ナイルがやめた5つの取り組みと、スタートアップが持つべき未来仮説の話

Nyleでは3ヶ月に一度役員合宿を行い、四半期の反省や今後の打ち手の検討、長期的な会社の方向性などについて役員全員でじっくり議論する時間を作るようにしている。その役員合宿が今週末にあるのだが、これに先立ち先週の土日は企業として大切にしていきたいことや大切にしてきたことに思考を巡らせていた。

21歳で起業してこれまでにいくつかのビジネスを手がけてきた。そのなかで、経営者として下してきた決断を分析するというのは暗黙的に存在する会社としての経営理念を言語化するのに有効な手段かもしれぬと思い、一人で書き出している。こういう振り返りを行うと一連の決断の中から、過去には言語化できていなかった自分の経営理念のようなものが立ち現れてくるから面白い。

「何をやったか」よりも「何をやめたか」

「何をやって上手くいったか」というのはとても大事なことだ。だが、大抵の企業や個人が「やめてよかったこと」があるというのもまた大切な事実であろう。Nyleでも多くのことに取り組んで、多くのことをやめてきた。今回の記事においては、「何をやめたか」ということにフォーカスしつつ話を進めたいと思う。

やめたこと1:月次の売り上げは追わない
スタートアップの経営者は月次の売上高に一喜一憂してしまいがちだと思う。キャッシュが潤沢にあるわけでもなく、この赤字があと数カ月続いたら会社は倒産してしまう。そんな時に今月の売上を気にするなというのは無理というものだろう。

だが、今月の売上を気にするだけならまだしも、そこで数字を「作り」にいってしまうとなると話は別だ。大抵の場合、無理な営業獲得に走ってしまう会社は、それ以降に顧客との信頼関係のなかで獲得できるはずあった収益を損なってしまう。なぜなら、営業担当者に今月中に契約をくれ入金をくれと言われることは決して心地いいものではないからだ。

私たちもご多聞にもれず、毎月の銀行残高をいつも気にして毎月の売上を達成するためにあれこれと動く時期があった。だが私たちは、月次の売上見込みが目標に届かなそうだからといって、小手先の施策を打つのをある時から一切やめた。あくまでも目標未達は未達として甘受しつつ、いかにその翌月、翌々月ないし半年後以降にこうした乖離を解消していけるかを考えるようにした。

やめたこと2:テレアポはかけない
多くのWebマーケティング企業やアドテク企業はテレアポをリード獲得手段としていることと思う。しかし、当社は2013年末以降、テレアポを行うことを一切禁じている。「本日は100本の電話をかけてアポ1件で目標に1件届きませんでした」「どうしたら目標に届くと思うんだ」などというやり取りは本当に意味がないし、テレアポをかけていてメンバーに何らかの知見が貯まるということがほぼないからである。

Nyleではこのテレアポに充てていたリソースを、サービスの品質改善やブログ記事の執筆や寄稿、セミナー登壇に充ててきた。結果として現在は、オンラインでの問合せや顧客からの案件紹介など反響営業のみで過去最高売上・利益を出すようになっている。

やめたこと3:人工リンク提供はやらない
少々コアな話になってしまうが、SEO事業を営む会社の多くが、いわゆる人工リンクの提供を行っている。Nyleでは、こうした人工リンクについても2014年以降一切の新規提供を行わなくなり、需要が高まっていたUI改善コンサルティングやコンテンツマーケティングなどの領域強化に取り組んできた。現在、Nyleは過去の顧客も含め人工リンクの提供は一切行っていない。

Googleの持つ高度な検索アルゴリズムは、どんなに精巧に作られた人工リンクでも見破るようになってきている。当面はリンク提供サービスで利益を出せるかもしれないが、5年後か3年後か、もしかしたら明日から、こうしたビジネスは一切通用しなくなるかもしれない。そういうリスクを抱えたまま顧客にサービス提供するのは信義にもとるし会社としても良いことはないと思ったのだ。

やめたこと4:リワード広告は提供しない
Applivをリリースした当時は、アプリ広告といえばリワード広告が全盛であり、収益的にも儲かることがわかっていた。だが、私たちが開発したのはノンインセンティブのアプリ広告サービスであり、リワード広告は自社で提供することはしないと決めていた。上述した人工リンクの話においても見られるように、プラットフォームはスパムを嫌う。AppleやGooglePlayにおいて、リワード広告業者は明確なスパマーであり、しかも取り締まりが人工リンクより簡単だ。数年以内にリワード広告の市場自体が崩壊に向かうと私たちは考え、そして実際そうなった。

やめたこと5:開発チームに納期を押し付けない
テクノロジー企業においては、「徹夜して早く作ったサービスが世界を変えた」というような話が(特に非エンジニアの人々の間で)横行しがちである。当社も以前は「早く作ること」を優先していたし、納期を巻くようにエンジニアに指示することもあった。しかし、今では各プロジェクトの開発責任者に納期の決定権限を与えることにしている。というのも「早く作る」ということだけに目線が向くと、その後のメンテナンス性が損なわれたシステムを作ることになりかねないからだ。

長期的な投資に張り続ける会社は強い

上述したNyleがやめてきた取り組みについて、共通していることはなんだろう。
私は、「長期性を考慮しての判断である」ということにあると思う。

経営者が短期的な成長を追っていくようになると、メンバーも含めた全員が今月の数字という「足元」しか見えなくなってしまう。結果として「今」を改善するだけの小手先のテクニックに走ることになり、足元数字が少しでも悪くなる施策や投資に忌避感が生まれてしまう。こうした組織の中での「投資への忌避感」をメンバーは敏感に感じ取る。すると、中長期的な施策がどんどん出てこなくなり、結果として単月黒字を追求するだけの凡庸な会社になってしまう。

逆に、経営者が長期的な成長を追っていくようになると、より長い射程での投資検討が可能になり、組織からもより多くの中長期的なアイデアが出て来やすくなる。足元の数字は一時は悪くなるかもしれないが、中長期的にはより高い成長が望めるし、メンバーも地に足をつけて仕事ができるようになる。

というツイートを以前した。仮に足元数字が切迫した企業の場合は、こうした長期性に張るための軍資金としてのVCマネーを入れるというのは極めて効果的だと思う。逆に言うと、VCマネーをいれるのに足元数字の改善に資金を使うのは愚の骨頂と言えるだろう。

自分の中に、未来仮説を持っておく

長期的な成長を求め投資をしていくのは、短期的成長を追うのと比べ、使う脳の筋肉がかなり違う。短期的な成長を追おうとした場合、変化の早い世の中とは言え、外部環境の変化を考慮して施策を組み立てることはまずないだろう。だが、半年や1年、3年スパンでの長期成長を目指して戦略を模索する時、外部環境の変化は大変重要なファクターになってくる。多くの企業が長い目で見た際の外部環境の変化に敏感ではない分、この変化にキャッチアップできるとかなり長期的投資の成功確率が上がると私は思う。

こうした長期的な外部環境の変化を予想し、高い確率で起こる「未来仮説」として経営陣がコンセンサスを持っておくと、企業としてどのように立ち回れば良いのかという輪郭が明らかになってくる。

Nyleについていえば、Applivは私たちの未来仮説が奏功した良い事例と言えるだろう。

今でこそゲームやアプリはスマートフォンで楽しむものだが、4年前の2012年、世の中はまだまだガラケーの時代だった。そしてガラケーにおけるゲームプラットフォームはブラウザであり、MobageやGREEが全盛を誇っていた時期でもある。

参考:DeNAのQ2決算、課金好調で増収増益–モバコインの消費額が過去最高に

しかし私たちが描いていた未来仮説は、
・スマートフォンが今後の携帯端末の主流となる
・正規のアプリストアが一気に発展し、人々はブラウザゲームを使わなくなる
・最初はスパム的な広告手法が発展するも、その後は正規な広告商品が必要とされていく
というものだった。

これらの流れは、いずれやってくるだろうとは思っていたものの、それが何時になるのかというのはなかなか読めなかった。2011年の終わり頃、周囲のテクノロジー関係者が皆iPhoneを使い、AppStoreでゲームやアプリをダウンロードしているのを見て、今後5年のスパンでスマホアプリ市場が一気に立ち上がってくると判断し、Applivを立ち上げるに至った。この未来仮説はそれなりに正しかったと思うし、早すぎず遅すぎずのちょうど良いタイミングで事業を開始できたと自負している。

感情が社会を支配し、合理性が企業を支配する

未来仮説を考えていくにあたり、GoogleやFacebook、Appleなどのプラットフォーム提供企業の動向はかなり予測が楽だと思う。というのも、こうした企業は事業的にはあくまでも「営利目的」の企業であり、自社の利益を長期的に最大化させる方向に動いていくからである。

Googleがスパムを撲滅したいのも、より良い検索結果を表示しなければユーザーが離れてしまい広告収益が減少するからだ。Appleがリワード広告を撃退したいのも、AppStoreのランキングがダウンロード数に応じて上下するように設計されているためリワード広告によって品質の低いアプリが上位に表示され得るからだ。FacebookのInstant Articlesにせよ、より長い時間ユーザーをFacebook内に留めておくことで、より多くの活動データや広告収益が獲得できるようになるからという理由で導入を説明できる(リンク遷移によるコストからユーザーが救済されることでユーザー体験も向上する)。

これらはいわば、予定調和的な動きであり、予測はある程度簡単だ。これに対して(企業もひっくるめた)政治や経済、世論、非営利団体が織りなすマクロな社会活動は、はるかに複雑性が高い。

社会は世界企業が提供するプラットフォームに比べ、はるかに多極的なプレイヤーが異なる利害を共にしている。また、企業の中では指揮命令系統の優劣が明確だが、社会においてはどんなプレイヤーが存在するかすら時として判然としない。より有機性と複雑性に富み、多極分散的な意思決定や合意形成がされるのが社会であり、その分企業の意思決定よりも論理的な結論に行き着きづらく、流動的な結論が導き出される可能性が高いのではないかと思う。

震災に寄付する著名人たちをネット民がよってたかって叩く姿は記憶に新しいが、他の著名人やそれに憧れる人たちの更なる寄付を抑制するものでしかないという意味で、こうした現象は合理的な社会像からはほど遠いだろう。

マクロな社会活動がこうした合理性に乏しいものである以上、その予測は時として大変困難である。だが逆に言うと、こうした複雑性に富む社会という前提は、一見して合理性からはかけ離れた事業やサービスが成立し得るということを示唆しており、社会全体が持つ集団心理を掴むのに長けた起業家ないしサービス提供者は、「一見すると不可解だが彼らにとっては必然のヒット」を飛ばし続けられるのかもしれない(私の周りではこういう人を、よく分からないけどすごい「プロデューサータイプの起業家」と呼んでいる)。

起業家の仕事は、未来仮説を持って長期性に取り組むと決めること

若干話がそれたが、起業家がすべき仕事の一定割合は未来仮説を持ち、長期性に取り組むという腹を据えることだと私は思う。目減りし続けるキャッシュフローの恐怖や手っ取り早く儲かりそうな仕事の誘惑は理解できるが、多くの起業家はこうした「回り道」に時間を割いている暇はないはずだ。「急がば回れ」というやつである。

ドラッカーは企業の意味を「顧客の創造」といった。

この飽和した日本経済において、スタートアップやベンチャーはどんな価値を発揮すべきかといえば、新しい事業を創造し経済を活性化させていくことにあると思う。誰もがやっている小手先の改善よりも、その事業の可能性を長期的に最大化させるような施策を、自分たちなりの未来仮説とともに実行していくことで、大手企業や競合企業が達成し得ない大きな事業成果や結果としてのオンリーワンの顧客満足を生み出せるのではないだろうか。

長期的な投資をし続けるのは時につらい選択だ。しかしスタートアップを名乗る以上は、自分たちが実現したい世界を実現するのが使命であるはずだ。

Nyleは今、Applivが国内で実現してきたことを世界でも実現しようとしている。私たちが今持っているこれからの未来仮説はここには書かないが、これを証明できた時、Nyleは確実に次のステージに上がれると考えている。引き続き背水の覚悟で、長期性への投資を続けていきたい。

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「効率化」は起業家の仕事ではない

先日、日経新聞でも取り上げて頂いたが、昨日をもってNyleはApplivのインド版・シンガポール版含む海外9カ国での展開を無事開始した。これでApplivは、日本を含めると10カ国に展開するグローバルサービスとしての歩みを始めたことになる。

海外展開はまだまだ投資のフェーズにある取り組みではあるが、これがどのように結実していくのか楽しみでならない。以前書いた記事の通り、暗中模索しながらも世界中の人にとってより良いアプリが見つかる世界の実現を目指していきたいと思う。

さて、前回の記事からそれなりに時間は空いてしまったものの、2016年はブログを例年よりも更新していこうと考えている。本日は、事業とは直接関係ないものの最近大事にしている考えを記事にしてみたい。

テーマは誰でも聞いたことがあるだろう言葉「効率化」そして起業家の時間の使い方についてである。

組織が効率化をする理由

前提として人生は有限である。よって何をやるのか考えるのかというのは大事なテーマだ。
誰とでも会い、何でもやり、どんなことにも思いを馳せるというのはやめた方が良い。大抵の場合、単なる中途半端なヤツになってしまうからだ。

やりたい事とかテーマが決まっているならあとは実行あるのみなのだが、殊に会社を作り組織と事業を大きくしていくとなると厄介な問題が起きる。いわゆるコミュニケーションコストというやつである。

どこかの誰かから聞いた話だから正確性は知らないが、夫婦であっても互いの人格に対する理解度は平均的には十数%程度しかないのだとか。であるとしたら、過去の人生においてほとんど関わってこなかった者同士が100人も集まればとんでもない事になるのは想像に難くない。だからこそ組織論やら企業論やらというものが取り沙汰されてきたのだと思う。

このコミュニケーションコストを最小化するための取り組みが「効率化」であるといっても過言ではないだろう。無駄な資料は作らない、不必要な会議は開催しない、会議の参加者は極力絞る、ミッションと権限はセットで与えるなどがそれだ。組織や事業が巨大な歯車だとするならば、いらない歯車を取り除いたり、歯車と歯車を組み替えたり、歯車同士のつなぎ目に潤滑油を塗ったりすることが効率化であると言える。

そして、組織としての柔軟性や機動性を担保することで、事業を推進する一助となるのが効率化の目的である。
やればやるほど効率化は進むし結果として売上や利益といった成果も出る。それ自体は素晴らしいことなのだが、効率化やその結果としての足元の収益にばかり目が行くようになると起業家としては良くないサインではないかと私は思う。

効率化しようがないことについて

効率化がすべきでないこともある。正確には効率化しようがないこと、とも言えるかもしれない。

例えば経営陣の信頼関係を効率的に構築するというのはなんだか違和感のある言葉だ。別に経営陣じゃなくても、同じプロダクトを開発する開発チームとかデザインチーム、数字を追う営業チームだって同じだろう。チームの状況を調査するサーベイなどを用いればある程度可視化出来るものなのかもしれないが、基本的にはチームビルドを数値化することはなかなか難しい。

同様に、事業モデルを考えることも効率化はなかなか出来ないし、すべきではない。効率的に100個のビジネスモデルを考えるよりも、渾身のビジネスを1つ考える方が良い結果になる可能性はそれなりに高いだろう。

そして何より、企業として何を大切にしていくのかという命題にも効率化で回答することは難しいだろう。KPIと睨めっこしたり、組織の中の無駄な仕事は何だろうと考えても、私たちは企業としてこういう倫理観を持って経営しようという話にはならない。

論理の力では100を1,000にすることはできない

効率化というのはオペレーションの領域で起きていることである。100の収益を110や120にすることは出来るかもしれないが、1,000にすることは出来ないだろう。仮に出来たとしたら前が悪すぎたというだけの話である。

しかし効率化できない領域においてはそれがあり得る。iPhoneもGoogle検索もおよそ世間を賑わせているあらゆるテクノロジーやプロダクトは効率化の発想から生まれたものではない。もちろんそれらが世に産み落とされてからは様々な改善の積み重ねによりクオリティを上げたりコストを下げたりする作業はとんでもなく大事になるが、アイデアが世に産み落とされるその瞬間___0が1に変わるその瞬間までは効率化など何の意味も持たない。

頭が良い人にやらせれば起業家と同等ないし同等以上の水準で効率化可能な仕事はやってのけるだろう。しかし、効率化できないものについて、少なくても企業成長の初期段階においては、起業家以外のメンバーが考えて決めるというのは困難なケースが多いと思う。

なぜなら企業の初期段階であればあるほど、効率化すべきでないものの多くは企業の根幹に関わること___すなわち、「何故起業するのか」「何を実現したいのか」「何故それを実現したいのか」「どんなサービスで実現するのか」「メンバーにはどんな働き方をしてもらいたいのか」「どんなメンバーを集めたいのか」「どんな組織にしたいのか」などの企業としてのストーリーや倫理、そして存在意義を定義する作業であることが多いからだ。

これらの決め事は、それが決まった所で即座に収益を上げるものではないが、中長期的に見た時に100を1,000にするイノベーションを生み出す可能性がある決め事だと思う。効率化の先に1,000の地平がないのであればどこにあるのか。言うまでもなくこの0→1が生み出される瞬間に決まっている。

とはいえ、生き抜かなけば何も始まらない

言うは易し、行うは難しである。

効率化不可能な領域にある1,000の地平を拓き得る物事に集中しようにも、多くの場合起業家はその他のあれこれに悩むことになる。起業したばかりにも関わらずキャッシュが豊富で、優秀なメンバーが揃っているスタートアップなどそうはないだろう。どんな企業もある程度は直近の収益に目を向けざるを得ないケースが多いと思う。

かといって、毎月の売上や利益に目を奪われすぎると、何をやりたくて会社を経営しているのかではなく、今収益をやるために何をすべきかを考えるようになる。するといつの間にか本来の目的が霧散し、平々凡々とした企業になり下がりかねない。

起業家にとっての困難は、空に浮かぶ星を見つめながら足元にも気を遣わなければならない所だ。星ばかり見ていても足元を掬われるし、足元ばかり見ていたら永遠に望む場所には辿りつけない。夢と現実の適切な均衡点をどこに置くかに、起業家はその素養を問われるのかもしれない。

意識の向かう先をプログラムすることで思考をコントロールする

以前Facebookで以下のようなエントリーを書いた。

【意識を何に配るかで、人は構成されている】意識を配る対象と配らない対象を明確化するのは経営者にとって絶対的に大事な能力だよなぁと最近思います。会社が大きくなってくると10人20人の頃にはディテイルまで見れていたことが靄がかかったような感覚…

Posted by 高橋 飛翔 on 2015年5月28日



この時よりももう一歩進んで、近頃私は意識の向かう先を意識的にプログラムするようにしている。

トートロジーに見えるかもしれないが、意識というものが自己発生的に何かに向かっていくものであるからこそ、そもそも考えるべき事、考えるべきでない事を事前に自らに課しておくという意味だ。

仮に自分が考えるべきでないと決めた領域で何か問題が起こったとしてもそれは捨てるしかない。
逆に言うと、自分が考えるべきでないと決めた領域については誰かが考えたり解決するようミッションを設定するということである。

組織論の教科書によく「権限委譲が大事」という話が出てくるが、多くの場合それはメンバーがより主体的に考え動くようになるためという文脈であるように思う。だが実は、会社の中に「考えないと決めた」領域を作ることで、自らの限られた思考のリソースを「考えると決めた」領域に投入し、結果として高いパフォーマンスを出すというのが、殊起業家にとって権限委譲が大事な理由なのかもしれない。

こうして意識の矛先をプログラムすることで、思考におけるオペレーションとイノベーションの比率をコントロールし、結果として星と足元を同時に見られるようになれば、会社のフェーズが変わっても常に論理と閃きの均衡点に立つことができるのではないか。

ちなみに私としては、その中で閃き___効率化できないもの、最終的にはイノベーションの種になるものを模索する比率を上げていくことで、Nyleが100から120になるのを助けるのではなく1,000や10,000の世界に羽ばたく可能性の萌芽を見たいと思っている。そこに効率性という概念はない。もしかしたら徒労に終わるかもしれない。しかしその領域で何かを生み出し続けない限り起業家としては失格だと思うのだ。



余談だが、エジソンが言ったとされる言葉「天才とは、1%の才能と99%の努力である」という言葉は誰もが知っているだろう。だが、この訳は誤訳だという説がある。

エジソンの言葉はこうだ。
“Genius is one per cent inspiration and ninety-nine per cent perspiration.”
「1%の閃きがなければ99%の努力は無駄である」

効率化とか合理化とか論理が実現できる世界には限界がある。

もしかしたら、いや確実に、エジソンは知っていたのだろう。
天才と呼ばれる領域に到達するには、1%の非論理の力が必要であることを。

起業家として高みを目指す以上は私たちもきっと、知っておくべきでしょうね。

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暗闇への跳躍

本日、Volare(ヴォラーレ)をNyle(ナイル)へと社名変更した事を発表した。ナイル川のナイルではなく、「Near Your Life」という言葉の頭文字と最後の文字を取り社名を決めた。人々のそばに当たり前にあるようなサービスを作り続ける会社にしていきたい。

社名を変更しようという話は実は数年前からあったのだが、Applivの英語圏への展開を加速させていくこのタイミングが最良であろうと考えた。このブログについても更新する良い機会だと考えたので、私たちがこれから何をやっていくのか。今どんなことを考えているのかを発信してみようと思う。

アプリストアの第三極とはどういうことか

THE BRIDGEにも掲載頂いたが、私たちはApplivをアプリストアの第三極としていく事を目指している。

現在世界のアプリストアはAppStoreとGooglePlayにおおまかに二分されているが、独自のアプリストアが発展している地域も存在している。

例えば中国ではその特殊な政治的背景もあり、GooglePlayが排除され独自のアプリ経済圏が築かれている。
また、非中華圏においてもAmazonやOperaなどが独自にストアを出しており、その存在感を放ちつつある。
最近では楽天も独自のアプリストアをリリースしたのは記憶に新しい。

垂直統合型のビジネスモデルを採用しているAppleに対して、Googleの展開するAndroidにおいてはユーザーがGooglePlayを利用しなければならないという制限があるわけではなく、その国のモバイル環境の発展過程や様々なプレイヤーの取ってきた戦略によって多かれ少なかれGooglePlayのシェアが奪われているケースが存在するということである。

こうしたサービス群の一つとなることをApplivは目指すことになるわけだが、独自アプリストアは例外なく一つの課題にさらされる。それはトラフィックの獲得である。

当然のことだが、トラフィックの無いアプリストアに対してアプリディベロッパーがアプリの個別カスタマイズをするわけがない。仮にGoogleなどのプラットフォーマーに支払うロイヤリティが多少下がった所で、アプリがダウンロードされなければなんの意味もないからである。Applivを経由してアプリをダウンロードするのが当たり前というユーザーのベースをいかに作れるかということが、日本にせよ海外にせよアプリストアを展開していく上で大変重要である。

本日リリースしたUS版Applivの提供、そして年内8カ国での英語版Applivのリリースは、まさにこの「トラフィック」をグローバルに獲得していく上での重要な一手となる。

同一言語圏内の賃金格差を利用した海外展開

Applivを構想した時、将来的にこのサービスを必ず世界に展開しようと私たちは決めていた。アプリの市場は世界共通のプラットフォームであるiOS、Androidの上に存在しており、かつてガラケー時代に言われたような日本だけがガラパゴスという状況にない。よって、日本発海外で成功するサービスを作れる可能性を感じていたからだ。

比較的コストのかからないフィリピンでコンテンツを作り、当社が得意とするSEOを武器にグローバルにトラフィックを獲得していくという戦略で英語版のApplivを今後多くの国々にてローカライズし展開していくのだが、こうした戦略は、Applivを立ち上げた当初から構想として組み込まれていた。

当初は(今でも)社内外から「良いコンテンツを作ることが出来ないのでは」「一口に英語と言っても国によって文法や書き方が違うのでは」などの懸念が多く出されたが、何度かの調査の結果、私たちはこの戦略を成功させることが可能だろうと予測し実行に移すことにした。

人は過去に自らが見聞きし体験してきた事から物事を測るものだが、経験という引き出しに入らない何かに触れる時、多くの人はその可能性を否定しがちであることもまた確かであろう。

Applivを立ち上げた当初、私たちがよく言われたのが「AppStoreがあるじゃないか」「GooglePlayがあるじゃないか」という言葉だった。AppStoreやGooglePlayに慣れた人からすれば、Applivが提供する付加価値は全く必要と思われなかったのだろう。しかし、こうしたアドバイス、フィードバックは時として無視しないと、この世に今無いものは永遠に作れなくなってしまう。

今回の独自アプリストアを作るという構想も、同一言語圏内での賃金格差を活用してグローバルにトラフィックを獲得していくという戦略も、ある種同様に、多くの人にとって「うまくいかないんじゃないか」と言わざるを得ない話だろう。

しかしApplivを立ち上げた時と同じように「うまくいかない」と言われるからこそ、やりきった時大きな果実が収穫できるのがこの構想、戦略であると私は思う。まずは英語版Applivをしっかりと成功させて、アプリストア化という構想への足がかりにしていきたい。

スマートフォンとは一体なにか

海外事情について調べることが増えたためか、ここ最近よくスマートフォンというものが何なのかについて考えていた。ガラケー時代から高度なモバイル端末に触れていた我々日本人にとってのスマートフォンは、電話でありインターネット端末でありゲーム機でもあり、そのどれも正解と言える。

しかし、グローバルに捉えた時、スマートフォンとは、人々にとっての高度なインフラストラクチャーインターフェースなのではないかと私は考えるようになった。

インフラという言葉から多くの人が想起するのは、電気・ガス・水道などであろう。だが、これらのインフラが価値を持つためには、人々がこれらを享受するためのインターフェース、すなわりスイッチやコンロ、蛇口が必要だ。

インターネットが情報への接続性を担保する現代のインフラであることはもはや自明だが、PC主流の時代のインターネットはいわば井戸から組み上げる水のようなものだったように思う。家族や地域の皆で一つの井戸を利用するのは、水道の蛇口から自由に水を得られる体験からすると大変に不便だろう。

スマートフォンはその価格、携帯性からインターネット体験という水をどこでも簡単に捻り出すことを可能にし、しかも個人が独占的に使える。このため、世界中の人々のインターネット体験は極めて画一的かつ手軽なものになってきていると思う。

GoogleのプロジェクトルーンFacebookのソーラードローン計画などがそのまますんなりと上手くいくのかどうかは分からないが、民間企業も参画してのインターネット環境の世界的整備によって、世界70億人がインターネットにつながっているのが常識、当然という世界がそう遠くない未来に到来するのは間違いない。

こうしたインフラ拡充とインターフェース革新によって、情報社会への接続手段は世界的に迅速かつ簡易、そして場所を選ばないコモディティとしての完成をみるだろう。

情報接続性の進化が拓く変化

グーテンベルクの活版印刷とインターネットの類似性はインターネット界隈の人たちの間には定期的に取り沙汰される話だが、活版印刷の誕生がルターの宗教革命につながるまでには70年の時間を要したし、世界に活版印刷が広がり知識や知恵の共有が段違いに効率化されるまでにはより多くの時間を必要とした。産業革命にしても、未だ全世界的な工業化の達成には至っていない。

アフリカには、電気も水道もないが、スマートフォンを皆が持ち、電池を節約するために用事のあるときだけ利用する村が多々あるという。インフラとしての電気がなくてもスマートフォンを充電できるよう、モバイルキオスクなるソーラーパネルを搭載した充電器を自転車で運ぶサービスが登場するなど、スマートフォンやインターネットの方が既存の主要インフラよりも早く普及しているケースもある。

これまでの先進国家誕生過程においては、機械工業化とそれに伴う高速道路や鉄道などの物流網の整備、電気ガス水道などのインフラ整備は必須であった。しかし、上述したような既存インフラが未発達な中でも情報インフラが先行して独自発達をする発展途上国の存在は、工業化と情報化がパラレルに進行する独自の経済成長の可能性を示唆すると共に、インターネットの広がりが既存の産業革命や活版印刷技術の広がりを上回る速度と規模で進む可能性を示していると私は思う。

インターネットの広がりが加速度を増した結果としての情報接続性のコモディティ化が進む中で、人々の持つ様々な先入観や暗黙の了解とされている文化的営みは確実に変容を迫られるはずだ。現代社会において人々は、結婚すること、子供を生み育てること、宗教を信じることなどにおいて常に合理的に振る舞うわけではない。「これはこういうものである」という極めて文化的な背景を持つ道徳観念をベースとして意思決定をしているのが人間だ。

だが、こうした文化的な道徳観念は親から子へと継承されてきたがゆえに社会的に緩やかな共通認識として存在するものであり、情報接続が極めて簡易になされ、より多様な価値観によって刺激を与えられる現代においては、その変化は免れない潮流になっていくように思う。子供にスマートフォンを持たせない親の存在は、こうした変容を嫌うないし良くないものとして捉える人々がいることを示している。

私自身、自分の親世代との間に相当な価値観の乖離を感じることがよくあるが、これは過去ローマ時代にも言われていたという「今の若い者は〜」という言葉の範疇を超えているのかもしれず、もしかしたらこうした乖離は今若者と言われる世代とその子供達の世代においてはさらに広がるものなのかもしれない。

また、人々がインターネットによって変容を迫られるのと同様に、インターネットもまた人々によって変容を迫られるはずだ。「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」とはよく言ったものだが、インターネットが人々によって用いられるものである以上、人々の変化はインターネット自体をも変え、相互作用を与え合いながら社会全体を変えていくのだろう。

こうした潮流が高い加速度を持つ不可逆なものである以上、これからの十数年間には活版印刷や産業革命の登場によって起きたような変化が一気に生まれる可能性がある。現代に生きる私たちにとってそれが良いものか悪いものかという議論にはここでは触れないが、向こう10年を上記のような前提を持って生きるのとそうでないのとでは、個にしても企業にしても国家にしてもその未来が全く異なってくるのではないだろうか。

暗闇への跳躍

世界中の人々がスマートフォン(ないし新たな端末革命により生まれる何がしかのモバイル端末)を使いGoogleやFacebookを通じて大抵の情報に接続できる時代において、「何かを知っていること」は急速に価値を失っている。むしろ「検索しても出てこないことを知っている」ことのレアリティが増し、そうしたレアリティある情報を組み立てて何かを考えられることが、独自の価値を生み出す絶対条件になる時代になっていくのではないだろうか。

先述したインターネットと人々の相互作用による変化は全世界的に起こることであろうが、残念ながらその中心地はおそらく日本ではない。すでに様々なモノ・サービスに満たされている日本における変化は、既存産業が欠落ないし未発達な中で一足飛びに情報産業が勃興する国々に比べれば小さいものでしかないはずだ。

統計やニュースを参照するだけではこうした変化の最前線を捉えることなど出来るわけがない。実際の変化が起きる中心地に飛び込み、揉みくちゃにされながら手に掴む情報にこそ価値があり、こうした希少な体験から得る情報とそれらから組み立てる事業にこそ真に独自性が宿るのだと思う。

よく知っている日本というある程度の規模を持つマーケットの中でしっかりと成功するのは一つの選択肢ではあるのだろうが、今後十数年の社会変化を牽引するであろうスマートフォンという領域でビジネスをやっている以上、敢えて先が見えない世界に飛び込み、新しい時代の変化に触れ、何らかの影響をそこに与えたいと私は思う。

未来に起こるだろう急激な変化の中でNyleがどのような道筋を歩むのかは分からないが、未知なる暗闇への跳躍を続け、新しい景色が立ち現れるまでの全てを楽しんでいきたい。

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manaveeについて

manaveeというサイトがある。

ざっくばらんに言うと、「全国の大学生が教える勉強動画を見ながら受験勉強できる」というサービスだ。
しかもturntableのように仮想現実っぽい仕組みも採用していてエンタメ性もある。極めてニクいコンセプトだ。

※参考記事:だれでも無料動画で受験勉強できる『manavee』が凄すぎる

ところでこのサービスを初めて知った時、私は自分が起業した当初のことを思い出さずにいられなかった。
Volareは東大生講師が教える受験動画配信サービスで大敗北を喫した会社なのだ。

起業した当初、ビジネスの「ビ」の字もわからなかった私は、東大生という自分の強みを活かそうと家庭教師事業を始めた訳だが、すぐに「この事業を続けていても、世界を変えるような会社は作れない」という事に気がついた。

そこで当時21歳だった私が考えたのは、東大生の授業を動画で配信する「WEB予備校」のようなサービスを作ろう、というものだった。これなら教育事業で蓄積している東大生の講師データベースを持っているという強みも活かせる。

しかも大学受験において、地方の学生がどれだけ割を食っているかという事を私は知っていた。東京と違い、地方には塾がない地域もある。仮にあったとしても、受験に関して保有するノウハウは絶対的に乏しい事が多い。

そんな中でも、「赤本だけとりあえずやっときました」みたいな受験対策だけで、サクっと東大に合格するヤツは沢山いたので、もし地方にもっと受験勉強のためのインフラや情報が整っていたら、もっと多くの学生が東大や自分の望む進路に進めるんじゃないか。そう思っていた。

そして企画から3ヶ月後、私たちは「WEB予備校 楽スタ」というサービスをリリースした。
「月額8,300円で東大生が教える授業動画を見放題!テキストもダウンロードし放題!」というサービスだ。

当時の動画サイトとしてはUSENが運営するGYAOが有名だった事から、UI面でもGYAOを参考にしたデザインのサイトにした。※今色々な方面で活躍されている方が動画に出演されているので、出演者の顔は黒くしておきました。


「この楽スタによって受験教育の地域間格差を是正できる」と私たちは信じていた。
しかし結果として大失敗に終わった。何故か。

まだ未開拓なWEB×ITを目指す起業家の方が少しでも参考にしてくれることを祈りつつ、当時の事を思い出しながら、いくつか失敗談を書いてみようと思う。

①消費者向けサービスで、開発の外注化をしたこと

私たちの中にはエンジニアやデザイナーはいなかったので、全てのサービス開発を外注した。

教育に限った事ではないが、toCのサービス開発ではユーザーからの反応を確認してからサイトを改善するまでの速度が成功と失敗を分ける分水嶺であることは間違いない。私が知る限りシステムもデザインも外注して成功したtoCサービスは存在しない。

起業家がプログラマーやデザイナーである必要はないが、ボードメンバーには腕のいいプログラマーとデザイナーは必須。彼らを集められないとスタートすら切れないと考えておいた方が良い。また、起業家が開発もデザインも出来ないのならば高いゼネラリストとしての能力が問われる事は言うまでもない。

②コンテンツを自前で制作した事

予備校事業において、絶対に外してはならないポイントは「授業の質」だ。それはWEB上の予備校だろうと変わらない。

私たちは「東大生が教える」という事にフォーカスしすぎて、「東大生の授業の質」については高める事が出来なかった。また自前でコンテンツを制作する事にこだわる余り、授業1つ1つにかかる予算が結構な金額になってしまった。もし仮に、もう一度WEB予備校事業をやるなら「善意の一般ユーザーが教える形式」にするか教育コンテンツを保有する「予備校と提携」するかしかないと考えていたので、この点manaveeはよく考えられていると思う。

③収益化を急ぎ過ぎたこと

開発とデザインを外注し、授業コンテンツの制作にもお金をかけたため、一刻も早く資金を回収したかった。だから無料コンテンツの数を限定して有料コンテンツを増やし、サイトにアクセスを集めるためにさらに広告投資をしてしまった。

結果として、サイトにユーザーは来てくれるもの有料会員に転換しないというお決まりのパターンに陥ってしまった。楽スタのモデルでやるなら、教科を限定する事で必要なコンテンツ数を絞り最高のコンテンツを作って授業品質で勝負しなくてはならなかった。

④1人で授業を受けるのはつまらない

楽スタの授業の形式は、「動画を選んでテキストを読みながら、講師の授業を見る」というものだった。塾や予備校、学校と違い、楽スタには「友達・仲間」という概念が欠落していた。つらい受験戦争を続ける上で、こうした存在はものすごい大きな意味を持つのだと思う。

一人で授業を受けるより、皆で受けた方が楽しい。そういうことだ。

manaveeは全部クリアしている

当時を思い出しつつ楽スタの失敗要因を色々書いてみたが、manaveeは上記の課題を全てクリアしているように感じる。

サイトを見た限り自作のサイトなのは明らかだし、コンテンツについても大学生から投稿してもらう事で、質が高いものを安価に調達している。収益には現状こだわりがないようだ。そして何より友達と授業を受けているようなUIは素晴らしいと思う。

ここまで書いて思う事は、ぜひこの事業をやりきって欲しいという事だ。私たちは諦めてしまった。教育事業から撤退し、現在はSEO、今年には別の領域でのtoCサービスを開始しようとしている。勝負を諦めたわけではないが、少なくても勝負のテーブルは変えてしまった。楽スタも、やりきれば成功したかもしれない。しかし成功率を考えれば、撤退が正しい判断だったと考えている。

しかしmanaveeは違う。時間と労力をかけて大きくしていけば必ず日本の教育界に大きな貢献を出来るサービスになる。サイトを運営しているのは東京大学の3年生ということだが、ぜひとも事業化を目指して取り組んで欲しい。収益をどこで稼ぎ出すかという課題は勿論あるだろう。だが、WEB予備校の構想実現に失敗した起業家として、彼らの成功を心から応援したい。

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ソーシャルが支える中東革命は、ルターの宗教改革に似ている

最近地震の話題にお株を奪われている中東の政変。一連の革命。
この一連の革命について、私は巨大な歴史の転換点を告げる出来事のように感じている。

中東チュニジア、エジプトの長らく続いた独裁体制の崩壊。
現在もデモが続くバーレーン。そして激しい内戦となっているリビア。

これらの国々は全て独裁政治が敷かれていたという共通点がある。

多くのウェブ上の文献ではエジプトをはじめバーレーンもチュニジアも
親米政権の独裁国家であり、その権力はアメリカが支援していたという
前提で話を進めており、それは一定程度事実なのだろう。
まあリビアは別としても。

結局の所、
①アメリカの国益にイスラエルの国益は欠かせないものとなっている。

②イスラエルの国益のためにも、パレスチナ問題において
 アメリカはイスラエルを支持及び支援するのが基本。

③イスラエルがパレスチナ問題で有利に事を運ぶには、
 民主化されたアラブ国家では問題あり(当然)。

④アメリカの傀儡政権として独裁政権を支援し、見返りとして
 親米路線と対イスラエル融和姿勢を確保していた。

⑤しかし独裁=抑圧された人々がいる事を示しており、
 それが少数宗派であったり貧困層であったりした。

上記がざっくりとした今回の中東革命における前提なのかなと思う。

以上を前提に、中東革命が何故進行しているかと考えると「現政権に対する
フラストレーションから」と言えるのだろう。

「宗教的に虐げられている」とか「多数民族なのに少数民族よりも待遇が悪い」とか
それらは全てフラストレーションであって、今回はそれが形となって現れた、という事
であろう。

しかし、上記のフラストレーションは長年にわたってアラブ諸国に
蓄積されてきたはずだ。

何故このタイミングで?

という疑問こそが革命の一つの本質に関わっていると私は考える。

ソーシャルウェブがもたらした情報革命

今回の革命における起爆剤がソーシャルウェブであったことは疑いの余地がない。

FACEBOOKやTwitterといったサービスが普及した事で、
個人の情報発信力が飛躍的に増大した。

結果としてデモの集合場所や方針といった革命において重要な情報を政府の圧政下
でも伝播していくことが出来たわけである。

つまり「個人」が情報の「媒介」として機能し「情報が伝播されていく環境」。
それがソーシャルウェブがもたらした情報革命だろう。

同じような変化は過去にもあった

ソーシャルウェブがもたらした情報革命は、
「グーテンベルクの活版印刷技術がもたらした情報革命」とそっくりだ。

参考:グーテンベルクと情報革命 ―宗教改革に対する活版印刷の影響―

グーテンベルクが発明した活版印刷技術により、
聖書は聖職者や富裕層だけの物ではなくなった。

より幅広い層が聖書を手にする事が出来るようになったのである。

「聖書」という絶対的権力を持った情報を独占する事は大きな利権になる。

その「聖書」が民衆にまで降りてきた事は、
当時としては巨大な影響力のある出来事だったろう。

その後のルターの贖宥状批判に始まる宗教改革の過程において、民衆がローマ教会に対し蜂起
するための前提条件となったのが、聖書が聖職者だけのものではなくなっていた事であった事
(民衆が聖書を読み、宗教改革派の思考が民衆に広まりやすかった)を考えると、活版印刷技
術による文字情報の流通量の急激な拡大が、宗教改革を支えていたと言える。
まさに情報革命である。

参考:ルターの宗教改革

ソーシャルウェブがもたらす情報革命はどこに行き着くか

では今回のソーシャルウェブがもたらした情報革命は、何をもたらすのだろうか。

インターネットの普及によって、情報が伝搬する速度はルター時代の比ではない。
私たちは、地球の裏側で起きた出来事をその数分後に把握する事が出来る。
しかもテレビ放送や新聞ではなく、その地球の裏側にいる一個人によって。

この事実が結果としてどのような世界を導くのかは誰にもわからないだろうが、
多くの不均衝を無くす事に寄与するのは間違いないように思う。

誰もが、力ある主体の不合理・不条理を糾弾する事が出来る。
無理矢理に主張を圧殺し暴力に訴え続けるやり方は、多くの国において少なくても
得策とは言えない世界が来ているように思う。それこそ中東の革命を見る限り。

資金や権力のない力なき個人が、「情報」に関してだけは流通させうる力を持った
事は、今のところ彼らを守る為の防御壁として働いてくれるように感じられる。

ただ当然ながら懸念もある。
Twitterでは震災後に多数のデマも伝播した。
情報を発信する一個人が常に良識ある情報提供者とは限らない。

しかも情報の流通性が高められ、あっという間に世界に広がるソーシャルウェブの
世界においては、誤った情報が世論を形成する可能性もないとは言えない。

ただ一つだけ言える事は、
今のインターネットには遠大な可能性が秘められているという事だろう。
世界が、今巨大なパラダイムシフトを迎えている。

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