「頭が良い」と「優秀」は、全然違う概念であるという話

2018年卒業予定の学生に向けたNyleの新卒採用活動がスタートした。

Nyleでは2012年から本格的に新卒採用を始めており、2018卒の新卒社員は新卒世代7期目ということになる。私自身も採用に積極的に携わり、これまでに数多くの学生と会ってきたが、興味深いことに、学生が持っている疑問や不安の種類はあまり変わりがないように思う。

例えば、私がこれまでによく聞かれてきた質問のひとつに、「優秀さの定義って何ですか」というものがある。様々な企業が「優秀な学生」という言葉を安易に使いがちであるにも関わらず、その要件が企業によって異なり、かつそれが往々にして学生間で使われる「優秀さ」の定義とは乖離があるためにこうした質問が出てくるのだろう。そして実際、社会における「優秀さ」と学生の間において使われる「優秀さ」は全くの別物であると私は思う。

本日の記事では、学生からよく聞かれるこの質問を引き合いに出しつつ、私がこの言葉以上に大切だと考える一つの素養について書いていくこととする。

「優秀」という言葉に潜む誤解

多くの場合、学生間において言われる「優秀さ」とは「勉強ができる人」のことである。何故かというと、学生社会においては試験成績や在籍校などによってかなり定量的に学力が数値化され、優劣がつけられるからであり、そしてその優劣が(特に高学歴の学生や高学歴を目指す学生の間においては特に)重要とみなされるからであろう。

こうした背景を持った学生にとっての「優秀」というキーワードは、「勉強ができること」や「地頭が良いこと」と捉えられがちであり、それはそれで「その人の過去の経験」としては正しい。一方で、こういった意味合いで使われる「優秀」というキーワードからは、重要な概念がすっぽりと抜け落ちている。

「優秀である」ということは「特定の環境において優れていること」である。学力がものを言う世界であれば頭が良いことは優秀である事に直結するが、そうでもない環境__すなわち、数々の特殊環境の集合である社会においては、頭が良いことがそのまま優秀であることの根拠とはとても言えまい。だから「優秀」という言葉を用いる際、この「特定の環境において」という要素をその概念に意識的に内包しておくことが重要である。

そして、既述したように「社会」と一口に言っても様々な環境がある。職種や会社、役職が違えば求められる能力は全く異なるし、その他の環境変数を挙げだせばキリがない。

頭が良くて困ることというのはほとんど無いだろうが、少なくても「頭が良いということは学生間で重要視されるほどには重要なことではない」ということは覚えておいたほうが良く、むしろ社会はその様々な環境変数の中で、頭が良いことよりも全く別の要素を求めているのだということは学生のみならず全ての人が認識すべきことであろう。

環境変数に左右されない「優秀さ」について

一方で、どのような環境変数の中においても一貫して通用する「優秀さ」というものがあるのではなかろうか。私の経験上、業界や職種を問わず「この人すごいな」と感じさせる人物には、確定的に共通する要素が存在している。

こうした「汎用的な優秀さ」を構成する要素を知り、自分のものとすることは、後天的には向上が望みにくい「頭の良さ」を云々言うよりもはるかに有用である。もちろん「汎用的な優秀さ」を構成する要素と言っても全てを言葉でカバーできるわけもないのだが、あくまでも私見として、私が考えるいくつかの例を下記に紹介したい。

1:コトの背景を説明し周囲のパフォーマンスを引き出す力
人のパフォーマンスは、仕事の意義や目的を理解している場合とそうでない場合では全く違う。物事には必ず存在する文脈を誰もが分かるように共有する人は、チームの方向性を一致させ、結果として周囲のパフォーマンスを引き上げるのに一役買うことが多い。

2:課題指摘に留まらず解決方法を提示する力
課題感を指摘するのみならず、解決方法までを提示できる人はどこにいっても大変高く評価されると思う。課題だけを言われても、言われた側がその解決策の模索から始めなければならず、組織的なコストが大きい。良い意味で勝手に解決方法を考えて動ける人が多ければ多いほど組織は強くなる。逆に課題だけ言い放ちソリューションを考えない人は「批評家」と揶揄される。

3:批判を受け入れ、前向きに人の意見を聞く力
他人からのフィードバックを素直に受け入れないプライドの高い人は厄介である。個としての成長が停滞する上に、周囲の人間からしても何か言おうとする度に気を使うことになり、チーム全体の労働満足度が下がってしまう。「まず否定から入る人」というのもよろしくない。意見とかアイデアは肯定されることによって前進する。「いや違うでしょ」という返答ではなく「なるほど一理あるね。でもこういう方がいいんじゃない」という切り返しができる人の周りからは様々なアイデアが生まれる。

4:「一緒にやってやろう」というオーナーシップ
「この人についていく」という考え方は「依存」に他ならず、依存される側からすると中々しんどいものがある。逆に「この人と一緒にやってやろう」というスタンスを持っている人が多ければ多いほど、経営者や上司は楽になるし助けられる。この「一緒にやってやろう」という気概こそを「オーナーシップ」と呼ぶのだと私は思う。

5:知的好奇心と継続的インプット
様々な技術が複雑に折り重なって構成されている現代の産業において、知っていても意味が無い情報はどんどん少なくなっている。だから、自らが属する業界にせよ他業界にせよ、知識を継続的に吸収し、それを仕事に活かす能力が高ければ高いほど、自らのレアリティは増していくと思った方が良い。このためには、学習をする際に「最低限知っておけばいい知識」を得て終わるのではなく、「その先にある様々な知識」にまで食指を伸ばして学習する知的好奇心を持つことが大切である。

「原因自分論」と「優秀さ」の関係性

上記に列挙した要素は、「頭の良さ」とは違って全て後天的に獲得が可能であるように思う。だが興味深いことに、頭が良い人であってもこれらを備えているとは限らない。

上記に列挙した要素のみならず、後天的に獲得可能な良き要素は色々とあると思うが、これらを獲得する人とそうでない人を分けるものは何なのだろうか。

私の考えでは、それは「原因自分論で生きている人か否か」に依るところが大きい。

何かネガティブなことが起きた時、それを他人のせいにする人は人生を楽に生きているのかもしれない。だが同時に、多大な損をしていると私は思う。

例えば、「社員は何もわかってない」などと言っている経営者がよくいるが、こうした発言は自身が経営者として拙いことを吐露しているようなものである。社員が本当に何も分かっていないとしたら、それは経営者が採用を間違えたか育成を間違えたかetc…なのであり、究極的には自分の責任であるはずだ。

経営者でなくても身の回りで起きる様々な事柄において、自分に落ち度が全くないということはまず無い。だから、「自分がこう動いていたら防げたんじゃないか」と思って改善する人はそうでない人に比べて自己革新の速度が段違いに早い。

そう、「原因自分論で生きる人」は往々にして「最高の自己革新者」なのである。

ともすれば人は他者批判に陥ってしまいがちだ。だが、他人を変えるよりも自分を変えるほうが簡単だというのは良く言われる話であろう。自己革新の精神を持った人々は後天的に獲得可能なあらゆる良き要素を迅速に獲得する。人は、どうせ働くならこういう人と一緒に働きたいのではないだろうか。

頭が良いということはもちろん良いことだ。だが、後天的にそうなろうとしても大抵は難しいのもまた事実である。そして、社会の多くの場所で、そんなことよりも遥かに大切な精神の存り方が求められている。

邪推かもしれないが、「優秀さの定義って何ですか」という質問には、「頭が良くなければ良い会社には入れないのではないか」という不安が見て取れる時がある。

もしこうした疑問を持つ人がいるのなら、「多くの場合答えはノーである」と私は言いたい。

「頭が良いだけ」では、「優秀」と言われるレベルには到達しえないのだから。


P.S.
冒頭でも触れたが、2018年卒業の学生を対象としてサマーインターンシップの募集を開始した。「我こそは原因自分論で生きてきた」という学生の方からのご応募をお待ちしている。
Million Dollar Bootcamp 2016

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ナイルがやめた5つの取り組みと、スタートアップが持つべき未来仮説の話

Nyleでは3ヶ月に一度役員合宿を行い、四半期の反省や今後の打ち手の検討、長期的な会社の方向性などについて役員全員でじっくり議論する時間を作るようにしている。その役員合宿が今週末にあるのだが、これに先立ち先週の土日は企業として大切にしていきたいことや大切にしてきたことに思考を巡らせていた。

21歳で起業してこれまでにいくつかのビジネスを手がけてきた。そのなかで、経営者として下してきた決断を分析するというのは暗黙的に存在する会社としての経営理念を言語化するのに有効な手段かもしれぬと思い、一人で書き出している。こういう振り返りを行うと一連の決断の中から、過去には言語化できていなかった自分の経営理念のようなものが立ち現れてくるから面白い。

「何をやったか」よりも「何をやめたか」

「何をやって上手くいったか」というのはとても大事なことだ。だが、大抵の企業や個人が「やめてよかったこと」があるというのもまた大切な事実であろう。Nyleでも多くのことに取り組んで、多くのことをやめてきた。今回の記事においては、「何をやめたか」ということにフォーカスしつつ話を進めたいと思う。

やめたこと1:月次の売り上げは追わない
スタートアップの経営者は月次の売上高に一喜一憂してしまいがちだと思う。キャッシュが潤沢にあるわけでもなく、この赤字があと数カ月続いたら会社は倒産してしまう。そんな時に今月の売上を気にするなというのは無理というものだろう。

だが、今月の売上を気にするだけならまだしも、そこで数字を「作り」にいってしまうとなると話は別だ。大抵の場合、無理な営業獲得に走ってしまう会社は、それ以降に顧客との信頼関係のなかで獲得できるはずあった収益を損なってしまう。なぜなら、営業担当者に今月中に契約をくれ入金をくれと言われることは決して心地いいものではないからだ。

私たちもご多聞にもれず、毎月の銀行残高をいつも気にして毎月の売上を達成するためにあれこれと動く時期があった。だが私たちは、月次の売上見込みが目標に届かなそうだからといって、小手先の施策を打つのをある時から一切やめた。あくまでも目標未達は未達として甘受しつつ、いかにその翌月、翌々月ないし半年後以降にこうした乖離を解消していけるかを考えるようにした。

やめたこと2:テレアポはかけない
多くのWebマーケティング企業やアドテク企業はテレアポをリード獲得手段としていることと思う。しかし、当社は2013年末以降、テレアポを行うことを一切禁じている。「本日は100本の電話をかけてアポ1件で目標に1件届きませんでした」「どうしたら目標に届くと思うんだ」などというやり取りは本当に意味がないし、テレアポをかけていてメンバーに何らかの知見が貯まるということがほぼないからである。

Nyleではこのテレアポに充てていたリソースを、サービスの品質改善やブログ記事の執筆や寄稿、セミナー登壇に充ててきた。結果として現在は、オンラインでの問合せや顧客からの案件紹介など反響営業のみで過去最高売上・利益を出すようになっている。

やめたこと3:人工リンク提供はやらない
少々コアな話になってしまうが、SEO事業を営む会社の多くが、いわゆる人工リンクの提供を行っている。Nyleでは、こうした人工リンクについても2014年以降一切の新規提供を行わなくなり、需要が高まっていたUI改善コンサルティングやコンテンツマーケティングなどの領域強化に取り組んできた。現在、Nyleは過去の顧客も含め人工リンクの提供は一切行っていない。

Googleの持つ高度な検索アルゴリズムは、どんなに精巧に作られた人工リンクでも見破るようになってきている。当面はリンク提供サービスで利益を出せるかもしれないが、5年後か3年後か、もしかしたら明日から、こうしたビジネスは一切通用しなくなるかもしれない。そういうリスクを抱えたまま顧客にサービス提供するのは信義にもとるし会社としても良いことはないと思ったのだ。

やめたこと4:リワード広告は提供しない
Applivをリリースした当時は、アプリ広告といえばリワード広告が全盛であり、収益的にも儲かることがわかっていた。だが、私たちが開発したのはノンインセンティブのアプリ広告サービスであり、リワード広告は自社で提供することはしないと決めていた。上述した人工リンクの話においても見られるように、プラットフォームはスパムを嫌う。AppleやGooglePlayにおいて、リワード広告業者は明確なスパマーであり、しかも取り締まりが人工リンクより簡単だ。数年以内にリワード広告の市場自体が崩壊に向かうと私たちは考え、そして実際そうなった。

やめたこと5:開発チームに納期を押し付けない
テクノロジー企業においては、「徹夜して早く作ったサービスが世界を変えた」というような話が(特に非エンジニアの人々の間で)横行しがちである。当社も以前は「早く作ること」を優先していたし、納期を巻くようにエンジニアに指示することもあった。しかし、今では各プロジェクトの開発責任者に納期の決定権限を与えることにしている。というのも「早く作る」ということだけに目線が向くと、その後のメンテナンス性が損なわれたシステムを作ることになりかねないからだ。

長期的な投資に張り続ける会社は強い

上述したNyleがやめてきた取り組みについて、共通していることはなんだろう。
私は、「長期性を考慮しての判断である」ということにあると思う。

経営者が短期的な成長を追っていくようになると、メンバーも含めた全員が今月の数字という「足元」しか見えなくなってしまう。結果として「今」を改善するだけの小手先のテクニックに走ることになり、足元数字が少しでも悪くなる施策や投資に忌避感が生まれてしまう。こうした組織の中での「投資への忌避感」をメンバーは敏感に感じ取る。すると、中長期的な施策がどんどん出てこなくなり、結果として単月黒字を追求するだけの凡庸な会社になってしまう。

逆に、経営者が長期的な成長を追っていくようになると、より長い射程での投資検討が可能になり、組織からもより多くの中長期的なアイデアが出て来やすくなる。足元の数字は一時は悪くなるかもしれないが、中長期的にはより高い成長が望めるし、メンバーも地に足をつけて仕事ができるようになる。

というツイートを以前した。仮に足元数字が切迫した企業の場合は、こうした長期性に張るための軍資金としてのVCマネーを入れるというのは極めて効果的だと思う。逆に言うと、VCマネーをいれるのに足元数字の改善に資金を使うのは愚の骨頂と言えるだろう。

自分の中に、未来仮説を持っておく

長期的な成長を求め投資をしていくのは、短期的成長を追うのと比べ、使う脳の筋肉がかなり違う。短期的な成長を追おうとした場合、変化の早い世の中とは言え、外部環境の変化を考慮して施策を組み立てることはまずないだろう。だが、半年や1年、3年スパンでの長期成長を目指して戦略を模索する時、外部環境の変化は大変重要なファクターになってくる。多くの企業が長い目で見た際の外部環境の変化に敏感ではない分、この変化にキャッチアップできるとかなり長期的投資の成功確率が上がると私は思う。

こうした長期的な外部環境の変化を予想し、高い確率で起こる「未来仮説」として経営陣がコンセンサスを持っておくと、企業としてどのように立ち回れば良いのかという輪郭が明らかになってくる。

Nyleについていえば、Applivは私たちの未来仮説が奏功した良い事例と言えるだろう。

今でこそゲームやアプリはスマートフォンで楽しむものだが、4年前の2012年、世の中はまだまだガラケーの時代だった。そしてガラケーにおけるゲームプラットフォームはブラウザであり、MobageやGREEが全盛を誇っていた時期でもある。

参考:DeNAのQ2決算、課金好調で増収増益–モバコインの消費額が過去最高に

しかし私たちが描いていた未来仮説は、
・スマートフォンが今後の携帯端末の主流となる
・正規のアプリストアが一気に発展し、人々はブラウザゲームを使わなくなる
・最初はスパム的な広告手法が発展するも、その後は正規な広告商品が必要とされていく
というものだった。

これらの流れは、いずれやってくるだろうとは思っていたものの、それが何時になるのかというのはなかなか読めなかった。2011年の終わり頃、周囲のテクノロジー関係者が皆iPhoneを使い、AppStoreでゲームやアプリをダウンロードしているのを見て、今後5年のスパンでスマホアプリ市場が一気に立ち上がってくると判断し、Applivを立ち上げるに至った。この未来仮説はそれなりに正しかったと思うし、早すぎず遅すぎずのちょうど良いタイミングで事業を開始できたと自負している。

感情が社会を支配し、合理性が企業を支配する

未来仮説を考えていくにあたり、GoogleやFacebook、Appleなどのプラットフォーム提供企業の動向はかなり予測が楽だと思う。というのも、こうした企業は事業的にはあくまでも「営利目的」の企業であり、自社の利益を長期的に最大化させる方向に動いていくからである。

Googleがスパムを撲滅したいのも、より良い検索結果を表示しなければユーザーが離れてしまい広告収益が減少するからだ。Appleがリワード広告を撃退したいのも、AppStoreのランキングがダウンロード数に応じて上下するように設計されているためリワード広告によって品質の低いアプリが上位に表示され得るからだ。FacebookのInstant Articlesにせよ、より長い時間ユーザーをFacebook内に留めておくことで、より多くの活動データや広告収益が獲得できるようになるからという理由で導入を説明できる(リンク遷移によるコストからユーザーが救済されることでユーザー体験も向上する)。

これらはいわば、予定調和的な動きであり、予測はある程度簡単だ。これに対して(企業もひっくるめた)政治や経済、世論、非営利団体が織りなすマクロな社会活動は、はるかに複雑性が高い。

社会は世界企業が提供するプラットフォームに比べ、はるかに多極的なプレイヤーが異なる利害を共にしている。また、企業の中では指揮命令系統の優劣が明確だが、社会においてはどんなプレイヤーが存在するかすら時として判然としない。より有機性と複雑性に富み、多極分散的な意思決定や合意形成がされるのが社会であり、その分企業の意思決定よりも論理的な結論に行き着きづらく、流動的な結論が導き出される可能性が高いのではないかと思う。

震災に寄付する著名人たちをネット民がよってたかって叩く姿は記憶に新しいが、他の著名人やそれに憧れる人たちの更なる寄付を抑制するものでしかないという意味で、こうした現象は合理的な社会像からはほど遠いだろう。

マクロな社会活動がこうした合理性に乏しいものである以上、その予測は時として大変困難である。だが逆に言うと、こうした複雑性に富む社会という前提は、一見して合理性からはかけ離れた事業やサービスが成立し得るということを示唆しており、社会全体が持つ集団心理を掴むのに長けた起業家ないしサービス提供者は、「一見すると不可解だが彼らにとっては必然のヒット」を飛ばし続けられるのかもしれない(私の周りではこういう人を、よく分からないけどすごい「プロデューサータイプの起業家」と呼んでいる)。

起業家の仕事は、未来仮説を持って長期性に取り組むと決めること

若干話がそれたが、起業家がすべき仕事の一定割合は未来仮説を持ち、長期性に取り組むという腹を据えることだと私は思う。目減りし続けるキャッシュフローの恐怖や手っ取り早く儲かりそうな仕事の誘惑は理解できるが、多くの起業家はこうした「回り道」に時間を割いている暇はないはずだ。「急がば回れ」というやつである。

ドラッカーは企業の意味を「顧客の創造」といった。

この飽和した日本経済において、スタートアップやベンチャーはどんな価値を発揮すべきかといえば、新しい事業を創造し経済を活性化させていくことにあると思う。誰もがやっている小手先の改善よりも、その事業の可能性を長期的に最大化させるような施策を、自分たちなりの未来仮説とともに実行していくことで、大手企業や競合企業が達成し得ない大きな事業成果や結果としてのオンリーワンの顧客満足を生み出せるのではないだろうか。

長期的な投資をし続けるのは時につらい選択だ。しかしスタートアップを名乗る以上は、自分たちが実現したい世界を実現するのが使命であるはずだ。

Nyleは今、Applivが国内で実現してきたことを世界でも実現しようとしている。私たちが今持っているこれからの未来仮説はここには書かないが、これを証明できた時、Nyleは確実に次のステージに上がれると考えている。引き続き背水の覚悟で、長期性への投資を続けていきたい。

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「効率化」は起業家の仕事ではない

先日、日経新聞でも取り上げて頂いたが、昨日をもってNyleはApplivのインド版・シンガポール版含む海外9カ国での展開を無事開始した。これでApplivは、日本を含めると10カ国に展開するグローバルサービスとしての歩みを始めたことになる。

海外展開はまだまだ投資のフェーズにある取り組みではあるが、これがどのように結実していくのか楽しみでならない。以前書いた記事の通り、暗中模索しながらも世界中の人にとってより良いアプリが見つかる世界の実現を目指していきたいと思う。

さて、前回の記事からそれなりに時間は空いてしまったものの、2016年はブログを例年よりも更新していこうと考えている。本日は、事業とは直接関係ないものの最近大事にしている考えを記事にしてみたい。

テーマは誰でも聞いたことがあるだろう言葉「効率化」そして起業家の時間の使い方についてである。

組織が効率化をする理由

前提として人生は有限である。よって何をやるのか考えるのかというのは大事なテーマだ。
誰とでも会い、何でもやり、どんなことにも思いを馳せるというのはやめた方が良い。大抵の場合、単なる中途半端なヤツになってしまうからだ。

やりたい事とかテーマが決まっているならあとは実行あるのみなのだが、殊に会社を作り組織と事業を大きくしていくとなると厄介な問題が起きる。いわゆるコミュニケーションコストというやつである。

どこかの誰かから聞いた話だから正確性は知らないが、夫婦であっても互いの人格に対する理解度は平均的には十数%程度しかないのだとか。であるとしたら、過去の人生においてほとんど関わってこなかった者同士が100人も集まればとんでもない事になるのは想像に難くない。だからこそ組織論やら企業論やらというものが取り沙汰されてきたのだと思う。

このコミュニケーションコストを最小化するための取り組みが「効率化」であるといっても過言ではないだろう。無駄な資料は作らない、不必要な会議は開催しない、会議の参加者は極力絞る、ミッションと権限はセットで与えるなどがそれだ。組織や事業が巨大な歯車だとするならば、いらない歯車を取り除いたり、歯車と歯車を組み替えたり、歯車同士のつなぎ目に潤滑油を塗ったりすることが効率化であると言える。

そして、組織としての柔軟性や機動性を担保することで、事業を推進する一助となるのが効率化の目的である。
やればやるほど効率化は進むし結果として売上や利益といった成果も出る。それ自体は素晴らしいことなのだが、効率化やその結果としての足元の収益にばかり目が行くようになると起業家としては良くないサインではないかと私は思う。

効率化しようがないことについて

効率化がすべきでないこともある。正確には効率化しようがないこと、とも言えるかもしれない。

例えば経営陣の信頼関係を効率的に構築するというのはなんだか違和感のある言葉だ。別に経営陣じゃなくても、同じプロダクトを開発する開発チームとかデザインチーム、数字を追う営業チームだって同じだろう。チームの状況を調査するサーベイなどを用いればある程度可視化出来るものなのかもしれないが、基本的にはチームビルドを数値化することはなかなか難しい。

同様に、事業モデルを考えることも効率化はなかなか出来ないし、すべきではない。効率的に100個のビジネスモデルを考えるよりも、渾身のビジネスを1つ考える方が良い結果になる可能性はそれなりに高いだろう。

そして何より、企業として何を大切にしていくのかという命題にも効率化で回答することは難しいだろう。KPIと睨めっこしたり、組織の中の無駄な仕事は何だろうと考えても、私たちは企業としてこういう倫理観を持って経営しようという話にはならない。

論理の力では100を1,000にすることはできない

効率化というのはオペレーションの領域で起きていることである。100の収益を110や120にすることは出来るかもしれないが、1,000にすることは出来ないだろう。仮に出来たとしたら前が悪すぎたというだけの話である。

しかし効率化できない領域においてはそれがあり得る。iPhoneもGoogle検索もおよそ世間を賑わせているあらゆるテクノロジーやプロダクトは効率化の発想から生まれたものではない。もちろんそれらが世に産み落とされてからは様々な改善の積み重ねによりクオリティを上げたりコストを下げたりする作業はとんでもなく大事になるが、アイデアが世に産み落とされるその瞬間___0が1に変わるその瞬間までは効率化など何の意味も持たない。

頭が良い人にやらせれば起業家と同等ないし同等以上の水準で効率化可能な仕事はやってのけるだろう。しかし、効率化できないものについて、少なくても企業成長の初期段階においては、起業家以外のメンバーが考えて決めるというのは困難なケースが多いと思う。

なぜなら企業の初期段階であればあるほど、効率化すべきでないものの多くは企業の根幹に関わること___すなわち、「何故起業するのか」「何を実現したいのか」「何故それを実現したいのか」「どんなサービスで実現するのか」「メンバーにはどんな働き方をしてもらいたいのか」「どんなメンバーを集めたいのか」「どんな組織にしたいのか」などの企業としてのストーリーや倫理、そして存在意義を定義する作業であることが多いからだ。

これらの決め事は、それが決まった所で即座に収益を上げるものではないが、中長期的に見た時に100を1,000にするイノベーションを生み出す可能性がある決め事だと思う。効率化の先に1,000の地平がないのであればどこにあるのか。言うまでもなくこの0→1が生み出される瞬間に決まっている。

とはいえ、生き抜かなけば何も始まらない

言うは易し、行うは難しである。

効率化不可能な領域にある1,000の地平を拓き得る物事に集中しようにも、多くの場合起業家はその他のあれこれに悩むことになる。起業したばかりにも関わらずキャッシュが豊富で、優秀なメンバーが揃っているスタートアップなどそうはないだろう。どんな企業もある程度は直近の収益に目を向けざるを得ないケースが多いと思う。

かといって、毎月の売上や利益に目を奪われすぎると、何をやりたくて会社を経営しているのかではなく、今収益をやるために何をすべきかを考えるようになる。するといつの間にか本来の目的が霧散し、平々凡々とした企業になり下がりかねない。

起業家にとっての困難は、空に浮かぶ星を見つめながら足元にも気を遣わなければならない所だ。星ばかり見ていても足元を掬われるし、足元ばかり見ていたら永遠に望む場所には辿りつけない。夢と現実の適切な均衡点をどこに置くかに、起業家はその素養を問われるのかもしれない。

意識の向かう先をプログラムすることで思考をコントロールする

以前Facebookで以下のようなエントリーを書いた。

【意識を何に配るかで、人は構成されている】意識を配る対象と配らない対象を明確化するのは経営者にとって絶対的に大事な能力だよなぁと最近思います。会社が大きくなってくると10人20人の頃にはディテイルまで見れていたことが靄がかかったような感覚…

Posted by 高橋 飛翔 on 2015年5月28日



この時よりももう一歩進んで、近頃私は意識の向かう先を意識的にプログラムするようにしている。

トートロジーに見えるかもしれないが、意識というものが自己発生的に何かに向かっていくものであるからこそ、そもそも考えるべき事、考えるべきでない事を事前に自らに課しておくという意味だ。

仮に自分が考えるべきでないと決めた領域で何か問題が起こったとしてもそれは捨てるしかない。
逆に言うと、自分が考えるべきでないと決めた領域については誰かが考えたり解決するようミッションを設定するということである。

組織論の教科書によく「権限委譲が大事」という話が出てくるが、多くの場合それはメンバーがより主体的に考え動くようになるためという文脈であるように思う。だが実は、会社の中に「考えないと決めた」領域を作ることで、自らの限られた思考のリソースを「考えると決めた」領域に投入し、結果として高いパフォーマンスを出すというのが、殊起業家にとって権限委譲が大事な理由なのかもしれない。

こうして意識の矛先をプログラムすることで、思考におけるオペレーションとイノベーションの比率をコントロールし、結果として星と足元を同時に見られるようになれば、会社のフェーズが変わっても常に論理と閃きの均衡点に立つことができるのではないか。

ちなみに私としては、その中で閃き___効率化できないもの、最終的にはイノベーションの種になるものを模索する比率を上げていくことで、Nyleが100から120になるのを助けるのではなく1,000や10,000の世界に羽ばたく可能性の萌芽を見たいと思っている。そこに効率性という概念はない。もしかしたら徒労に終わるかもしれない。しかしその領域で何かを生み出し続けない限り起業家としては失格だと思うのだ。



余談だが、エジソンが言ったとされる言葉「天才とは、1%の才能と99%の努力である」という言葉は誰もが知っているだろう。だが、この訳は誤訳だという説がある。

エジソンの言葉はこうだ。
“Genius is one per cent inspiration and ninety-nine per cent perspiration.”
「1%の閃きがなければ99%の努力は無駄である」

効率化とか合理化とか論理が実現できる世界には限界がある。

もしかしたら、いや確実に、エジソンは知っていたのだろう。
天才と呼ばれる領域に到達するには、1%の非論理の力が必要であることを。

起業家として高みを目指す以上は私たちもきっと、知っておくべきでしょうね。

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暗闇への跳躍

本日、Volare(ヴォラーレ)をNyle(ナイル)へと社名変更した事を発表した。ナイル川のナイルではなく、「Near Your Life」という言葉の頭文字と最後の文字を取り社名を決めた。人々のそばに当たり前にあるようなサービスを作り続ける会社にしていきたい。

社名を変更しようという話は実は数年前からあったのだが、Applivの英語圏への展開を加速させていくこのタイミングが最良であろうと考えた。このブログについても更新する良い機会だと考えたので、私たちがこれから何をやっていくのか。今どんなことを考えているのかを発信してみようと思う。

アプリストアの第三極とはどういうことか

THE BRIDGEにも掲載頂いたが、私たちはApplivをアプリストアの第三極としていく事を目指している。

現在世界のアプリストアはAppStoreとGooglePlayにおおまかに二分されているが、独自のアプリストアが発展している地域も存在している。

例えば中国ではその特殊な政治的背景もあり、GooglePlayが排除され独自のアプリ経済圏が築かれている。
また、非中華圏においてもAmazonやOperaなどが独自にストアを出しており、その存在感を放ちつつある。
最近では楽天も独自のアプリストアをリリースしたのは記憶に新しい。

垂直統合型のビジネスモデルを採用しているAppleに対して、Googleの展開するAndroidにおいてはユーザーがGooglePlayを利用しなければならないという制限があるわけではなく、その国のモバイル環境の発展過程や様々なプレイヤーの取ってきた戦略によって多かれ少なかれGooglePlayのシェアが奪われているケースが存在するということである。

こうしたサービス群の一つとなることをApplivは目指すことになるわけだが、独自アプリストアは例外なく一つの課題にさらされる。それはトラフィックの獲得である。

当然のことだが、トラフィックの無いアプリストアに対してアプリディベロッパーがアプリの個別カスタマイズをするわけがない。仮にGoogleなどのプラットフォーマーに支払うロイヤリティが多少下がった所で、アプリがダウンロードされなければなんの意味もないからである。Applivを経由してアプリをダウンロードするのが当たり前というユーザーのベースをいかに作れるかということが、日本にせよ海外にせよアプリストアを展開していく上で大変重要である。

本日リリースしたUS版Applivの提供、そして年内8カ国での英語版Applivのリリースは、まさにこの「トラフィック」をグローバルに獲得していく上での重要な一手となる。

同一言語圏内の賃金格差を利用した海外展開

Applivを構想した時、将来的にこのサービスを必ず世界に展開しようと私たちは決めていた。アプリの市場は世界共通のプラットフォームであるiOS、Androidの上に存在しており、かつてガラケー時代に言われたような日本だけがガラパゴスという状況にない。よって、日本発海外で成功するサービスを作れる可能性を感じていたからだ。

比較的コストのかからないフィリピンでコンテンツを作り、当社が得意とするSEOを武器にグローバルにトラフィックを獲得していくという戦略で英語版のApplivを今後多くの国々にてローカライズし展開していくのだが、こうした戦略は、Applivを立ち上げた当初から構想として組み込まれていた。

当初は(今でも)社内外から「良いコンテンツを作ることが出来ないのでは」「一口に英語と言っても国によって文法や書き方が違うのでは」などの懸念が多く出されたが、何度かの調査の結果、私たちはこの戦略を成功させることが可能だろうと予測し実行に移すことにした。

人は過去に自らが見聞きし体験してきた事から物事を測るものだが、経験という引き出しに入らない何かに触れる時、多くの人はその可能性を否定しがちであることもまた確かであろう。

Applivを立ち上げた当初、私たちがよく言われたのが「AppStoreがあるじゃないか」「GooglePlayがあるじゃないか」という言葉だった。AppStoreやGooglePlayに慣れた人からすれば、Applivが提供する付加価値は全く必要と思われなかったのだろう。しかし、こうしたアドバイス、フィードバックは時として無視しないと、この世に今無いものは永遠に作れなくなってしまう。

今回の独自アプリストアを作るという構想も、同一言語圏内での賃金格差を活用してグローバルにトラフィックを獲得していくという戦略も、ある種同様に、多くの人にとって「うまくいかないんじゃないか」と言わざるを得ない話だろう。

しかしApplivを立ち上げた時と同じように「うまくいかない」と言われるからこそ、やりきった時大きな果実が収穫できるのがこの構想、戦略であると私は思う。まずは英語版Applivをしっかりと成功させて、アプリストア化という構想への足がかりにしていきたい。

スマートフォンとは一体なにか

海外事情について調べることが増えたためか、ここ最近よくスマートフォンというものが何なのかについて考えていた。ガラケー時代から高度なモバイル端末に触れていた我々日本人にとってのスマートフォンは、電話でありインターネット端末でありゲーム機でもあり、そのどれも正解と言える。

しかし、グローバルに捉えた時、スマートフォンとは、人々にとっての高度なインフラストラクチャーインターフェースなのではないかと私は考えるようになった。

インフラという言葉から多くの人が想起するのは、電気・ガス・水道などであろう。だが、これらのインフラが価値を持つためには、人々がこれらを享受するためのインターフェース、すなわりスイッチやコンロ、蛇口が必要だ。

インターネットが情報への接続性を担保する現代のインフラであることはもはや自明だが、PC主流の時代のインターネットはいわば井戸から組み上げる水のようなものだったように思う。家族や地域の皆で一つの井戸を利用するのは、水道の蛇口から自由に水を得られる体験からすると大変に不便だろう。

スマートフォンはその価格、携帯性からインターネット体験という水をどこでも簡単に捻り出すことを可能にし、しかも個人が独占的に使える。このため、世界中の人々のインターネット体験は極めて画一的かつ手軽なものになってきていると思う。

GoogleのプロジェクトルーンFacebookのソーラードローン計画などがそのまますんなりと上手くいくのかどうかは分からないが、民間企業も参画してのインターネット環境の世界的整備によって、世界70億人がインターネットにつながっているのが常識、当然という世界がそう遠くない未来に到来するのは間違いない。

こうしたインフラ拡充とインターフェース革新によって、情報社会への接続手段は世界的に迅速かつ簡易、そして場所を選ばないコモディティとしての完成をみるだろう。

情報接続性の進化が拓く変化

グーテンベルクの活版印刷とインターネットの類似性はインターネット界隈の人たちの間には定期的に取り沙汰される話だが、活版印刷の誕生がルターの宗教革命につながるまでには70年の時間を要したし、世界に活版印刷が広がり知識や知恵の共有が段違いに効率化されるまでにはより多くの時間を必要とした。産業革命にしても、未だ全世界的な工業化の達成には至っていない。

アフリカには、電気も水道もないが、スマートフォンを皆が持ち、電池を節約するために用事のあるときだけ利用する村が多々あるという。インフラとしての電気がなくてもスマートフォンを充電できるよう、モバイルキオスクなるソーラーパネルを搭載した充電器を自転車で運ぶサービスが登場するなど、スマートフォンやインターネットの方が既存の主要インフラよりも早く普及しているケースもある。

これまでの先進国家誕生過程においては、機械工業化とそれに伴う高速道路や鉄道などの物流網の整備、電気ガス水道などのインフラ整備は必須であった。しかし、上述したような既存インフラが未発達な中でも情報インフラが先行して独自発達をする発展途上国の存在は、工業化と情報化がパラレルに進行する独自の経済成長の可能性を示唆すると共に、インターネットの広がりが既存の産業革命や活版印刷技術の広がりを上回る速度と規模で進む可能性を示していると私は思う。

インターネットの広がりが加速度を増した結果としての情報接続性のコモディティ化が進む中で、人々の持つ様々な先入観や暗黙の了解とされている文化的営みは確実に変容を迫られるはずだ。現代社会において人々は、結婚すること、子供を生み育てること、宗教を信じることなどにおいて常に合理的に振る舞うわけではない。「これはこういうものである」という極めて文化的な背景を持つ道徳観念をベースとして意思決定をしているのが人間だ。

だが、こうした文化的な道徳観念は親から子へと継承されてきたがゆえに社会的に緩やかな共通認識として存在するものであり、情報接続が極めて簡易になされ、より多様な価値観によって刺激を与えられる現代においては、その変化は免れない潮流になっていくように思う。子供にスマートフォンを持たせない親の存在は、こうした変容を嫌うないし良くないものとして捉える人々がいることを示している。

私自身、自分の親世代との間に相当な価値観の乖離を感じることがよくあるが、これは過去ローマ時代にも言われていたという「今の若い者は〜」という言葉の範疇を超えているのかもしれず、もしかしたらこうした乖離は今若者と言われる世代とその子供達の世代においてはさらに広がるものなのかもしれない。

また、人々がインターネットによって変容を迫られるのと同様に、インターネットもまた人々によって変容を迫られるはずだ。「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」とはよく言ったものだが、インターネットが人々によって用いられるものである以上、人々の変化はインターネット自体をも変え、相互作用を与え合いながら社会全体を変えていくのだろう。

こうした潮流が高い加速度を持つ不可逆なものである以上、これからの十数年間には活版印刷や産業革命の登場によって起きたような変化が一気に生まれる可能性がある。現代に生きる私たちにとってそれが良いものか悪いものかという議論にはここでは触れないが、向こう10年を上記のような前提を持って生きるのとそうでないのとでは、個にしても企業にしても国家にしてもその未来が全く異なってくるのではないだろうか。

暗闇への跳躍

世界中の人々がスマートフォン(ないし新たな端末革命により生まれる何がしかのモバイル端末)を使いGoogleやFacebookを通じて大抵の情報に接続できる時代において、「何かを知っていること」は急速に価値を失っている。むしろ「検索しても出てこないことを知っている」ことのレアリティが増し、そうしたレアリティある情報を組み立てて何かを考えられることが、独自の価値を生み出す絶対条件になる時代になっていくのではないだろうか。

先述したインターネットと人々の相互作用による変化は全世界的に起こることであろうが、残念ながらその中心地はおそらく日本ではない。すでに様々なモノ・サービスに満たされている日本における変化は、既存産業が欠落ないし未発達な中で一足飛びに情報産業が勃興する国々に比べれば小さいものでしかないはずだ。

統計やニュースを参照するだけではこうした変化の最前線を捉えることなど出来るわけがない。実際の変化が起きる中心地に飛び込み、揉みくちゃにされながら手に掴む情報にこそ価値があり、こうした希少な体験から得る情報とそれらから組み立てる事業にこそ真に独自性が宿るのだと思う。

よく知っている日本というある程度の規模を持つマーケットの中でしっかりと成功するのは一つの選択肢ではあるのだろうが、今後十数年の社会変化を牽引するであろうスマートフォンという領域でビジネスをやっている以上、敢えて先が見えない世界に飛び込み、新しい時代の変化に触れ、何らかの影響をそこに与えたいと私は思う。

未来に起こるだろう急激な変化の中でNyleがどのような道筋を歩むのかは分からないが、未知なる暗闇への跳躍を続け、新しい景色が立ち現れるまでの全てを楽しんでいきたい。

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愛と正義とレジリエンスの関係性

レジリエンスという言葉がある。

「精神的回復力」や「抵抗力」などと訳される心理学用語らしく、「脆弱性」の反対概念に位置する自発的治癒力の意味なのだとか。つまり何かがあった際に、心の平衡を保つ力のことをレジリエンスと呼ぶらしい。

先日、NewsPicksというサービスでアリババの創業者ジャック・マーについてのコラムが掲載されていた。
「最初の起業、失意の失脚、そしてアリババ創業へ」

この記事のコメント欄で、とある方が「これぞレジリエンスでしょうか」と書いていたのを見て初めてこの用語を知ったのだが、「挫折からの成功」というと、多くの人にとって最初に想起されるのは故スティーブ・ジョブズではないだろうか。

彼はスタンフォード大学でのあまりにも有名なスピーチで、
「未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです」
というメッセージを残している(※引用元)。

大抵の人間にとって「挫折」という「点」が起きた時、それを未来へと繋がる「線」で捉えることは難しいだろう。だが、その先の成功に向かうためには、挫折という「点」がいつか「線」になることを信じ、心の平衡を保って進まなければならない。何らかの失意に沈んだとしても、何かを信じることで自分を奮い立たせなければならないのだ。

そういう時、人は何を拠りどころにすればいいのか。ジョブズの言うように「なんでもいいから、とにかく信じろ」とは一つの真理だろう。だが、私は他にとても大切なことがあると考えている。

自尊心や愛が心の平衡を支えてくれる

Wikipediaで参照しただけの情報だが、心の平衡を支える「レジリエンス因子」なる言葉が心理学の世界にはあるらしい。代表的なものは「自尊心」や「支持的な人がそばにいてくれること」「安定した愛着」なのだとか。

レジリエンスについて調べこの言葉について知った時、私の中で色々と腑に落ちるものがあった。

私自身、これまで挫折とは呼べないまでも、経営者として精神的にしんどい経験は色々と積んできたつもりだ。

そんな時、自分を信じる根拠になったのはいつだって「自分は人として或いは経営者として正しいことが出来ているのだろうか」という自問だった。

こうした自問に気持よくYESと答えられるときには、どんなにしんどい時であっても前に進めた。一方で、NOと答えざるをえないような事をしでかした時には、自分の精神のバイオリズムは悪い方向に向かいだし、行いを正すまで良い方向には戻れない。

「徳を積む」という考えがあるが、人は自らに恥じない行いをすることで、自己を承認し自尊心を得られるのだと思う。正しい行動をすることで自尊心が育まれ、結果としてレジリエンス=心の平衡が得られるのなら、正しい事をすることについて「ルールだから」とか「自己満足のため」とか「社会のためになることだから」といった杓子定規の価値観とは、ちょっと違った風景が見えてくる気がする。

「徳を積む」とは聖人君主でいるということではない。常に自分の価値観に照らし合わせて、自分の正義に嘘をつかないことが大事なのだろう。

正義という言葉は暴力的で、世界ではこの言葉のせいで人が簡単に殺されたりする。
だが、「自分なりの正義」に忠実に生きることで、内なる平和は保つことができる。

「自分なりの正義」が他人の権利を侵害しているような奴に出会うと大変迷惑だが、そういう奴は大抵の場合人に愛されることはない。逆に「人に何かを与えること」「人として恥じない行動をすること」を自らの当然の正義としている人の周りには、自然と支えてくれる人が集まってくるものだ。

現代社会は複雑だ。外部環境がめまぐるしく変わり、何をしている人にとっても不確実な社会になっている。
それは会社経営においてもそうで、どんなに脳味噌を振り絞り、未来を予想して選んだ決断だったとしても間違えることはざらにある。

その間違いが「挫折」と呼ばれるほどのものになってしまうことがこれから先にあるとして、私は「成功」という「点」が立ち現れるのを信じて突き進まなければならない。そんな時、自分なりの自尊心が砕かれず在るために、そして今自分を支えてくれる人たちがその時にも変わらずに支えてくれるよう、自分なりの正義に忠実に生きていきたい。

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