は、結婚すること、子供を生み育てること、宗教を信じることなどにおいて常に合理的に振る舞うわけではない。「これはこういうものである」という極めて文化的な背景を持つ道徳観念をベースとして意思決定をしているのが人間だ。

だが、こうした文化的な道徳観念は親から子へと継承されてきたがゆえに社会的に緩やかな共通認識として存在するものであり、情報接続が極めて簡易になされ、より多様な価値観によって刺激を与えられる現代においては、その変化は免れない潮流になっていくように思う。子供にスマートフォンを持たせない親の存在は、こうした変容を嫌うないし良くないものとして捉える人々がいることを示している。

私自身、自分の親世代との間に相当な価値観の乖離を感じることがよくあるが、これは過去ローマ時代にも言われていたという「今の若い者は〜」という言葉の範疇を超えているのかもしれず、もしかしたらこうした乖離は今若者と言われる世代とその子供達の世代においてはさらに広がるものなのかもしれない。

また、人々がインターネットによって変容を迫られるのと同様に、インターネットもまた人々によって変容を迫られるはずだ。「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」とはよく言ったものだが、インターネットが人々によって用いられるものである以上、人々の変化はインターネット自体をも変え、相互作用を与え合いながら社会全体を変えていくのだろう。

こうした潮流が高い加速度を持つ不可逆なものである以上、これからの十数年間には活版印刷や産業革命の登場によって起きたような変化が一気に生まれる可能性がある。現代に生きる私たちにとってそれが良いものか悪いものかという議論にはここでは触れないが、向こう10年を上記のような前提を持って生きるのとそうでないのとでは、個にしても企業にしても国家にしてもその未来が全く異なってくるのではないだろうか。

暗闇への跳躍

世界中の人々がスマートフォン(ないし新たな端末革命により生まれる何がしかのモバイル端末)を使いGoogleやFacebookを通じて大抵の情報に接続できる時代において、「何かを知っていること」は急速に価値を失っている。むしろ「検索しても出てこないことを知っている」ことのレアリティが増し、そうしたレアリティある情報を組み立てて何かを考えられることが、独自の価値を生み出す絶対条件になる時代になっていくのではないだろうか。

先述したインターネットと人々の相互作用による変化は全世界的に起こることであろうが、残念ながらその中心地はおそらく日本ではない。すでに様々なモノ・サービスに満たされている日本における変化は、既存産業が欠落ないし未発達な中で一足飛びに情報産業が勃興する国々に比べれば小さいものでしかないはずだ。

統計やニュースを参照するだけではこうした変化の最前線を捉えることなど出来るわけがない。実際の変化が起きる中心地に飛び込み、揉みくちゃにされながら手に掴む情報にこそ価値があり、こうした希少な体験から得る情報とそれらから組み立てる事業にこそ真に独自性が宿るのだと思う。

よく知っている日本というある程度の規模を持つマーケットの中でしっかりと成功するのは一つの選択肢ではあるのだろうが、今後十数年の社会変化を牽引するであろうスマートフォンという領域でビジネスをやっている以上、敢えて先が見えない世界に飛び込み、新しい時代の変化に触れ、何らかの影響をそこに与えたいと私は思う。

未来に起こるだろう急激な変化の中でNyleがどのような道筋を歩むのかは分からないが、未知なる暗闇への跳躍を続け、新しい景色が立ち現れるまでの全てを楽しんでいきたい。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

愛と正義とレジリエンスの関係性

レジリエンスという言葉がある。

「精神的回復力」や「抵抗力」などと訳される心理学用語らしく、「脆弱性」の反対概念に位置する自発的治癒力の意味なのだとか。つまり何かがあった際に、心の平衡を保つ力のことをレジリエンスと呼ぶらしい。

先日、NewsPicksというサービスでアリババの創業者ジャック・マーについてのコラムが掲載されていた。
「最初の起業、失意の失脚、そしてアリババ創業へ」

この記事のコメント欄で、とある方が「これぞレジリエンスでしょうか」と書いていたのを見て初めてこの用語を知ったのだが、「挫折からの成功」というと、多くの人にとって最初に想起されるのは故スティーブ・ジョブズではないだろうか。

彼はスタンフォード大学でのあまりにも有名なスピーチで、
「未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです」
というメッセージを残している(※引用元)。

大抵の人間にとって「挫折」という「点」が起きた時、それを未来へと繋がる「線」で捉えることは難しいだろう。だが、その先の成功に向かうためには、挫折という「点」がいつか「線」になることを信じ、心の平衡を保って進まなければならない。何らかの失意に沈んだとしても、何かを信じることで自分を奮い立たせなければならないのだ。

そういう時、人は何を拠りどころにすればいいのか。ジョブズの言うように「なんでもいいから、とにかく信じろ」とは一つの真理だろう。だが、私は他にとても大切なことがあると考えている。

自尊心や愛が心の平衡を支えてくれる

Wikipediaで参照しただけの情報だが、心の平衡を支える「レジリエンス因子」なる言葉が心理学の世界にはあるらしい。代表的なものは「自尊心」や「支持的な人がそばにいてくれること」「安定した愛着」なのだとか。

レジリエンスについて調べこの言葉について知った時、私の中で色々と腑に落ちるものがあった。

私自身、これまで挫折とは呼べないまでも、経営者として精神的にしんどい経験は色々と積んできたつもりだ。

そんな時、自分を信じる根拠になったのはいつだって「自分は人として或いは経営者として正しいことが出来ているのだろうか」という自問だった。

こうした自問に気持よくYESと答えられるときには、どんなにしんどい時であっても前に進めた。一方で、NOと答えざるをえないような事をしでかした時には、自分の精神のバイオリズムは悪い方向に向かいだし、行いを正すまで良い方向には戻れない。

「徳を積む」という考えがあるが、人は自らに恥じない行いをすることで、自己を承認し自尊心を得られるのだと思う。正しい行動をすることで自尊心が育まれ、結果としてレジリエンス=心の平衡が得られるのなら、正しい事をすることについて「ルールだから」とか「自己満足のため」とか「社会のためになることだから」といった杓子定規の価値観とは、ちょっと違った風景が見えてくる気がする。

「徳を積む」とは聖人君主でいるということではない。常に自分の価値観に照らし合わせて、自分の正義に嘘をつかないことが大事なのだろう。

正義という言葉は暴力的で、世界ではこの言葉のせいで人が簡単に殺されたりする。
だが、「自分なりの正義」に忠実に生きることで、内なる平和は保つことができる。

「自分なりの正義」が他人の権利を侵害しているような奴に出会うと大変迷惑だが、そういう奴は大抵の場合人に愛されることはない。逆に「人に何かを与えること」「人として恥じない行動をすること」を自らの当然の正義としている人の周りには、自然と支えてくれる人が集まってくるものだ。

現代社会は複雑だ。外部環境がめまぐるしく変わり、何をしている人にとっても不確実な社会になっている。
それは会社経営においてもそうで、どんなに脳味噌を振り絞り、未来を予想して選んだ決断だったとしても間違えることはざらにある。

その間違いが「挫折」と呼ばれるほどのものになってしまうことがこれから先にあるとして、私は「成功」という「点」が立ち現れるのを信じて突き進まなければならない。そんな時、自分なりの自尊心が砕かれず在るために、そして今自分を支えてくれる人たちがその時にも変わらずに支えてくれるよう、自分なりの正義に忠実に生きていきたい。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

今ありきでゴールを設定するのと、ゴールありきで今を変えるのは全然違うという話

前々回「ヴォラーレSEOやめるってよ(嘘)」という記事を、当社コンサルティング事業部メンバーを奮い立たせる目的もあって書いたのだが、交流会などで「ヴォラーレSEOやめるらしいですね!!」と言われたメンバーがいるらしく、世の中なかなか思うようには行かないなぁと思うばかりである。

ところで、
ビジネスにおける「バカ」のポジティブ変換は「素直」ではなく「天才」だ

という記事が周囲でバズっていて、この記事に関連して当社D居がこんな記事を書いていた。
「拒絶」と「反論」は似ているようで全く違うという話

経営者の無茶ぶりに対して、「阿呆か」と思うか「こいつ天才かも」と思うか。
部下が経営者をどう捉えるか、脳みそを振り絞り経営者の無茶ぶりの実現のために動くか否かが、企業の成功を分けることもある。

ビジネスには自分の見えてない色々な側面があるものなのだから、無茶ぶりされたとしてもまずは一旦飲み込んで、実現できる方向で考えた上であれこれ意見出してみたほうがいいじゃん、という話である。

この2つの記事、全くもってその通りだなと思うのだが、数々の無茶ぶり(と思われること)をしてきた経営者として思う所があったので記事にしてみたいと思う。

今ありきでゴールを設定していると予定調和の未来しか訪れない

私は「ゴールありきで今を変えていくべき」という思想を強く持っている。
会社を始めた時は「金無し(資本金300万円はあったけど)物無し人材無し」のナイナイ尽くしの状態から始まった。しかし当時何もない中でも、「日本を代表する企業を作る」という高い目標を掲げ、それを達成する方法を必死で考え、幾度の失敗を重ねながらも少しずつ前進してきた。

Volareの場合、幾度のPivotを重ねて、SEOサービスに注力することで事業としては成長させることが出来たのだが、この「SEOに注力する」という決断を下した時には社内的にも多くの反対があった。

今扱っている商材だけでもそれなりに売上を立てられているではないか、SEOへのノウハウも中途半端な状態で参入しても先行企業がある以上事業として成立しないのではないか、など色んな意見があったわけだが私はこれを断行した。

もちろん私もSEOに注力すべき様々な理由を持っていたが、一番大きな理由は、「死なないために会社をやってるわけじゃない」ということであった。

10数人でやっていくだけなら今の事業でも可能かもしれない。しかし、会社として利益を出し、新しいことに投資をし、日本を代表するような企業を作っていくためには、それまでの延長線でビジネスをやっていてもダメだという確信があったのだ(もちろんSEOだけでそういう企業が作れるとも思ってないけど)。

何が言いたいかというと、起業家は(少なくても私は)最初何も持っていないのだ。
最初に持っているのは目標とか夢とか言われるものだけしかなかった。

である以上、今ありきでゴールを見据えても何の意味もない。
今の積み重ねで予想可能な未来なんてつまらない。

ゴールありきで今何をすべきかを考えていくべきなのだ。
私にとっては、そういう選択の繰り返しの結果として今があるだけなので、ゴール達成のために今に固執しその延長で考えるというのは滑稽な話でしかない。

「今これで一定の成果を挙げているのだから」というのは今を変えない根拠に値しない。
なぜなら今を変えることで、目標とする未来にもっと早く辿り着ける可能性が常にあるからだ。

人生は短い。私は今28歳だが、仮に経営者として60歳になるまで一線に立てるとしても、あと30年ちょっとしかない。事業をやってみると分かるが、30年というのはあっという間だ。一つの事業を立ち上げ、ある程度軌道に乗せるまでには3〜5年はかかるからだ。

もっと早く。もっと強く。もっとすごいものを。
そういう衝動を大切に、今を変えるのが当たり前という感覚でいないと、目標が大きければ大きいほど達成は困難になる。Volareが、SEO事業が収益化できた時すぐさま新規事業「Appliv」にとりかかったのも、目標とする未来に早く辿り着くために他ならない。

実現を信じるのが良き幹部なら、実現を信じさせるのが良き経営者だと思う

とはいえ、全員が全員経営者とか起業家の視点を持っているべきというのはいささか乱暴だ。
経営者としては、冒頭に挙げたブログのような姿勢で取り組んでくれるメンバーは多ければ多いほど良いが、全員がそうなるというのは現実的に考えて不可能に近い。

私は経営者の重要な仕事の一つに「実現を信じさせること」があると思っている。
企業、特にベンチャーというものは不確実な未来を実現しようと進んでいくものだ。
その目標が大きかろうと小さかろうと、実現可能性が高かろうと低かろうと、組織のメンバーから「無理っしょ」と思われてしまったら、もはやその実現は不可能になる。

だからあの手この手を使い、時にはプレゼンで時には対面で、目標が実現した未来やどうやって実現するのかを説き、全員とは言わずとも少しでも多くのメンバーに「こいつの話、本当に実現するかもしれない」と信じてもらうことがとても大切だ。

経営者は遠大な目標を掲げその実現を信じさせようと努力し、幹部は経営者の掲げる目標の実現を信じようと努力する。メンバーの中からも幹部同様に考え実現のための手立てを考えるヤツが続々出てくる。そういう組織はとても強い。

Volareがそう在るよう、私も努力していこうと思う。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

ヴォラーレSEOやめるってよ(嘘)

このままいくと、また今年のインターンイベント開催までの間ブログを書かない羽目になりそうなのと、
最近少々気になる話があるので久々にブログを書いてみることにする。

ヴォラーレSEOやめるってよ(やめません)

ご存知の方も多いと思うが、VolareにはSEOに強みを持つWebコンサルティング事業と、コンサルティング実績で培った知見を活かしてApplivというメディアを運営するインターネットメディア事業の2つの事業がある。

Webコンサルティング事業部では、(今月誕生日の)CMO土居を中心として運営するSEO HACKSというメディアの運営や、現場の前線メンバーが中心となって行う企業担当者向けのSEOセミナーの定期開催を中心に、企業向けの情報発信を積極的に行っている。

一方Applivについては、会社として今後大きく伸ばしていきたいと考えているため、この2年間多くの投資を行ってきた。そのかいもあって、現在Applivは順調にアクセス数や売上を伸ばしており、社外の方と話すときにも「メディア好調そうだね」などと声をかけて頂く機会も増えた。

ただ、「ヴォラーレ、SEOやめてメディア事業に行くらしいよ」という根も葉もない話が其処此処で言われているという話をメンバーが最近よく口にする。気になる話というのはその事である。

Webコンサルティング事業のメンバーは事業に誇りを持って働いているし、「メディア事業頑張ってるらしいよ」ならまだしも「SEOやめるらしいよ」というのはいささか心外と言わざるを得ない。

あえて!ウーハッフッハーン!!もう!一回言うけど、ヴォラーレッハアァアーー!!SEOを!ウグッブーン!!やめません。

SEOに未来はありまぁす

また、「SEOってもうオワコンでしょ!Googleからスパム食らって死亡でしょ!」という、この業界で1年に1回は紛糾する話についても、割と辟易している。

検索エンジン経由でのアクセスを無視できない以上、SEOは無くならないし、それが専門的なテクニックを要する以上、SEOという市場がなくなることはないだろう。

たしかに外部リンクを購入するWebサイトに対するペナルティの実施など、数年前には予想できなかった事がこの業界では立て続けに起きた。クライアントにまで迷惑がかかるとなった以上、外部リンクSEO市場は衰退を免れないだろう。

だが、SEOとは何も外部リンクだけを指す言葉ではなく、むしろ外部リンクに対する取り締まりが強化されたがゆえに、内部改善業務やコンテンツマーケティングを求めるクライアントは急増している。SEOは終わりに向かっているのではなく、市場内の主要な商材体系が急速に転換されつつあるだけという方が自然な見方と言えるだろう。私が以前「SEOは本当に終わるのか」という記事で書いたように、外部リンク以外の多岐に渡るSEO手法に光が当たるようになってきたというだけの話である。

Volareは、外部リンクに対するGoogleの方針を踏まえた業態転換に早期から取り組み、成功してきた。すでに新規での外部リンク販売は一切行っておらず、新規案件のほぼ全てがSEO設計やコンテンツマーケティング支援業務となっており、周辺領域となるWebコンサルティング、UI改善コンサルティングなどのサービスの提供も増加している。外部リンクSEOを提供し続け苦しんでいる企業も多い中、6月度の事業予算を大幅に達成することもできた。

こうした領域でのニーズは外部リンク市場の衰退に伴い確実に増えていくであろうし、Volareはこうした市場環境において非常に良いポジションを獲得していると思う。また、こうしたサービスの提供はそのままWebサービスの展開やその他事業のマーケティングノウハウとして活用されるため、Applivに次ぐ新規事業を見据えた際にも良い方向に事業の舵を切ることが出来たと考えている。

BtoB企業がBtoC領域で出会う逆風

「ヴォラーレ、SEOやめてメディア事業に行くらしいよ」という話が業界でなされるという事について思うのは、BtoB企業がBtoC領域で成功することの難しさである。

VolareがApplivをリリースした当初も、「BtoB企業はBtoCでは成功できない」という話を色んな人にされたのを思い出す。

たしかに、BtoBとBtoCでは使用する筋肉が全く違う。

大抵のBtoB事業においては、1年以上収益化をしないなど論外である(エンタープライズツールなどは別だけど)。一方で、BtoC事業においては最初からマネタイズしようにもユーザーがいなければ不可能だ。よって、メディアパワーの強化を優先すべきであり、当面はマネタイズを考えてはならないケースが多い。

Volareでも、Appliv事業展開にあたって最初の1年間は収益を度外視し、ユーザー集めに注力してきた。その結果、今年の3月には月間ユニークユーザーは300万人を突破、現在はマネタイズにも着手し、安定的に収益をあげる事業にまで成長してきた。

メンバーについても、SEOに強いWebコンサルタントがいるだけではBtoCでは成功できない。この2年の間に、エンジニアとデザイナー合わせて数名だったチームを20人近い組織へとスケールアップしてきた。

Webコンサルティング事業のメンバーについても、自分たちが稼いでいるキャッシュフローの多くが新規事業に投入される状況によく耐え、Applivが事業として立ち上がるのを温かく見守ってくれた。そして、逆に贅肉を削ぎ落した精鋭部隊を作り上げてくれた。

こうしたビジネスモデルの違い、必要とするチームの違い、組織内での既存事業からの協力意識など、様々な要素をクリアしなければBtoC事業を立ち上げることは出来ない。だからこそ「BtoB企業はBtoCでは成功できない」というジンクスが生まれたのではなかろうか。

「ヴォラーレ、SEOやめてメディア事業に行くらしいよ」という話が外部で囁かれてしまうというのも、ある意味BtoB企業がBtoC領域で成功する上での困難の一つなのかなと思う。

だが上述した条件をすべてクリアしてきたVolareにとって、こんな困難は正直屁でもない事だ。
引き続きVolareは両事業を展開していく。

「SEOやコンサル事業から撤退するのでは」という憶測を払拭し、Volareの前線で日本最高峰のWebコンサルティングサービスを提供せんとするメンバー達のためにこの記事を書いた。Volareのメンバーが無意味な雑音に耳を貸さず、安心して思いっきり働いてくれることを願う。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

計画的落涙

最近全くブログを更新していなかったため、新卒のH比谷には「絶対書く気ないですよね」などとdisられる始末だ。いい加減何かしら書かないと社長の沽券にも関わってくるし、今日はちょうど書くべき素晴らしい話があるので筆を取ることとする。

先週の金曜から日曜にかけて、Volare初となる内定直結型のジョブインターン「Million Doolar Bootcamp(以下MDB)」を行った。

MDBは、「投資家に事業モデルをプレゼンできる」というのがキモとなっているビジネスプランコンテストで、当社に投資をしているNVCCの奥原社長や担当の佐藤さん、クックパッド元CFOの成松さんに審査員としてご協力頂いて実施をするに至ったイベントだ。

そもそもMDBをやることになったきっかけは、私の何の計画性もない思いつきだった。
今年の9月、2014年卒内定者のS本と昼食を食べている時に、「内定直結のジョブやりてーなあ」という話をしていて、ふいに思いついた企画なのである。

結果としてMDBは大成功したし(参加者全員がアンケートで大変満足または満足にマルをつけてくれた!)、今後採用活動に「自社でジョブイベントをやる」という選択肢が増えた事はVolareにとってはとても大きな収穫だった。

しかし今回、私が自慢したいのは、なにもMDBという企画を思いついた事ではない。

集客から運営に至るまで、MDBの全てを10月に入社した2013年秋卒の新メンバーと、2014年に入社予定の内定者達に任せたこと。このことについて、私は自分の決断を誇りに思うし、同時に立派にMDBを成功させた運営メンバーを心から讃えたいと思う。

9月初頭、ざっくりした企画書をメモ帳で彼らに渡した後、彼らの動きはすさまじく早かった。

まず、冒頭で私がブログを書かない事を嘲ったH比谷(デザイナー)は、あっという間にMDBのWebサイトを作成し、集客が出来る環境を整えた(しかも控えめに見ても、このサイトは最高にカッコいいと思っている)。
参考:http://recruit.volare.jp/million-dollar2013/

薬学部出身で、この間私が飲んでいる薬を見るやいなや、「ハハン、それですね」と鼻で笑ってきたS本は、卒業前の勉強でクソ忙しい中、(たぶん)授業中にMDBのオペレーションをガシガシ考えて、抜け漏れがほとんどない運営体制を構築してくれた。

大学で草の研究をしていたのに、なぜかITの世界に飛び込む事に決めたH田野は、畑で草刈りをする合間を縫って、スケジュール管理やルール決めをしてくれた(当然彼はVolareにある観葉植物のメンテナンスも担当している)。他にも、N岡やT遠、S田はじめ、全員が何らかの役割を持ち一定の活躍をしてくれた。

わずか2ヶ月しか準備期間が無い中で、彼らは50名近い応募者を集め(全員超優秀)、全員と面接して(私も全て同席したが)16名のメンバーを選んだ。悩みに悩み抜いて決めた、16名だ。

参加者への連絡や宿・食事の手配に講師・メンター・審査員への情報事前共有など、一つのミスも許されない中で全員が脳ミソを雑巾のように絞りまくったからこそ、ほぼ全てのオペレーション、コンテンツを完璧に近いクオリティにする事が出来たと考えている。

「いま新卒とか内定者メンバーにMDBの運営を全部任せているんだよね」と社外で話すと、多くの人が「そんな大事なイベントを任せるのはリスクではないか」と言った。確かにそうかもしれないが、多分既存のメンバーが片手間でやっていたら、きっと参加者は今回ほどのクオリティを感じてはくれなかったと思っている。

最終日、運営を代表してスピーチしたH比谷が、泣きながら参加者にお礼を言っているのを見て、運営メンバーの本気さを再認識した(皆で計画的落涙だと冷やかしたけど)。本気で参加者の満足とイベントの成功を掴み取りにいくからこそ、仮に拙い部分があるチームでだって最高のクオリティに近づいていけるのだ。

新卒社員の育成について語られるとき、世間ではよく「小さな成功体験を積ませよう」と言われる。
正直言って、私はこの言葉があまり好きではない。

50人そこそこのベンチャーに入社する人間は、全員がそれ相応の覚悟を持って入ってくる。そして、Volareに入ってくる人間は、その覚悟に見合うだけのポテンシャルがあるメンバーだと私は自負している。

そういうヤツらにとっての仕事は、「全力を出さなければ成功出来ないギリギリのライン」までストレッチし、成功を「勝ち取る」事に意味があるのだと思う。MDBを経て手元に残った成功の指標は、たった16枚の紙のアンケートだが、間違いなく彼らが勝ち取った貴重な宝物だ。

彼らと作り出す新しいVolareは、きっとスゴイ会社になる。
その確信と共に、今日は筆を置く事とする。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

制度なんて器は、さっさと破壊した方がよい

Volareではこの1月に大きな組織体制の変更があった。

これまでは1人の組織メンバーが1つの部署に属するピラミッド型組織を採用していたのだが、このルールを廃止し、1人の組織メンバーが必ず2つ以上の部署に属するウェブ型組織へと移行したのだ。

以前のVolareではSEO施策を担当するメンバーはそれのみに集中し、顧客にコンサルティングを行うメンバーはコンサルのみを行うという分業化がなされていた。

しかしこの組織体制では、専門化が進むが故にそれ以外の業務についてのノウハウが個人に蓄積されない。よってWebコンサルからSEO施策、営業業務まで一貫して行える人員が育ちにくい環境が生まれてしまっていた。

こういった前提において、この制度を導入した理由は大きく分けて2点だ。

①業務の担当範囲が増えるので単純にノウハウ習得量が増える
②目標として与えられたKPIが増えるので、個々人がより多面的な視野を持てるようになる

実際に運用してみて、この体制はそれなりにワークしたのだが、
と同時に強く思う所があったのでここに記しておく。

この部署にだけ属しています、という意識は毒でしかない

1ヶ月間を上記のような体制で走ってみて私が感じたのは、メンバーの意識が帰属部署「だけ」に向いてしまってはならない、という危機感だ。

すなわち、「私はXXX部署とYYY部署にだけ所属しているので、ZZZ部署にはタッチしません」という意識が生まれているメンバーがいるのではと感じられたのだ。

これは由々しき問題だ。部署に縛られてしまうのを回避するため全員が2部署以上に所属するように組織を再設計したにも関わらず、今度はその2部署だけに縛られてしまうというのは何ともな皮肉ではないか。

組織体制や制度なんてものは、不完全な器だ。破壊するか、乗り越えよ

前置きが長くなったが、優れたビジネスパーソンは全ての制度を嘲笑わなくてはならないと私は考えている。
制度なんてモノは、メンバーが自然と組織が意図する方向に能力や視野を広げてくれるよう設計された、穴だらけの箱に過ぎないのだ。

「君は営業部署に配属ね」という言葉は、なにも「お前は営業だけやってればいいんだ」という事ではない。
「営業でしっかりと成果を出した上で自分の活躍する領域をもっと広げていきなさい」と解釈して欲しいというのが私が思う所だ。組織設計含め全ての制度は会社の人材戦略においてとても大事なものだが、制度の通りにいい子にしてるというのはとてもアホらしいしつまらない。

極端な話、「営業もコンサルもSEO施策も開発もデザインも経営も」出来た方が良いに決まっているではないか。それを「私は営業部署なので営業以外はやりません」と切って捨ててしまうのは何とも勿体ない話だ。

組織にとって大切なのは、箱の形をどう変えるかとかどの穴を塞ぐかじゃない。箱の中がどんな中身なのか、そしてその中身は箱から溢れたり、時には箱を破壊するくらい、エネルギーに満ち溢れているかどうかなのだと思う。

ウェブ型組織になり、完璧に区分けされたVolareは今年や来年は勝つかもしれない。
でもそれじゃ足りない。3年後も5年後も10年後も勝ち続けるには、制度に埋もれるメンバーだけではやっていけない。

制度なんてつまらないモノは破壊して、そこから脱却する。Volareはそういうエネルギッシュなメンバーがモリモリ頑張れる組織であり続ける。そして私含め経営陣は、破壊された制度を何度でも組み立て直して、またソレが破壊されたり乗り越えられたりするさまを見て楽しむ事とする。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket