暗闇への跳躍

本日、Volare(ヴォラーレ)をNyle(ナイル)へと社名変更した事を発表した。ナイル川のナイルではなく、「Near Your Life」という言葉の頭文字と最後の文字を取り社名を決めた。人々のそばに当たり前にあるようなサービスを作り続ける会社にしていきたい。

社名を変更しようという話は実は数年前からあったのだが、Applivの英語圏への展開を加速させていくこのタイミングが最良であろうと考えた。このブログについても更新する良い機会だと考えたので、私たちがこれから何をやっていくのか。今どんなことを考えているのかを発信してみようと思う。

アプリストアの第三極とはどういうことか

THE BRIDGEにも掲載頂いたが、私たちはApplivをアプリストアの第三極としていく事を目指している。

現在世界のアプリストアはAppStoreとGooglePlayにおおまかに二分されているが、独自のアプリストアが発展している地域も存在している。

例えば中国ではその特殊な政治的背景もあり、GooglePlayが排除され独自のアプリ経済圏が築かれている。
また、非中華圏においてもAmazonやOperaなどが独自にストアを出しており、その存在感を放ちつつある。
最近では楽天も独自のアプリストアをリリースしたのは記憶に新しい。

垂直統合型のビジネスモデルを採用しているAppleに対して、Googleの展開するAndroidにおいてはユーザーがGooglePlayを利用しなければならないという制限があるわけではなく、その国のモバイル環境の発展過程や様々なプレイヤーの取ってきた戦略によって多かれ少なかれGooglePlayのシェアが奪われているケースが存在するということである。

こうしたサービス群の一つとなることをApplivは目指すことになるわけだが、独自アプリストアは例外なく一つの課題にさらされる。それはトラフィックの獲得である。

当然のことだが、トラフィックの無いアプリストアに対してアプリディベロッパーがアプリの個別カスタマイズをするわけがない。仮にGoogleなどのプラットフォーマーに支払うロイヤリティが多少下がった所で、アプリがダウンロードされなければなんの意味もないからである。Applivを経由してアプリをダウンロードするのが当たり前というユーザーのベースをいかに作れるかということが、日本にせよ海外にせよアプリストアを展開していく上で大変重要である。

本日リリースしたUS版Applivの提供、そして年内8カ国での英語版Applivのリリースは、まさにこの「トラフィック」をグローバルに獲得していく上での重要な一手となる。

同一言語圏内の賃金格差を利用した海外展開

Applivを構想した時、将来的にこのサービスを必ず世界に展開しようと私たちは決めていた。アプリの市場は世界共通のプラットフォームであるiOS、Androidの上に存在しており、かつてガラケー時代に言われたような日本だけがガラパゴスという状況にない。よって、日本発海外で成功するサービスを作れる可能性を感じていたからだ。

比較的コストのかからないフィリピンでコンテンツを作り、当社が得意とするSEOを武器にグローバルにトラフィックを獲得していくという戦略で英語版のApplivを今後多くの国々にてローカライズし展開していくのだが、こうした戦略は、Applivを立ち上げた当初から構想として組み込まれていた。

当初は(今でも)社内外から「良いコンテンツを作ることが出来ないのでは」「一口に英語と言っても国によって文法や書き方が違うのでは」などの懸念が多く出されたが、何度かの調査の結果、私たちはこの戦略を成功させることが可能だろうと予測し実行に移すことにした。

人は過去に自らが見聞きし体験してきた事から物事を測るものだが、経験という引き出しに入らない何かに触れる時、多くの人はその可能性を否定しがちであることもまた確かであろう。

Applivを立ち上げた当初、私たちがよく言われたのが「AppStoreがあるじゃないか」「GooglePlayがあるじゃないか」という言葉だった。AppStoreやGooglePlayに慣れた人からすれば、Applivが提供する付加価値は全く必要と思われなかったのだろう。しかし、こうしたアドバイス、フィードバックは時として無視しないと、この世に今無いものは永遠に作れなくなってしまう。

今回の独自アプリストアを作るという構想も、同一言語圏内での賃金格差を活用してグローバルにトラフィックを獲得していくという戦略も、ある種同様に、多くの人にとって「うまくいかないんじゃないか」と言わざるを得ない話だろう。

しかしApplivを立ち上げた時と同じように「うまくいかない」と言われるからこそ、やりきった時大きな果実が収穫できるのがこの構想、戦略であると私は思う。まずは英語版Applivをしっかりと成功させて、アプリストア化という構想への足がかりにしていきたい。

スマートフォンとは一体なにか

海外事情について調べることが増えたためか、ここ最近よくスマートフォンというものが何なのかについて考えていた。ガラケー時代から高度なモバイル端末に触れていた我々日本人にとってのスマートフォンは、電話でありインターネット端末でありゲーム機でもあり、そのどれも正解と言える。

しかし、グローバルに捉えた時、スマートフォンとは、人々にとっての高度なインフラストラクチャーインターフェースなのではないかと私は考えるようになった。

インフラという言葉から多くの人が想起するのは、電気・ガス・水道などであろう。だが、これらのインフラが価値を持つためには、人々がこれらを享受するためのインターフェース、すなわりスイッチやコンロ、蛇口が必要だ。

インターネットが情報への接続性を担保する現代のインフラであることはもはや自明だが、PC主流の時代のインターネットはいわば井戸から組み上げる水のようなものだったように思う。家族や地域の皆で一つの井戸を利用するのは、水道の蛇口から自由に水を得られる体験からすると大変に不便だろう。

スマートフォンはその価格、携帯性からインターネット体験という水をどこでも簡単に捻り出すことを可能にし、しかも個人が独占的に使える。このため、世界中の人々のインターネット体験は極めて画一的かつ手軽なものになってきていると思う。

GoogleのプロジェクトルーンFacebookのソーラードローン計画などがそのまますんなりと上手くいくのかどうかは分からないが、民間企業も参画してのインターネット環境の世界的整備によって、世界70億人がインターネットにつながっているのが常識、当然という世界がそう遠くない未来に到来するのは間違いない。

こうしたインフラ拡充とインターフェース革新によって、情報社会への接続手段は世界的に迅速かつ簡易、そして場所を選ばないコモディティとしての完成をみるだろう。

情報接続性の進化が拓く変化

グーテンベルクの活版印刷とインターネットの類似性はインターネット界隈の人たちの間には定期的に取り沙汰される話だが、活版印刷の誕生がルターの宗教革命につながるまでには70年の時間を要したし、世界に活版印刷が広がり知識や知恵の共有が段違いに効率化されるまでにはより多くの時間を必要とした。産業革命にしても、未だ全世界的な工業化の達成には至っていない。

アフリカには、電気も水道もないが、スマートフォンを皆が持ち、電池を節約するために用事のあるときだけ利用する村が多々あるという。インフラとしての電気がなくてもスマートフォンを充電できるよう、モバイルキオスクなるソーラーパネルを搭載した充電器を自転車で運ぶサービスが登場するなど、スマートフォンやインターネットの方が既存の主要インフラよりも早く普及しているケースもある。

これまでの先進国家誕生過程においては、機械工業化とそれに伴う高速道路や鉄道などの物流網の整備、電気ガス水道などのインフラ整備は必須であった。しかし、上述したような既存インフラが未発達な中でも情報インフラが先行して独自発達をする発展途上国の存在は、工業化と情報化がパラレルに進行する独自の経済成長の可能性を示唆すると共に、インターネットの広がりが既存の産業革命や活版印刷技術の広がりを上回る速度と規模で進む可能性を示していると私は思う。

インターネットの広がりが加速度を増した結果としての情報接続性のコモディティ化が進む中で、人々の持つ様々な先入観や暗黙の了解とされている文化的営みは確実に変容を迫られるはずだ。現代社会において人々は、結婚すること、子供を生み育てること、宗教を信じることなどにおいて常に合理的に振る舞うわけではない。「これはこういうものである」という極めて文化的な背景を持つ道徳観念をベースとして意思決定をしているのが人間だ。

だが、こうした文化的な道徳観念は親から子へと継承されてきたがゆえに社会的に緩やかな共通認識として存在するものであり、情報接続が極めて簡易になされ、より多様な価値観によって刺激を与えられる現代においては、その変化は免れない潮流になっていくように思う。子供にスマートフォンを持たせない親の存在は、こうした変容を嫌うないし良くないものとして捉える人々がいることを示している。

私自身、自分の親世代との間に相当な価値観の乖離を感じることがよくあるが、これは過去ローマ時代にも言われていたという「今の若い者は〜」という言葉の範疇を超えているのかもしれず、もしかしたらこうした乖離は今若者と言われる世代とその子供達の世代においてはさらに広がるものなのかもしれない。

また、人々がインターネットによって変容を迫られるのと同様に、インターネットもまた人々によって変容を迫られるはずだ。「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」とはよく言ったものだが、インターネットが人々によって用いられるものである以上、人々の変化はインターネット自体をも変え、相互作用を与え合いながら社会全体を変えていくのだろう。

こうした潮流が高い加速度を持つ不可逆なものである以上、これからの十数年間には活版印刷や産業革命の登場によって起きたような変化が一気に生まれる可能性がある。現代に生きる私たちにとってそれが良いものか悪いものかという議論にはここでは触れないが、向こう10年を上記のような前提を持って生きるのとそうでないのとでは、個にしても企業にしても国家にしてもその未来が全く異なってくるのではないだろうか。

暗闇への跳躍

世界中の人々がスマートフォン(ないし新たな端末革命により生まれる何がしかのモバイル端末)を使いGoogleやFacebookを通じて大抵の情報に接続できる時代において、「何かを知っていること」は急速に価値を失っている。むしろ「検索しても出てこないことを知っている」ことのレアリティが増し、そうしたレアリティある情報を組み立てて何かを考えられることが、独自の価値を生み出す絶対条件になる時代になっていくのではないだろうか。

先述したインターネットと人々の相互作用による変化は全世界的に起こることであろうが、残念ながらその中心地はおそらく日本ではない。すでに様々なモノ・サービスに満たされている日本における変化は、既存産業が欠落ないし未発達な中で一足飛びに情報産業が勃興する国々に比べれば小さいものでしかないはずだ。

統計やニュースを参照するだけではこうした変化の最前線を捉えることなど出来るわけがない。実際の変化が起きる中心地に飛び込み、揉みくちゃにされながら手に掴む情報にこそ価値があり、こうした希少な体験から得る情報とそれらから組み立てる事業にこそ真に独自性が宿るのだと思う。

よく知っている日本というある程度の規模を持つマーケットの中でしっかりと成功するのは一つの選択肢ではあるのだろうが、今後十数年の社会変化を牽引するであろうスマートフォンという領域でビジネスをやっている以上、敢えて先が見えない世界に飛び込み、新しい時代の変化に触れ、何らかの影響をそこに与えたいと私は思う。

未来に起こるだろう急激な変化の中でNyleがどのような道筋を歩むのかは分からないが、未知なる暗闇への跳躍を続け、新しい景色が立ち現れるまでの全てを楽しんでいきたい。

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愛と正義とレジリエンスの関係性

レジリエンスという言葉がある。

「精神的回復力」や「抵抗力」などと訳される心理学用語らしく、「脆弱性」の反対概念に位置する自発的治癒力の意味なのだとか。つまり何かがあった際に、心の平衡を保つ力のことをレジリエンスと呼ぶらしい。

先日、NewsPicksというサービスでアリババの創業者ジャック・マーについてのコラムが掲載されていた。
「最初の起業、失意の失脚、そしてアリババ創業へ」

この記事のコメント欄で、とある方が「これぞレジリエンスでしょうか」と書いていたのを見て初めてこの用語を知ったのだが、「挫折からの成功」というと、多くの人にとって最初に想起されるのは故スティーブ・ジョブズではないだろうか。

彼はスタンフォード大学でのあまりにも有名なスピーチで、
「未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです」
というメッセージを残している(※引用元)。

大抵の人間にとって「挫折」という「点」が起きた時、それを未来へと繋がる「線」で捉えることは難しいだろう。だが、その先の成功に向かうためには、挫折という「点」がいつか「線」になることを信じ、心の平衡を保って進まなければならない。何らかの失意に沈んだとしても、何かを信じることで自分を奮い立たせなければならないのだ。

そういう時、人は何を拠りどころにすればいいのか。ジョブズの言うように「なんでもいいから、とにかく信じろ」とは一つの真理だろう。だが、私は他にとても大切なことがあると考えている。

自尊心や愛が心の平衡を支えてくれる

Wikipediaで参照しただけの情報だが、心の平衡を支える「レジリエンス因子」なる言葉が心理学の世界にはあるらしい。代表的なものは「自尊心」や「支持的な人がそばにいてくれること」「安定した愛着」なのだとか。

レジリエンスについて調べこの言葉について知った時、私の中で色々と腑に落ちるものがあった。

私自身、これまで挫折とは呼べないまでも、経営者として精神的にしんどい経験は色々と積んできたつもりだ。

そんな時、自分を信じる根拠になったのはいつだって「自分は人として或いは経営者として正しいことが出来ているのだろうか」という自問だった。

こうした自問に気持よくYESと答えられるときには、どんなにしんどい時であっても前に進めた。一方で、NOと答えざるをえないような事をしでかした時には、自分の精神のバイオリズムは悪い方向に向かいだし、行いを正すまで良い方向には戻れない。

「徳を積む」という考えがあるが、人は自らに恥じない行いをすることで、自己を承認し自尊心を得られるのだと思う。正しい行動をすることで自尊心が育まれ、結果としてレジリエンス=心の平衡が得られるのなら、正しい事をすることについて「ルールだから」とか「自己満足のため」とか「社会のためになることだから」といった杓子定規の価値観とは、ちょっと違った風景が見えてくる気がする。

「徳を積む」とは聖人君主でいるということではない。常に自分の価値観に照らし合わせて、自分の正義に嘘をつかないことが大事なのだろう。

正義という言葉は暴力的で、世界ではこの言葉のせいで人が簡単に殺されたりする。
だが、「自分なりの正義」に忠実に生きることで、内なる平和は保つことができる。

「自分なりの正義」が他人の権利を侵害しているような奴に出会うと大変迷惑だが、そういう奴は大抵の場合人に愛されることはない。逆に「人に何かを与えること」「人として恥じない行動をすること」を自らの当然の正義としている人の周りには、自然と支えてくれる人が集まってくるものだ。

現代社会は複雑だ。外部環境がめまぐるしく変わり、何をしている人にとっても不確実な社会になっている。
それは会社経営においてもそうで、どんなに脳味噌を振り絞り、未来を予想して選んだ決断だったとしても間違えることはざらにある。

その間違いが「挫折」と呼ばれるほどのものになってしまうことがこれから先にあるとして、私は「成功」という「点」が立ち現れるのを信じて突き進まなければならない。そんな時、自分なりの自尊心が砕かれず在るために、そして今自分を支えてくれる人たちがその時にも変わらずに支えてくれるよう、自分なりの正義に忠実に生きていきたい。

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今ありきでゴールを設定するのと、ゴールありきで今を変えるのは全然違うという話

前々回「ヴォラーレSEOやめるってよ(嘘)」という記事を、当社コンサルティング事業部メンバーを奮い立たせる目的もあって書いたのだが、交流会などで「ヴォラーレSEOやめるらしいですね!!」と言われたメンバーがいるらしく、世の中なかなか思うようには行かないなぁと思うばかりである。

ところで、
ビジネスにおける「バカ」のポジティブ変換は「素直」ではなく「天才」だ

という記事が周囲でバズっていて、この記事に関連して当社D居がこんな記事を書いていた。
「拒絶」と「反論」は似ているようで全く違うという話

経営者の無茶ぶりに対して、「阿呆か」と思うか「こいつ天才かも」と思うか。
部下が経営者をどう捉えるか、脳みそを振り絞り経営者の無茶ぶりの実現のために動くか否かが、企業の成功を分けることもある。

ビジネスには自分の見えてない色々な側面があるものなのだから、無茶ぶりされたとしてもまずは一旦飲み込んで、実現できる方向で考えた上であれこれ意見出してみたほうがいいじゃん、という話である。

この2つの記事、全くもってその通りだなと思うのだが、数々の無茶ぶり(と思われること)をしてきた経営者として思う所があったので記事にしてみたいと思う。

今ありきでゴールを設定していると予定調和の未来しか訪れない

私は「ゴールありきで今を変えていくべき」という思想を強く持っている。
会社を始めた時は「金無し(資本金300万円はあったけど)物無し人材無し」のナイナイ尽くしの状態から始まった。しかし当時何もない中でも、「日本を代表する企業を作る」という高い目標を掲げ、それを達成する方法を必死で考え、幾度の失敗を重ねながらも少しずつ前進してきた。

Volareの場合、幾度のPivotを重ねて、SEOサービスに注力することで事業としては成長させることが出来たのだが、この「SEOに注力する」という決断を下した時には社内的にも多くの反対があった。

今扱っている商材だけでもそれなりに売上を立てられているではないか、SEOへのノウハウも中途半端な状態で参入しても先行企業がある以上事業として成立しないのではないか、など色んな意見があったわけだが私はこれを断行した。

もちろん私もSEOに注力すべき様々な理由を持っていたが、一番大きな理由は、「死なないために会社をやってるわけじゃない」ということであった。

10数人でやっていくだけなら今の事業でも可能かもしれない。しかし、会社として利益を出し、新しいことに投資をし、日本を代表するような企業を作っていくためには、それまでの延長線でビジネスをやっていてもダメだという確信があったのだ(もちろんSEOだけでそういう企業が作れるとも思ってないけど)。

何が言いたいかというと、起業家は(少なくても私は)最初何も持っていないのだ。
最初に持っているのは目標とか夢とか言われるものだけしかなかった。

である以上、今ありきでゴールを見据えても何の意味もない。
今の積み重ねで予想可能な未来なんてつまらない。

ゴールありきで今何をすべきかを考えていくべきなのだ。
私にとっては、そういう選択の繰り返しの結果として今があるだけなので、ゴール達成のために今に固執しその延長で考えるというのは滑稽な話でしかない。

「今これで一定の成果を挙げているのだから」というのは今を変えない根拠に値しない。
なぜなら今を変えることで、目標とする未来にもっと早く辿り着ける可能性が常にあるからだ。

人生は短い。私は今28歳だが、仮に経営者として60歳になるまで一線に立てるとしても、あと30年ちょっとしかない。事業をやってみると分かるが、30年というのはあっという間だ。一つの事業を立ち上げ、ある程度軌道に乗せるまでには3〜5年はかかるからだ。

もっと早く。もっと強く。もっとすごいものを。
そういう衝動を大切に、今を変えるのが当たり前という感覚でいないと、目標が大きければ大きいほど達成は困難になる。Volareが、SEO事業が収益化できた時すぐさま新規事業「Appliv」にとりかかったのも、目標とする未来に早く辿り着くために他ならない。

実現を信じるのが良き幹部なら、実現を信じさせるのが良き経営者だと思う

とはいえ、全員が全員経営者とか起業家の視点を持っているべきというのはいささか乱暴だ。
経営者としては、冒頭に挙げたブログのような姿勢で取り組んでくれるメンバーは多ければ多いほど良いが、全員がそうなるというのは現実的に考えて不可能に近い。

私は経営者の重要な仕事の一つに「実現を信じさせること」があると思っている。
企業、特にベンチャーというものは不確実な未来を実現しようと進んでいくものだ。
その目標が大きかろうと小さかろうと、実現可能性が高かろうと低かろうと、組織のメンバーから「無理っしょ」と思われてしまったら、もはやその実現は不可能になる。

だからあの手この手を使い、時にはプレゼンで時には対面で、目標が実現した未来やどうやって実現するのかを説き、全員とは言わずとも少しでも多くのメンバーに「こいつの話、本当に実現するかもしれない」と信じてもらうことがとても大切だ。

経営者は遠大な目標を掲げその実現を信じさせようと努力し、幹部は経営者の掲げる目標の実現を信じようと努力する。メンバーの中からも幹部同様に考え実現のための手立てを考えるヤツが続々出てくる。そういう組織はとても強い。

Volareがそう在るよう、私も努力していこうと思う。

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インターン規制とか倫理憲章とか、本当にアホらしいと思う

少し前になってしまうが、こんな記事が日経新聞から出ていた。
「インターン青田買い防げ 文科省、17年ぶり指針改定」

正直、こうした行政の動きは本当にナンセンスで、大学生の現実に即してないんじゃないかなと思う。
突っ込みどころは色々あると思うのだが、多くの経営者の方が仰っている「ベンチャーが新卒一括採用になんぞ付き合ってられるか!」という意見には絶賛賛同しつつ、ちょっと違う視点からも意見を述べてみたい。

学業を疎かにする人がいるのは、学業がつまらないから

文科省指針や経団連が定める倫理憲章において一貫して言われてるのが、「学業への影響」という論点だったりするのだが、全然大学に行ってなかった私から言わせれば、インターンや就職活動というものが大学4年生以降でしか出来ない世の中が到来したとしても、大学生が学業を疎かにする理由はいくらでもある。アルバイトもあるし友達との遊びもあるしサークルや部活だってあるじゃん、と思う。

学業が疎かになっている人が仮に増えているとして(そもそも増えてるのかどうかも知らんが)、大抵の人は学業が面白いとか役に立つと思ったらそっちを優先してくれるはず。「優先するに足るものと思われていないから優先しない人がいる」というだけの話なのに、何をこんなにごちゃごちゃと言っているのか。

学業を疎かにする人が本当に増えているというのなら、大学は就職活動や部活、サークル活動を学生の可処分時間を奪い合う競合としてしっかり認識し、それ以上の価値を感じてもらえる面白い授業を展開する努力をすべきだ。

就活生をもっと大人として扱った方がいい

経団連の倫理憲章や文科省の指針に見え隠れするのが、「学生を助けなきゃ」「学業に集中させなきゃ」という文脈であるように思う。だが、就職活動をしている学生は大抵が20歳以上である(大学三年生は20〜21歳)。仮に未成年だったとしても、自分の頭で考えられる年齢だ。

そういう人間の生き方とか学業への姿勢とかについて、何で行政とか企業に云々言われないといけないのだろう。インターンするかしないかなんて、自分で選ぶものに他ならない。

もちろん一部のインターンシップには問題もあるかもしれない。

無給で何ヶ月も働かせるとか尋常じゃないことをやってる「学生は何にも知らないからこき使ってやろう!ぐへへ」的な会社も中にはあるだろう。だが、そういうのもひっくるめて「何処で働くか」を決めなくてはならないのが就職活動だし、法令違反・法律違反をしている会社をもっとしっかり取り締まりましょうというならいざ知らず、採用のためにインターンを行う会社を一緒くたし、自分たちが勝手に作ったルールを守るよう求めていくというのは余りにも傲慢だろう。

あくまでも基本としてあるべきは自由競争であり、企業の採用の在り方についてもそれは同様であるはずだ。学生にとっての選択肢についても、彼らが大人である以上、多ければ多いに越したことはない。

今後の日本の国力は、ユニークなバックボーンを持つ人の数で決まる

新卒一括採用という概念はどうやら日本特有らしい。
こういった慣習は、企業の採用プロセスや教育制度、給与制度を統一し、オペレーションに要するコストを押し下げるという意味ではメリットがあったのかもしれないが、現在においてはデメリットのほうがはるかに大きい。

少子化が進行する中、今後の就労人口は減っていくことが確定している。発展途上国が安価な労働力や経済成長を武器に力を増している以上、日本企業は30年前のようにオペレーション合理化による低コスト・高品質路線では勝負できない。

必要なのは、間違いなくイノベーションであり、イノベーションは同じような人生のバックボーンを持つチームからは生まれてきにくい。様々なバックボーンを持つ人たちがいるからこそ突飛なアイデアは生まれ得るのではないか、と思う。

一度就職した後に退職し世界一周してみたり、大学在学中からバリバリ働いてみたり、卒業後すぐに起業してみたり、発展途上国でボランティアしてみたりetc…といったようなユニークな経験をしてきた人が集まったチームからは当然ながら多様な意見が出てきやすいだろう。

にもかかわらず、新卒一括採用という慣習のためか日本では、「新卒で就職しない」ということについても社会的批判の目があるように思われる。こうした社会背景においては、保守的な方向へ国民の就労意識が流れてしまうことを回避しにくいだろう。

倫理憲章やインターン規制の問題がアホらしく、問題だと思うのは、何も当社を含むベンチャー企業にとって採用の選択肢が狭まるからではない。あくまでも指針でしかない以上、直近での採用業務に支障をきたすことはないからだ。問題なのは、上述したような新卒一括採用やインターン規制、倫理憲章の妥当性が、既成事実として社会に浸透してしまうことだと思う。

それこそ、採用活動を早期にやる会社は悪というように思ってしまう人も確実に出てき得る。それは中長期的目線に立った時、日本という国にとっての大きな損失になる。もっと多様な就労観が社会に根ざしていくためにも、行政や経団連による規制の強化には利はないと思う。

というわけで、当社は365日いつでも採用活動やってます

つらつらと思う所を書いたが、Volareはいつでも長期インターンシップを募集してるし、内定直結型のインターンシップにも力を入れている。倫理憲章やインターン規制などに縛られず、「一緒に働きたい」と思える人をぜひ採用したいし、そういう人と良い会社を作っていきたいと思っているからだ。

学生にとっての選考型インターンのメリットは、学生が企業について社風や文化、ビジョンなどソフトな部分や「働くリアル」をじっくりと知ることができる点にある。逆に就活生について、企業側からもじっくりと審査できるという点において企業側のメリットも大きい。

世界的に見て日本の競争力を保つためにも云々という議論などはおっさん達の世界の事情であり、多くの学生の方にはどうでもいいことだろう。シンプルに、「お上が何を言おうが、自分に合った企業を見つけたいからインターンしたいんだ」という学生の方は、ぜひ当社でのインターンも含め検討してみて欲しい。

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ヴォラーレSEOやめるってよ(嘘)

このままいくと、また今年のインターンイベント開催までの間ブログを書かない羽目になりそうなのと、
最近少々気になる話があるので久々にブログを書いてみることにする。

ヴォラーレSEOやめるってよ(やめません)

ご存知の方も多いと思うが、VolareにはSEOに強みを持つWebコンサルティング事業と、コンサルティング実績で培った知見を活かしてApplivというメディアを運営するインターネットメディア事業の2つの事業がある。

Webコンサルティング事業部では、(今月誕生日の)CMO土居を中心として運営するSEO HACKSというメディアの運営や、現場の前線メンバーが中心となって行う企業担当者向けのSEOセミナーの定期開催を中心に、企業向けの情報発信を積極的に行っている。

一方Applivについては、会社として今後大きく伸ばしていきたいと考えているため、この2年間多くの投資を行ってきた。そのかいもあって、現在Applivは順調にアクセス数や売上を伸ばしており、社外の方と話すときにも「メディア好調そうだね」などと声をかけて頂く機会も増えた。

ただ、「ヴォラーレ、SEOやめてメディア事業に行くらしいよ」という根も葉もない話が其処此処で言われているという話をメンバーが最近よく口にする。気になる話というのはその事である。

Webコンサルティング事業のメンバーは事業に誇りを持って働いているし、「メディア事業頑張ってるらしいよ」ならまだしも「SEOやめるらしいよ」というのはいささか心外と言わざるを得ない。

あえて!ウーハッフッハーン!!もう!一回言うけど、ヴォラーレッハアァアーー!!SEOを!ウグッブーン!!やめません。

SEOに未来はありまぁす

また、「SEOってもうオワコンでしょ!Googleからスパム食らって死亡でしょ!」という、この業界で1年に1回は紛糾する話についても、割と辟易している。

検索エンジン経由でのアクセスを無視できない以上、SEOは無くならないし、それが専門的なテクニックを要する以上、SEOという市場がなくなることはないだろう。

たしかに外部リンクを購入するWebサイトに対するペナルティの実施など、数年前には予想できなかった事がこの業界では立て続けに起きた。クライアントにまで迷惑がかかるとなった以上、外部リンクSEO市場は衰退を免れないだろう。

だが、SEOとは何も外部リンクだけを指す言葉ではなく、むしろ外部リンクに対する取り締まりが強化されたがゆえに、内部改善業務やコンテンツマーケティングを求めるクライアントは急増している。SEOは終わりに向かっているのではなく、市場内の主要な商材体系が急速に転換されつつあるだけという方が自然な見方と言えるだろう。私が以前「SEOは本当に終わるのか」という記事で書いたように、外部リンク以外の多岐に渡るSEO手法に光が当たるようになってきたというだけの話である。

Volareは、外部リンクに対するGoogleの方針を踏まえた業態転換に早期から取り組み、成功してきた。すでに新規での外部リンク販売は一切行っておらず、新規案件のほぼ全てがSEO設計やコンテンツマーケティング支援業務となっており、周辺領域となるWebコンサルティング、UI改善コンサルティングなどのサービスの提供も増加している。外部リンクSEOを提供し続け苦しんでいる企業も多い中、6月度の事業予算を大幅に達成することもできた。

こうした領域でのニーズは外部リンク市場の衰退に伴い確実に増えていくであろうし、Volareはこうした市場環境において非常に良いポジションを獲得していると思う。また、こうしたサービスの提供はそのままWebサービスの展開やその他事業のマーケティングノウハウとして活用されるため、Applivに次ぐ新規事業を見据えた際にも良い方向に事業の舵を切ることが出来たと考えている。

BtoB企業がBtoC領域で出会う逆風

「ヴォラーレ、SEOやめてメディア事業に行くらしいよ」という話が業界でなされるという事について思うのは、BtoB企業がBtoC領域で成功することの難しさである。

VolareがApplivをリリースした当初も、「BtoB企業はBtoCでは成功できない」という話を色んな人にされたのを思い出す。

たしかに、BtoBとBtoCでは使用する筋肉が全く違う。

大抵のBtoB事業においては、1年以上収益化をしないなど論外である(エンタープライズツールなどは別だけど)。一方で、BtoC事業においては最初からマネタイズしようにもユーザーがいなければ不可能だ。よって、メディアパワーの強化を優先すべきであり、当面はマネタイズを考えてはならないケースが多い。

Volareでも、Appliv事業展開にあたって最初の1年間は収益を度外視し、ユーザー集めに注力してきた。その結果、今年の3月には月間ユニークユーザーは300万人を突破、現在はマネタイズにも着手し、安定的に収益をあげる事業にまで成長してきた。

メンバーについても、SEOに強いWebコンサルタントがいるだけではBtoCでは成功できない。この2年の間に、エンジニアとデザイナー合わせて数名だったチームを20人近い組織へとスケールアップしてきた。

Webコンサルティング事業のメンバーについても、自分たちが稼いでいるキャッシュフローの多くが新規事業に投入される状況によく耐え、Applivが事業として立ち上がるのを温かく見守ってくれた。そして、逆に贅肉を削ぎ落した精鋭部隊を作り上げてくれた。

こうしたビジネスモデルの違い、必要とするチームの違い、組織内での既存事業からの協力意識など、様々な要素をクリアしなければBtoC事業を立ち上げることは出来ない。だからこそ「BtoB企業はBtoCでは成功できない」というジンクスが生まれたのではなかろうか。

「ヴォラーレ、SEOやめてメディア事業に行くらしいよ」という話が外部で囁かれてしまうというのも、ある意味BtoB企業がBtoC領域で成功する上での困難の一つなのかなと思う。

だが上述した条件をすべてクリアしてきたVolareにとって、こんな困難は正直屁でもない事だ。
引き続きVolareは両事業を展開していく。

「SEOやコンサル事業から撤退するのでは」という憶測を払拭し、Volareの前線で日本最高峰のWebコンサルティングサービスを提供せんとするメンバー達のためにこの記事を書いた。Volareのメンバーが無意味な雑音に耳を貸さず、安心して思いっきり働いてくれることを願う。

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